寄稿のご案内

日本政策金融公庫の月刊誌「AFCフォーラム」12月号に寄稿した拙文が掲載されたので、ご紹介します。

 

 

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https://www.jfc.go.jp/n/findings/publish.html

 

 

「主張・多論百出」というコーナーです。

 

 

今、全国の自治体による農産物輸出は、
海外における各種プロモーションやマーケティング活動、
いわゆる川下戦術が花盛りですが、
これからさらに伸ばすために、
産地、商物流の川上・川中対策の必要性を訴えています。

 

 

同誌がお手元にある方はご一読いただければ幸いです。 

 

 

貴重な寄稿の機会を頂いた
日本政策金融公庫農林水産事業本部情報企画部各位に
厚くお礼申し上げます。
   

見通せない時代に立ち止まって考える(その3)

れからは、世界の警察官であり続けることは出来ない。」

 
 
アメリカの次期大統領がこう宣言したことで、
わが国も冷や水を浴びせられたかのごとく
自主防衛論の是非についてにわかに騒がしくなってきた。
 
 
これまで社会や経済活動に無我夢中になって取り組んできた日本も、
改めて「アメリカの傘の下」という環境下で成り立っていたんだと
再認識させられた人も少なくないだろう。
 
 
まさにこの現実に向き合って
真の平和主義とはどうあるべきか、
今からこそ真価を問われることになろう。
 
 
 
このニュースを聞いて、まったく関係無いのだが
ふと連想したことがある。
 
 
今、地方の経済活動で、霞が関が突然、
「これからはもう政府は、金も知恵も出し続けることは出来ない。」
と宣言したらどうなるだろうか、と。
 
 
議員の要請に基づき、
政府の機関が最高度の知恵を絞って政策を練り、
それに沿った事業に名乗りを上げた事業者が
補助金を受け、専門家やサポータ―の知恵を授かり、
忠実に再現することが、全国津々浦々で当たり前のように行われている。
 
これが結構至れり尽くせりのサービス合戦になっており
何をすべきかのアイデアから、資金経費の提供、
専門家の派遣や情報、サポートまでレールを引いてくれる上、
実績を作るために、こんなおいしい話を出前で持ってきてくれるようなケースまで散見されるようになった。
 
 
みんな地域のためにと大真面目で熱心である。
 
と、いつの間にか事業者は、これが当たり前の経済活動だと感じて、これを待ち望んでいるかのようになり、行政側もさらに知恵を絞ってこれに応えようとする。さらに議員さんたちが張り切る・・・。
 
 
 
結果、地方は武士の商法のような事業も一部蔓延し始め、無駄な地域間競争もはびこってしまう。日本を代表する大都市の英知をもってしても、最新のアウトプットが、東京・札幌オリンピックに大阪万博だったりする。経済が縮小しているのに。過去の事例や他国の事例を「検索」するのを得意とするエリートが起案するからかな。
 
一歩日本の外から眺めてみると、
どこか変で、ガラパゴス化しているように映る。
すくなくともこれでは国際試合では勝つことは出来ない。
 
 
 
などと、行政側に対して批判批評ばかりしたり、不満だけを膨らませ、過度のサービスを要求する私たちにこそ根本の原因があると、ここは改めて一度、自立の道を探るべく、まず意識を切り替える時と考える。
 
 
もちろん国や自治体の支援策は大いに活用していい。ただ主体性と自立の精神をもって、自らが知恵を出し、行動するを基本としてもらいたい。当たり前のことである。行政もそれを望んでサポートしているのだから・・・。
 
 
 
わが国にもトランプショックが起こらないとは限らない。
 
否、ゆっくりではあるが、すでに始まっていると僕は観ている。
 

見通せない時代に立ち止まって考える(その2)

英国のEU離脱といい、トランプショックといい、
圧倒的な事前予想を越える結果となった。

 

現地の高名な専門家も、調査機関も、またメディアまでもが
大方の予測を外してしまった。

 

しかも、フェアでルールに忠実な国民が

一度でた結果を受け入れることが出来ず、
反対派が騒ぎ出すという光景にも驚いた。
   
  
世界の耳目を集めるこれだけの大事を、
最新の科学的、現場的分析をもってしても
国民大衆の変化を読みきれなかったということについて、
様々な事を考えさせられた。

 
 
自由と民主、多様性を最高の価値観と尊ぶ成熟した欧米で、
国益優先主義が台頭している。
 
 
それは、拡がり過ぎた、行き過ぎた経済現象に対する揺り戻しなのか?それとも、新たなステージへ移行する、夜明け前の序章なのか? 注視していこうと思う。
 
 
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NYCウォール街にて(2008年)
 
   
一般的には格差社会、移民問題、グローバル化、IT化等の原因が挙げられているが、底流ではもっと大きな大きな地殻変動が起こっているのかもしれない。
 
 
 
地殻変動と言えば、今年は全国で
本当に大きな災害に見舞われた一年だった。
地震、火山、台風、竜巻、豪雨。
全国安全なところは、どこにもないかのよう…
 
 
まさに明日、何が起こるか誰も予測できない不連続な時間を私たちは過ごしている。
 
 
立っている足元の地面が、 今、陥没するかもしれない・・・。
 
 
うであっても、突然怒り狂う大自然相手に、
共生の道を求めて頑張っている大勢のヒーロー、ヒロインたちがいる。
 

見通せない時代に立ち止まって考える(その1)

国のEU離脱に続き、

アメリカでトランプ現象が起こった。
 
 
途上国ではなく、あの「欧米」で
いわば反グローバル的な現象が、
あたかも何の前触れもなかったかのように
大きな流れが起った。
 
 
「不可逆的」で、「新世紀の趨勢」だから
乗り遅れてはいけないと思われていたグローバル化とIT化。
 
共にその計り知れない功罪は議論されてはいるが、
こんな形で表面化するとは・・・。
これも一種の市民革命なのかもしれない。    
 
 
産業革命以来、欧米列強は世界にその覇権を広げ、
戦後日本も国土が狭く、資源が乏しい国の生きる道は、
貿易立国だと信じ、世界に羽ばたいてきた。
 
 
長い不況とデフレにあえぐ日本が選択した処方箋が
FTAやTPPに代表される更なるグローバル化への深化のはずだった。
 
 
「オルタナティヴ(既存に替わる)でサスティナブル(持続可能)な社会を」なんて、滑稽なほどの言葉の変化にも必死で付いていこうとまでして・・・。
 
 
 
いずれにせよ、これまで世界が体験したことのない更なるステージを迎え、これからしばらくの間、このグローバル化と反グローバル化の狭間で、地方の元気な皆さんと共に乗り切っていこう。
 
 
ブレる必要なんてない。
  
柔らかな発想と高いアンテナを張り続けて
信念や夢を貫き通せばいい。
 
 
 
変化はチャンス」だ。
 
 
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ニューヨークにて

ヒトがカナメ

この国も発展途上の段階では、
いかに優良な人材を海外や外資企業に供給出来るかがカギである。

 

以前から、ベトナム人は勤勉で真面目によく働くという
もっぱらの評判だったが、どっこい今も健在であった。

 

ここは工業団地にほど近い、
日系企業向けの人材派遣研修機関である。  

 

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もちろん日本にも研修生として派遣する窓口業務も行っている。  

 

 

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校内は、秩序正しい空気に包まれている、 
    

      
     

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校内の掲示板に反省文のコーナーがあるのには驚いた。
中には、日本語で書かれたものまである。

 

     
学生たちとすれ違うと、全員が立ち止って一礼し、
こんにちは!と笑顔で大きな声であいさつする。 

 

実に気持ちがいい。

日本式の挨拶の効用を、ここハノイで再認識するとは・・・。

 

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日本の若者をこそ、こんな機関で再教育しなければいけないと感じたのは、ひとり僕だけではなかろう。

 

   
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ごみの分別など、日本に行っても戸惑わないように
実際にシュミレーションしているほどのこだわりようだ。

 

 

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担当官に話を聞いたら、予想通り、
最近のベトナムの経済成長に伴い、
日本への研修を望む若者が頭打ちになりつつあるという。

 

 

中国もそうだ。あれだけ無尽蔵だといわれた
ワーカー人材が集まらないのが現状だ。

 

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そこで中長期的な戦略として、この機関は
二つの方向性を掲げている。

 

それは、いずれ枯渇する研修生をミャンマー、ラオスなどの
次のフロンティアに求めることがひとつ。
       

ただこの戦略は法の壁があるなど、意外に難しいのだそうだ。 

 

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もう一つの比較的現実路線が、
ベトナム人材の質的向上、高度化戦略なのだそうだ。

 

企業ニーズに合わせて、礼儀や習慣のみならず、
専門技能等の養成にも力を入れていくらしい。 

 

 

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時代の変化に対応しなければ、
ビジネスはあっという間に淘汰される。  

 

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4半世紀ぶりの訪問

に24年ぶりのハノイ再訪である。

 

1992年以来ということになる。当時は日本から直行便はなく、
行き帰りはバンコク経由しかルートがなかった。

ビザの手続きもベトナム商工会議所が一元的に管理しており、
全行程に現地のガイドの同行が義務付けられていた。

入国時は、荷物検査がやたら厳しく、
蒸し暑い税関を通過するのに2時間くらいかかったことを
覚えている。

 

そして月日は流れ、2016年
  
   

日本の援助で建てられたのだろうか?
ハノイ・ノイバイ空港は、日本の施設と見間違えるかのような外観と内装のとても近代的な空港ビルに変貌していた。
  

 

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今やイミグレや通関のスムーズさは、日本のそれを凌ぐかのよう・・・。

 

でも出迎えゲートの人混みとムッとむせ返るような熱気は当時のまま。

 

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空港から出迎えのバスに乗り、そのまま近郊の
タンロン工業団地」を視察した。
   

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ここは日本の商社が開発した北部ベトナムを代表する工業団地である。

 

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そのほとんどが日系企業で、錚々たる大手メーカーが整然と軒を連ねている姿は、
さながら30年前の大連や広東、江蘇などの経済特区や保税区を思い起こさせる。

   
企業のアジア展開も多様化している。

 

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先行モデルがあって、後発者が追いつくスピードは、
予想をはるかに超える速度で進み、そして過ぎていく・・・。

 

 

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星港のモスクで袖触れ合った老人から感じとったイスラムに対する視座について考える

近、イスラム商圏への関心が高まっている。

 
 
 
ここは星港 シンガポール
 
 
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リトルインディアと呼ばれる地区の外れの一角。
 
 
 
イスラム諸国やインド向けに
ニッポンを売る!”可能性について情報を得るために
現地系の問屋さんを訪ねた。  
 
 
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話を聞いてみると、
やはり中途半端な取り組みではとても対応できない。
                
しっかりと己れを識り、イスラムの文化、商習慣や現場の事情を理解してからでないといけないと痛感。
 
 
 
 
商談が終わって時間があったから、どこか訪ねてみようと
近くのムスリム施設を訊いたら、教えてくれたのが、
ここ Abdul Gafoor Mosque (アブドゥル・ガフール・モスク)である。
 
 
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1910年に建立されたというこのモスク、
緑色と象牙色のコントラストが見事な外壁がとても印象的だ。
 
 
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しばし見入っていると、
ベンチに腰を掛けていた初老の回教徒らしい叔父さんに呼び止められて、 
    
「まあ、ここに腰掛けろや」
   
とでもいう風に手招きされた。
 
 
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僕も何も警戒することはなかったので、
躊躇なくベンチに座って、辺りを眺めることにした。
 
 
 
その間、この叔父さんは、僕の方を見て、何やらずっと話しかけてくる。
 
 
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もちろん何語とも解らないから、愛想だけ振りまく。日本人特有のアレだ。
 
 
叔父さんの柔和な顔を見て、穏やかな声を聴いていると
こちらの心がなぜか癒されてくるような感覚がしてくる。
 
 
何か説教か法話でも聞かされていたんじゃなかろうか。
 
世間話では無かったように思える。
 
 
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と、そこに知り合いと思われる別の男が現われ、
僕のことなど始めから知らなかったとばかりに
二人は会話を始めた。
 
 
 
とても穏やかな時が流れる・・・。
 
 
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僕は一体どのくらいベンチに腰かけていただろうか?
 
 
 
ふと見ると、叔父さんは、荷物を抱えて帰って行くところだった。
 
 
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仙人のようでもあったけど、そこはやはり市井の
温和で、ちょっぴりお節介焼きな、人なつこい老人だったに違いない。
 
    
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僕は、イスラムに対する理解のほんの入り口に立っただけだが、
深い信仰に生きる人の大部分は、こんな普通の生活者なんだ
当たり前なんだけど、改めてそう感じた。
 
     
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ニュースをひねると、イスラム国やら、シリア惨劇など、中東アラブ諸国の過激なテロ事件ばかりが報道されている。
 
欧米の価値観や中国の秩序維持というような超大国の論理とは別の視座を持つべきだと思う。
 
 
とりわけ全世界に拡がる多様なイスラム圏に対する理解の妨げにならないよう、自戒の念を込めて、これからは先入観を廃し、敬意と相互理解の信念をもって向き合っていきたい。
 
 
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靴を脱ぐ。ある種日本の文化にも共通するけじめの文化。我が国の禅宗には更に脚下照顧し、履物をそろえるが、逆にムスリムには日本にはない掟やマナーも沢山あるに違いない・・・
 
 
モスクの中に入ると、そこには神聖で静寂な礼拝の空間が広がっていた。
 
 
 
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時間の許す限り、イスラムを感じよう。」  
 
 
そう思って、僕はモスクを出て、
住宅街の中に足を踏み入れて行った・・・。
 
 
 
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未来志向の産業として

公益財団法人 九州経済調査協会から

今年も「九州経済白書」が刊行された。
 
1967年に創刊され、今年で47回目を迎えるという。
 
 
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常に九州の産業経済の指針である同白書であるが
その年に採用されるテーマは、
地域を展望するにあたっての有効な「切り口」であり、
いつも高い関心をもって注目している。
 
これまでも僕の専門である
「アジア・中国」や「フードアイランド」といったテーマになった時は
自分の観点・視点にお墨付きをもらったような気分がして
とても心強い存在であった。
 
 
今年のテーマは、ずばり農業である。
 
アグリプレナーが拓く農業新時代」とあり、
農業と企業家(アントレプレナー)を合成したものを
アグリプレナーと定義し、僕の好きな
「挑戦」、「開拓」という思想が全面に展開されており、
未来産業として農業が位置づけれられている。
 
 
九州の産業経済に最も深い知見を持つエリート集団である
調査協会が今回初めて農業に着目したことは、
感慨深いものがあり、同時に
単なる伸びしろのある成長分野というだけでなく、
将来、社会の価値観が変わる可能性をも含むのでは?などと、僕は勝手に解釈している。
 
 
7つの県を合わせたひとつの「島」としての九州では
その農業産出額は全国の2割を超えており(2011年)
関東とほぼ同水準の全国2位のブロックである。
 
 
この多様で特徴ある農業を内向きに捉えず、
戦略的に活かすことで
もっともっと元気で豊かな地域が各地で復活することだろう。
 
 
白書では、新たに挑戦する数々の農業事例が盛り沢山で
海外に向けた農産物輸出についても章を設けられており
体系的に理解したいのであれば、ぜひとも一読を薦めたい。
 

19年ぶりの“ハート”と“マル”のシンクロ

Happy Valentine’s Day!!

 
バレンタインデーを祝うのは
もちろん日本だけではない。
 
 
画像は去年の香港。
 
農暦の正月が明けて間もなかったので
この年は少し屠蘇気分だったな。
 
 
夕刻、九龍・尖沙嘴(チムサチョイ)の繁華街に出ると
いるわ、いるわカップルだらけ。
       
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女性が彼氏からもらった花束を抱えて
得意げな表情をしているのが印象的だ。
 
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ここでは、男性が女性にプレゼントをする。
      
    
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有名ブランドショップは遅くまで長蛇の列だった
 
 
もう7~8年前になるだろうか。
日本のイチゴの販促キャンペーンをしたことを思い出す。
 
当時、邦貨換算で6000円を超すギフトケースの
イチゴが飛ぶ様に売れて、本当に驚いたのを覚えている。
 
 
企画したら、花だって、フルーツだって、小物だって
ニッポングッズはまだまだ売れるぞ。
 
 
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レストランだって、この日はロマンチック路線だ。
 
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セットメニューが10%ディスカウント。
おまけに女性客にはもれなくプレゼント付きとある。
        
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中国の風水では、桃の花は恋愛運を呼ぶという・・・。
 
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今年は、19年ぶりにバレンタインデーと
元宵節(農暦1月15日の小正月のこと)が重なった。
 
新暦と農暦両方を使う地方ならではのこと。
 
 
あちこちでランタンが飾られ、
家庭では湯圓(タンユアン)を食べる。
日本で七草粥を食べるようなもの。
 
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もち米で作った団子で、
中にはゴマや小豆、クルミなどの甘い餡が入っていて
ショウガや砂糖、酒麹などの入ったスープで食べることもある。
 
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”は丸いという意味。
 
農歴新年最初の満月の日であり、また
家庭円満を願う意味で丸い団子を食べるらしい。
 
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円卓に代表されるように
角張ったものより丸いものを好み、
円満を尊ぶ中国人も
最近、少しとげとげしくなったような気もする。
 
日本人の絆、中国人の円満
丸くて甘いものを食べてハートを通じ合えないものだろうか。
 
  
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実は、インドネシア編をアップしていた
旧暦正月元旦の1月31日を挟んで
僕は、約2週間、台湾と香港に行っていた・・・。
 
       
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中部ジャワ地方の奥深い味を堪能し、インドネシア料理に対する認識が変わった(最終回)

珍しく長い時間をかけて中部ジャワ料理の数々を楽しみ、
最後は究極のナシゴレンとも出逢い、お腹もいっぱい。

     
「まだまだ時間もあるのでデザートもどうぞ」
と促されるけど、もうギブアップ。
 
ここでも、もう若くないなと実感する…。
 
 
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「それでは目で楽しみますから」、と
コーナーを徘徊することに。
 
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色とりどりの菓子が並ぶ。
 
もち米やココナツを使ったものが多いように見える。  
 
   
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これはクレポンと呼ばれるバリ島の有名なお菓子ではないだろうか。だとしたら緑色した草餅のようなお団子の中には黒蜜みたいなものが入っているはず
 
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見ているだけで楽しい。
 
 
その中で甘い、いい香りを放つ菓子が目についた。
 
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ANGKRINGANと呼ばれるジャワの屋台や露店で
食べられるようなスナックらしい。
 
 
たくさんのデザートを見たら、やはり満腹感が込み上げて
何することなく立ちすくんでいると
ウェイトレスのお姉さんが気を利かせてくれて
  
「お茶でもいかがですか?」
 
 
温かい飲み物が欲しかったので、一杯所望した。
 
 
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コーヒーでなく、紅茶。
 
そう、ジャワティーということになる。
 
 
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丁寧に淹れてくれた熱いジャワティーの薫りを楽しんだ。
 
まだ見たことのないジャワ島山間部の茶畑などをイメージしながら。
 
 
 
と、急に果物が食べたくなった。
 
こうなると何故か腰軽く、果物コーナーへいそいそと。
 
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マンゴー、メロン、パイナップル、バナナ、スイカ、それに、見たこともない珍しい果物たちには一切目もくれず、
僕は始めから心に決めていた「我が恋人」に向けてまっしぐら。
 
 
 
で、その恋人の姿は、こんなもの。
 
ご覧あれ!
 
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見たことありますか?  知ってますか?
 
 
褐色に光る鱗のような外皮が
まるでヘビのようでしょう?
 
別名スネークフルーツとも呼ばれる
僕の恋人、サラック(SALAK)様である。
 
 
インドネシアに来たら必ず食べたい
それほどワクワクするフルーツなんだ。
 
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インドネシアではどこのお店でもよく見かけるポピュラーな果物だ
 
 
ところが、大抵の日本人はこれがあまり美味しくないらしく、
10人中8人くらいは、不味い、わざわざ買って食べるほどない
などと、僕の恋人のことを良く言わないのである。
 
 
まあ、それもいい。
 
奪い合いにならなくて…。 
 
 
外皮は、つまんでめくると比較的簡単に剥ける。
 
中からしっかりとして薄黄色い果肉が現われる。
 
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果肉を口に放り込むと、
ほのかな甘さ、ほのかな酸味、ほのかな渋味の三味が一体となって
乾いた食感になって拡がる。
 
きっと奥ゆかしい恋人なんだ。
 
 
ああ、至福のひと時…。
 
 
水分が少ないので、パリッとした食感がする。
これも賛否が分かれる所以だろう。
 
 
慣れると美味しいのに。
 
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すごく形容しがたい味で、
無理に例えて言うならば、リンゴに近いかな。
 
ほかに、乾ききったマンゴスチンやライチのようだと言ったら
イメージできるだろうか。ちょっと違うか。
 
 
香港でもサラックは見たことが無いので、
あの食いしん坊の中国人でもあまり見向きもしないようである。
 
 
僕が好きなら、それでいいのダ。
 
 
    *           *          *
 
 
とにかく長い長いコースを堪能した。
 
 
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中部ジャワ料理を通じて、今回、
インドネシア料理に対する認識が変わったような気がする。
 
 
異文化を理解するには、時間がかかることも多い。
 
 
 
今回、和食がユネスコの無形遺産登録されることになったそうだが、ニッポンの食文化、食材も世界に受け入れられるようになるには、長い年月と不断の努力が必要になることだろう。
 
 
(シリーズ終わり)