その後も北海道央部をひたすら
車を走らせても走らせても、車窓には
限りなく続くかのような広い丘陵地帯が続く。
(北海道中央緯度観測標~東経142度23分・北緯43度20分)が
広大な草原が広がる。
2000km近く離れているだろうか。
<日本の農林水産物の輸出、海外展開><新時代の地域活性化><アジアとの新連携>を目指し、 海外に向けてニッポンを売り込み、地方の元気作りを支援する行動派コンサルタントの奮闘記
その後も北海道央部をひたすら
車を走らせても走らせても、車窓には
限りなく続くかのような広い丘陵地帯が続く。
この日はまだ15℃と肌寒く、
千葉・幕張メッセで開催されたFOODEX JAPANに参加したが、
このブログのエントリを見てくださって、
本当に多くの方にご連絡を頂いた。
久方ぶりの再会が実現できた方もあれば、
お目にかかれず失礼した恩人・知人もありで
いずれにしても感謝・感激です。
海外からも招請を受けられて来日・帰日された
これまで各国でお世話になってきた恩人にも
多数ご挨拶ができました。
この場を借りて厚くお礼申し上げます。
今日は3月11日。
日本国中が改めて哀悼の気持ちに包まれた日。
この2年間、僕は満足に何も役に立っていない。
それでも、宮城と福島には大切な仲間がいるので
この間、2週間は空けずメールか電話を入れて
交信を続けている。
図らずもそれぞれ別の
地域サポーターとして奮闘する二人に共通した視点があった。
この2年間で大きく変わったことがあった。
この2年間で大きく変わって「しまった」ことがあった。
そして、
この2年間、まだ何も変わっていないことがたくさんあるんだ、と。
それが具体的に何を指すのかは、
僕たちひとりひとりのイメージする力による。
また、新たな一年の節目を迎えた。
自宅の書棚を整理していたら
昔買った歴史の本を久しぶりに手に取った。
偶然なんだが、
幕末の僕のヒーロー 高杉晋作が詠んだ漢詩に目を運んだ。
下関市日和山公園の高杉銅像 2005年撮影
内憂外患 吾州に迫るまさにこれ 危急存亡の秋(とき)
ただ 邦君のため、邦国のため
降弾 名姓 また 何ぞ 愁(うれ)えん
(大意)
国内は混迷を極めて乱れ、諸外国の脅威が迫っている。
まさに今が、国家存亡危急のときである。
このような時にこそ、自分は主君のため、国家のため
ただ尽くすのみである。
たとえ、自分の命や名が奪われたとしても、何も悲しむことはない。
僕の記憶では、
幕府軍による長州征伐が迫り、藩内は混乱し恭順派が台頭し、
下関には四か国艦隊の砲撃に見舞われるという
まさに存亡をかけた四面楚歌の境地を詠んだものだと記憶している。
関門海峡を下関側から俯瞰する 2005年撮影
晋作だって、中国・諸葛孔明の「前出師の表」(前回エントリで紹介)を学んだに違いない。
僕は学生時代、この晋作に全身全霊傾倒してしまい
その破天荒な発想と八面六臂の行動力に強い影響を受けた。
高杉ら奇兵隊が仕掛けた長州藩クーデター最大の激戦地 太田・絵堂
まさか、幕末にも似た状況が今訪れようとは思いもしなかった…。
皆さんは、幕末かぶれオヤジの妄想だ、と笑い飛ばしていただいても一向に構わない。
夜、仙台空港に降り立った。
あの津波が滑走路をあっという間に呑み込んでいく光景が、ずっと目に焼き付いていただけに、正常に運用されている姿を見ただけで感慨も一際だった。
13日、仙台市で農水省の主催による「輸出オリエンテーションの会 東北地区研修会」が開催された。
今年、東北ブロックは未曽有の震災に見舞われ、
復興を目指して日々努力しているさ中にもかかわらず、
多くの熱心な事業者や支援者の皆さんが集った。
この日は、来年2月に同じ仙台で開催予定の輸出商談会の
事前研修という位置づけでもある農林水産物・食品の輸出セミナーである。
㈱ショーライの井阪社長による
実践講座と愛情ある辛口アドバイスは参加者の皆さんにとって
大いにい参考になったと思う。
日本の農産物輸出のトップランナーである青森リンゴも香港で頑張っている(今月)
山形リンゴも台湾に浸透している(今月)
また、東北農政局の担当官による放射性物質に関わる規制措置など海外各国の最新事情についての報告は、具体的で分りやすく、非常に参考になった。
やはり東北ブロックでは、このテーマが最も切実かつ重要であることを改めて認識した。
この日の交流を通じて僕は、
去年の宮崎県で発生した口蹄疫に次いで、
わが身の無力さ、非力ぶりをつくづくと思い知らされた。
まだ多くの国々では、福島、宮城、茨城、栃木などの商品に対して、輸入規制をかけている所があって、チャレンジしたくてもままならない厳しい現実に直面しているのだ。
それでも多くの事業者の皆さんが
真剣に海外販路開拓に関心を寄せている。
今回、福島県で中小企業の商品開発について
いつも熱い思いでサポートしているSさん、
また、関東で知り合い、
今、宮城県で必死の思いで事業者支援に当たられている
行政官のSさんと再会を果たし、
予想以上に厳しい現場の話を伺って
本当にやるせなく、また皆さんの努力と忍耐に頭が下がる思いだった。
いつも以上に、僕の方が学ばせてもらう機会となった。
わずか一日足らずの滞在だったが、
急速な復興進む仙台の街が、人が、
特別に眩しく、僕の網膜に映った。
JR仙台駅前で
ご当地の「福の神」である仙臺四郎もサンタに扮して、笑顔と幸運を振りまいている
何度もニッポン人であることに誇りに思い、
これからも自分に出来ることは何かを問い続けた一日だった。