10歳の少年の夢がかなった日(その1)

わたしが10歳のころ、ふと目にした世界全集のグラビアの一ページにくぎ付けになった。

それは崖を繰り抜いて作られた巨大な摩崖仏で、そのスケールの大きさと茫洋とした風貌が私の心をとらえて離さなかった。けし粒大に過ぎない人間が仏様の足の下で蟻のように右往左往している・・・。

あれから40余年。中国の楽山市に来た。

楽山(らくさん)の街は、中国四川省成都の南約120km離れている中国の奥地である。成都からは高速道路が出来ていて、文字通り楽に行けるようになった。

楽山大仏と称するモニュメントを前に私も仁王立ちになって相対する。

一目見るなり「でかいっ!」思わず口をついて出る。

その大きさと言ったら奈良の東大寺の大仏が小さく見える。さもありなん、高さ71メートルで奈良の大仏の五倍だそうである。

眼前を滔々と流れる岷江(みんこう)の怒りを鎮めるために建立されたという。

しかも、建造された804年当時、多くの大仏が国家によって造られたのに対して、楽山大仏は民衆の力で作られたという。こんな時、中国人の持つ大衆の、時代や世代を超えた底知れぬパワーを感じるのだ。

40年たった今でも相変わらず仏様の足元で、蟻のように人が右往左往していた。

10歳の少年の夢がかなった瞬間だった。

その当時は海外なんて夢のまた夢。ましてや闘争に明け暮れていた竹のカーテンの中国の奥地に行けるなんて思ってもみなかった。静かではあるが、飛び上がりたいほどの興奮をしたことを覚えている。

(2006年筆)

海を渡っていった日本人  僕らはもっと自信をもっていい! (その1)

の数年、農や食の分野でも
地方の元気な事業者が次々と海外進出に挑戦しており、
本当に頼もしく、誇りに感じている。  

 
 
これだけの動きになるなんて
20年前に私も海外展開を提唱し始めたころと比べると
隔世の感がある。
   
 
しかしながら、歴史を紐解くと、
近世だけをみても私たちの祖先は
ビジネスでも立派に海外で活躍していたことが見て取れる。
 
 
 
昨年、戦国時代の三大日本人町と言われている
アユタヤ(タイ)ホイアン(ベトナム)マニラ(フィリピン)のうち
前2者を訪ねる機会があった。
    
 
 
まずは、タイのバンコクから約80Km離れた
古都アユタヤ。 
    
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豊富な史跡群に目を奪われてしまう
 
 
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日本人町の跡地には、整備された日本庭園や資料館が設置されている
 
 
王朝の高官にまで任ぜられた山田長政
人口に膾炙されているこの街は、
中国・東南アジアとインド・欧州を結ぶ
貿易拠点都市として栄え、
当時の江戸やロンドンにも匹敵する繁栄ぶりだったと言われている。 
 
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アユタヤで高官に任ぜられた山田長政像
 
 
インドシナ半島の豊富なコメを背景に、
交易により世界中から集まる豊かな物資や人材の中で
最大1500人余りいた日本人も、このグローバル都市で
世界に伍して朱印船貿易で立派に活躍していた。
    
 
 
次に、ベトナム中部の街ホイアン(会安)。  
 
 
ここも16~17世紀頃、中国とインド・欧州を結ぶ
交易都市として繁栄した美しい街である。
 
 
当時日本人が約1000人ほどいたとされ、
日本人町と中華街をつなぐ、日本橋(来遠橋)が
今も残っている。
 
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屋根付きで、橋の中央には寺院が設けられている珍しい構造をしている
 
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旧市街が世界文化遺産に認定されており、
中部ベトナムを代表する観光都市になっている。
 
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ホイアンはランタンでも有名。夜になるとロマンチックな光景が広がる
 
 
 
ちなみに2000年に食ビジネスでマニラを訪ねた。 
 
 
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切支丹大名・高山右近で知られるマニラ呂宋にも
多くの日本人が交易に活躍したという。
 
 

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近世三大日本人町を訪ね、
往時のニッポン商人の活躍ぶりに思いを馳せた。
 
 
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アユタヤの日本人町跡の前に流れるチャオプラヤ川を臨んで、ここに朱印船が停泊してたんだなとイメージを膨らませ、ワクワクする想いでいつまでも佇んでいた・・・
 
 
いにしえより世界の商人たちと伍して
海外でも見事なビジネスを展開してきた日本人の才能の花を、
今こそ咲かせる時と心に誓った。
 
 
 
僕ら日本人は、もっと自信を持っていい!!
 

Photo回顧2016 (その2)

つもビジネスでバンコクを訪ねる時は
空港とホテルとオフィスを行き来することばかりで、
最近は近代ビルのジャングルしか印象がないのだが、
今回、空き時間を利用して旧市街を歩いてみたら、
バンコクは「水都」だと改めて認識。

 

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バンコクの街をゆったりと流れるチャオプラヤー川の河畔に佇むと、なぜか心が落ち着いてくる。海原とも違う気分。

 

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大都会の河川にも人々の日々の生活が息づいている。  

 

 

 

時間が少しあるから、河川交通手段のひとつであるチャオプラヤエキスプレスというボート船に乗ってみた。

 

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切符を買って乗り込むだけ。バス感覚。

川面から吹いてくる風が、火照った体に気持ちいい。

 

 

 

当てずっぽうに、知らない船着き場で下船したら、
偶然、香辛料の卸売市場に踏み込んだ。
     

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僕には不思議なアンテナが備わっているらしく、
国内外どこへ行っても何故か市場やマーケットに出くわす。

 

予備知識も地図がなくてもである。実に不思議な習性。

犬も歩けば市場にあたる…

 

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界隈には、トウガラシ、ニンニク、エシャロット、ライムなど
タイ料理には欠かせない香辛料の数々が売られている。

 

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プリッキーヌと呼ばれるトウガラシの種類だけでも様々。

 

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トムヤムクンやタイカレーに欠かせないバイマックルー(こぶみかん)の葉

 

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レモングラスに カー(タイショウガ)
   

 

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タイもまた地大物博の農産国だと改めて感じる。

 

 

隣接する花卉市場(フラワーマーケット)に潜入。

 

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花卉の海外取引は、これからの課題でもある。タイもその舞台のひとつ。

 

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プミポン国王崩御前だったが、とにかく広く敬愛の対象であった
               

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多忙なスケジュールの合間に、
時を忘れて川の流れに身を任せるのもいい・・・。

 

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Photo回顧2016 (その1)

はや今年も残すこと三週間となった。  

 

アップ出来なかった訪問先を
画像で回顧してみようと思う。

 

 

今年3月、支援業務でタイのバンコク・アユタヤを訪れた。

 

到着したタイのスワンナプーム国際空港で目撃した、
タイ人観光客の爆買いぶりには初日から驚いた。 

 

中国人に負けていない…。
日常風景になりつつあるとはいえ、
目の当たりにするとそれは壮観であった。

 

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中心市街地に行くと、相変わらずの慢性渋滞。

 

ここで僕は頭をタイモードにリセットする。

 

 

イライラ・セカセカは、心のムダ・・・

 

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すっかり近代都市に変貌した。

 

 

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夕方の退勤時間帯の自家用車は、高級車がめっきり増えた。

 

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今回も、バンコク市内の高級店舗やショッピングモール、郊外店舗を精力的に視察し、最新事情を紹介してもらった。

 

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既に見慣れた光景とはいえ、手ぶらが多い日本人観光客に代わって、ローカル消費者の購買が増えた。

 

 

ますます日本を含む世界中の一流品が集まると同時に
郊外のスーパーでも本物日本商品や外食店舗が広がっていることに驚く。

 

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バンコク郊外のショッピングセンターで。 お米の国タイで日本式おにぎりが

 

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新設のショッピングモールには、大抵日本食レストランがテナントになっている。
ラーメン、カレー、どんぶり、弁当、定食、スイーツなど、国民食レベルが次々と進出。

 

 

東南アジアの拠点として、
これからもしばらくバンコク市場はホットポイントであり続けるに違いない。

 

 

10月に逝去されたラーマ9世プミポン国王に
心からお悔やみ申し上げます。

 

雑踏に埋もれて(その3)

                                       
旧市街の続き。

 

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やっぱり躍動感あふれるバイクに、どうしても目がいってしまう。

 

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道路を横切るのも技が要る…

 

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バイク用マスクもカラフルになった。

   
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片付けの真っ最中だった…

 

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モノクロが好きだけど、彩色の風景も また 一興 かな

 

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名残り惜しいけど、埋もれた雑踏から顔を出して、我に還る・・・

雑踏に埋もれて(その2)

ノイ旧市街ミニ散策。

 

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みんな眼にが入ってる・・・。 

雑踏に埋もれて(その1)

事の合間を縫って、
夕刻、ハノイの旧市街を歩いてみた。

 

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24年前に比べ、バイクもニューモデルになり、
人々のファッションンも洗練され、
驚くほどの物資の豊かさは、
まさに蒼海変じて桑田と成るほどの変わりようだが、
雑踏カオスのような、たくましいハノイの人々の熱気は
少しも変わっていないような気がする・・・

 

 

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ちっとも久しぶりの感じがしないのは、どうしてだろう?

ヒトがカナメ

この国も発展途上の段階では、
いかに優良な人材を海外や外資企業に供給出来るかがカギである。

 

以前から、ベトナム人は勤勉で真面目によく働くという
もっぱらの評判だったが、どっこい今も健在であった。

 

ここは工業団地にほど近い、
日系企業向けの人材派遣研修機関である。  

 

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もちろん日本にも研修生として派遣する窓口業務も行っている。  

 

 

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校内は、秩序正しい空気に包まれている、 
    

      
     

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校内の掲示板に反省文のコーナーがあるのには驚いた。
中には、日本語で書かれたものまである。

 

     
学生たちとすれ違うと、全員が立ち止って一礼し、
こんにちは!と笑顔で大きな声であいさつする。 

 

実に気持ちがいい。

日本式の挨拶の効用を、ここハノイで再認識するとは・・・。

 

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日本の若者をこそ、こんな機関で再教育しなければいけないと感じたのは、ひとり僕だけではなかろう。

 

   
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ごみの分別など、日本に行っても戸惑わないように
実際にシュミレーションしているほどのこだわりようだ。

 

 

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担当官に話を聞いたら、予想通り、
最近のベトナムの経済成長に伴い、
日本への研修を望む若者が頭打ちになりつつあるという。

 

 

中国もそうだ。あれだけ無尽蔵だといわれた
ワーカー人材が集まらないのが現状だ。

 

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そこで中長期的な戦略として、この機関は
二つの方向性を掲げている。

 

それは、いずれ枯渇する研修生をミャンマー、ラオスなどの
次のフロンティアに求めることがひとつ。
       

ただこの戦略は法の壁があるなど、意外に難しいのだそうだ。 

 

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もう一つの比較的現実路線が、
ベトナム人材の質的向上、高度化戦略なのだそうだ。

 

企業ニーズに合わせて、礼儀や習慣のみならず、
専門技能等の養成にも力を入れていくらしい。 

 

 

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時代の変化に対応しなければ、
ビジネスはあっという間に淘汰される。  

 

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4半世紀ぶりの訪問

に24年ぶりのハノイ再訪である。

 

1992年以来ということになる。当時は日本から直行便はなく、
行き帰りはバンコク経由しかルートがなかった。

ビザの手続きもベトナム商工会議所が一元的に管理しており、
全行程に現地のガイドの同行が義務付けられていた。

入国時は、荷物検査がやたら厳しく、
蒸し暑い税関を通過するのに2時間くらいかかったことを
覚えている。

 

そして月日は流れ、2016年
  
   

日本の援助で建てられたのだろうか?
ハノイ・ノイバイ空港は、日本の施設と見間違えるかのような外観と内装のとても近代的な空港ビルに変貌していた。
  

 

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今やイミグレや通関のスムーズさは、日本のそれを凌ぐかのよう・・・。

 

でも出迎えゲートの人混みとムッとむせ返るような熱気は当時のまま。

 

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空港から出迎えのバスに乗り、そのまま近郊の
タンロン工業団地」を視察した。
   

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ここは日本の商社が開発した北部ベトナムを代表する工業団地である。

 

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そのほとんどが日系企業で、錚々たる大手メーカーが整然と軒を連ねている姿は、
さながら30年前の大連や広東、江蘇などの経済特区や保税区を思い起こさせる。

   
企業のアジア展開も多様化している。

 

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先行モデルがあって、後発者が追いつくスピードは、
予想をはるかに超える速度で進み、そして過ぎていく・・・。

 

 

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