IGOSSOH ①

              
昨夜、四国中のお茶の間で醜態をさらしたついでに
四国にちなんだ話題をひとつ。

       
     
今月初め、6次産業化の研修会で高知に行った。

    

Dsc_9528
研修会の会場となった高知大学キャンパス

     
    
高知県と言えば、アツい情熱とクールな頭脳を併せ持つFさんをはじめ
熱血人の友が多い街。

   
    

今回もまさにTHIS is KOCHI人そのもの、
いわゆる「いごっそう」との邂逅(かいこう)を果たした。

     
Dsc_9945
龍馬ふるさと博「とさてらす」で

        
普通なら、研修会が終わった後の懇親会などで
親交を深めるものだが、研修会の前日の晩から居酒屋でまず知り合って
飲み語り合うなんて、高知ならではの豪快さだったよ。

        

        
彼等の特長(あくまで個人的で極端な見解)は、まず
    

○声がデカい。
大きいではなく、デカい。

    

○身振り手振りが大きい。
    
Dsc_9230_2              

○とにかくよく酒を呑む。
飲むではない、呑む。
     

○大言壮語する。
本気で世界や日本を変えるような話を平気でする。
僕はまたこれが大好きなんだ。
    
Dsc_9227

  
○常に戦略思考で考え続けている。
鹿児島の人も戦略思考的だと思うが、大方の日本人が欠けている能力である。      

○ビシッと相手の目を見て物を言う。

     

○明日から、これから直ぐにでもやろう! と、今にも立ち上がろうとする。
       
かなりせっかちである。
これまた僕が好きなのだ。
    
Dsc_9242
「明日から始めるぞッ。一緒にやるよな、なッ!!」

      

     
まあ、僕もかなりの大法螺吹きではあるが、
その晩のN志士はじめメンバーの発想の大胆さや奇抜さは、
僕も完全に意表を突かれた。
           
本当に龍馬や慎太郎並み。

      

まさに幕末にも似た昨今だが、黒船はアメリカだ、中国だ、脅威だ、なんて特定の国をあげつらうようなスケールの小さな人間は、ここには一人もいなかった。

       
先が見えない乱世の時代になると、
やっぱり高知や鹿児島、帯広なんか日本の端に位置する地域から
変革人材が輩出されるのかもしれない。

   
空気なんか読めなくったっていいじゃないか。
(でも女性には嫌われたくないけどね)

         
アドレナリンが出っぱなしだった。

       

       
隣のテーブルでは、地元の学生たちが楽しそうにコンパをやっている。
     

「知っちゅう! それ知っちゅう!!」
      
とあのネイティブな土佐弁が聞こえてくるたびに
何故だかだんだん嬉しくなっていった・・・。

   
ぜひとも彼ら立志の青年たちに、この世の中を変えていって欲しい。

    
ニッポンが変わらずにいい国であり続けるために・・・。

      
          

Dsc_0124
国宝・高知城

    
Dsc_9219
このチャンバラ貝と呼ばれる肴で鯨飲し、そして熱く語り明かす
   
Dsc_9210
竹串で器用に身を取出し、この尖った部分を必ず外してから口に放り込む

  
Dsc_9345
藁炙りのカツオのたたきももちろん美味しかったが、名物「焼き鯖寿司」や「うつぼの唐揚げ」も、いごっそう的旨さだと思う 
               

名産地で浴びるほどマンゴーを頬張った日(その1)

       
6月下旬から7月にかけて、
台湾ではマンゴーの本格的なシーズンに入る。    

    
今年は冬の寒さが長引いた分だけ、出荷が例年より遅れたそうである。

     
     
Dsc_7738 
台北の有名なマンゴースイーツ店の看板メニュー  マンゴーかき氷

     
         
     
この時期は若い娘たちだけでなく、
老若男女みんな手ごろになったマンゴーを楽しんでいる。

      

     
      
今月初め、あるプロジェクト推進のために台南に行ったのだが、
台湾でもトップクラスのマンゴー輸出に携わる地元貿易商社の社長さんと旧知の仲で、突然連絡したら、案内するからぜひいらっしゃいと誘われ、出荷の繁忙期と知りつつ、ホイホイと現地を視察に行くことにした。
      

      

台南の中心街から車で約1時間半強の道のり。

     

途中、烏山頭ダムを横目に進む。

     
Dsc_9351
      
    

ここは、1930年に完成した農業灌漑を主目的としたダムで、日本人・八田與一技師により建造されたものである。

      
Dsc_9347
後方に見える長い堤防のような土手に烏山頭ダムがある

           

それまで、常に干ばつの危険にさらされていた嘉南平野が、このダムのおかげで台湾を代表する穀倉地帯として蘇ったのである。

    

八田技師は、その死後70年近く経た今でも
多くの台湾民衆から敬愛されており、
日台交流の模範として僕の心の中にも特別な存在である。

   

当時の日本人は、物資調達だけでなく
土木やインフラ、衛生など技術やノウハウ、社会資本整備までも
台湾やブラジルなど世界各国で広めていった
のである。

  
その上、歴史的な背景があったにせよ、
祖国に帰ることを前提にではなく
腰を落ち着け、根を張る情熱で…。

   

当時の日本人の方が、よほどグローバルな視野を持っていたと思う。
    

しかも、その核心技術が農業栽培や加工、農業土木技術なのだ。

  

本当に頭が下がる思いだ。

    

     

Dsc_9357

       
さて、どれだけ坂道を登ったであろうか、
山間部に開けた大きな町が見えてきた。

    
Dsc_1185
だんだん生活の匂いがしてきたぞ

    
     

ここが、台湾マンゴーの名産地 玉井区である。

    
Dsc_1778
玉井郷にようこそ、と書かれている

      
     
玉井という地名は、高雄と同様、おそらく日本時代につけられたものだろう。

       

これまでは台南県玉井郷であったが、昨年12月の台南市への編入で
現在は玉井区ということになっている。

    

300pxtaiwan_roc_political_division_  250pxyujing_tnsvg
左は台南市。右は台南市での玉井区の位置 wikipediaより     
       

        
     
今や台湾でこの玉井は、マンゴーと同義語であるほどの地域ブランドなのである。

 
いずれ日本でも知名度を上げてくるかもしれないので、
読者の皆さんはマークしておいて頂きたい。   

    

Dsc_1780
巨大なマンゴーのオブジェが町のシンボルだ

    
     
    
手始めに、まず畑に行きましょうかね。」

     

いよいよ台湾の有名ブランド・玉井マンゴーとのご対面だ。
                               (次回に続く)
           

富良野ふたたび(その2)

(前回より続く)

      

この日、今年初めて30℃を上回ったと地元の人たちは話題にしたが
日頃湿度の高いところに住んでいる僕にとっては、爽やかそのもの。

  
Dsc_5943

    

天然のクーラーの中にいるようなもんだ。

    
Dsc_5299
    
Dsc_5278
映画のタイトルバックに出てきそうな風景
   

Dsc_6687 
     
     

夏を迎えると、この町は一面農作物に覆われる。

   
Dsc_6473
     
Dsc_6623
最近は減少気味という水田
   
Dsc_7736
車窓から丘陵に広がるジャガイモの畑を観る

   
      

米、小麦、トウモロコシ、たまねぎ、ニンジン、ジャガイモ、大根、
そして様々な施設園芸作物が延々と眼前に広がる。

   
Dsc_7897
麦秋  一面に敷き詰められた黄金の絨毯のよう
    
Dsc_5715
    
Dsc_6656
夏の北海道といえば、すぐにトウモロコシを思い浮かべる

   
    
   
広い。ただただ広い。

   
Dsc_7809

    
Dsc_5702
ちょうど富良野にんじんの間引き作業に遭遇  広いだけに大変
    
Dsc_5700

    
    

さすがに、十勝に並ぶ日本を代表する農業王国だ。

     
Dsc_7864
玉ねぎの畑も延々と続く
    
Dsc_6968
     
Dsc_6973       

      
   
機械を入れて思いっきり農業が出来る環境。

     
Dsc_7847
    
Dsc_7857
機械のわだちのように見える
    
Dsc_7832
   
Dsc_6019

    

これも日本の景観のひとつ。

     
Dsc_6549            
Dsc_6500
    
Dsc_6524 

        

ところどころに畦(あぜ)の跡があるのは、
水田から転用した名残りだろうか。

      
Dsc_5262

     

      
昨年オープンしたフラノ・マルシェ。

   
Dsc_7010

   

豊富な農産物に出会える場所だ。

  
Dsc_7019       

      

今回、初めてワイン工場とチーズ工房を見学させていただいた。

     

Dsc_5952
富良野ワイン工房
   
Dsc_5959
   
Dsc_5868
北海道でも珍しい、栽培、醸造、販売の一貫経営だ
   
Dsc_5981
富良野の澄んだ空気と同じ爽やかな飲み口をご堪能あれ
    

Dsc_5988      

   
Dsc_6060    

    

     

滞在中、能登芳昭・富良野市長と面談する機会を得る。

    
Dsc_7638       
   

地域活性化や農業振興に加えて
アジアにおける食糧基地としての北海道富良野の未来や
中国・香港を中心とする観光誘致など海外戦略にまで話題は広がり、夜が更けるまで歓談は続いた。

   
      

他の自治体同様、決して財政事情は楽ではない中、
着実・堅実に回復軌道に向け努力されている姿が深く印象に残った。

        
       
人口2万5千人の自然豊かな土地に年間200万人の観光客が訪れる町。

     

さらに、海外に向けてプロジェクトが始まる。

    

     
Dsc_5997富良野ワイン工場で
       
   
    

北海道のへそに位置する
ここ富良野はすでに世界ともつながっている。
                                   (次回に続く)
    

Dsc_5834
                  

みんなどこかで動いてる(最終回)

          
(前回から続く)

     

ここは、島根県の東部、中海に浮かぶ大根島。

   
Dsc_2624
後方が大根島

    

行政区としては、松江市八束(やつか)町となっている。

    
   
隣の鳥取県境港とは橋で結ばれ便利になったが
今回、僕らは松江市側から干拓用に整備された道路を使って訪れた。

  
Dsc_2609
   
Dsc_2613

     
   

周囲わずか12km、標高も42mしかない玄武岩質の小さな島に過ぎないが、実は高麗人参(雲州人参)と日本一のボタンの生産を誇るスゴイ島なのだ。

   
Dsc_2641
牡丹と高麗人参の町

   
   

高麗人参は、江戸時代から栽培されていた門外不出の貴重な産業で、
この大根島命名の由来は、
通説では、たこ島が大根島になったということだが、
島で人参栽培しているのを隠すために、わざと大根島というようになったという逸話も残っているほどだ。

  
Dsc_2694
    

    
見事な雲州人参。
      
栽培に6年もかかり、また一度収穫すると連作が出来ず、その土地では15~20年は植えられないほどだと言うから驚きである。

  
Dsc_2704
人参とはよく言ったものだ

     

他にも人参にまつわる面白い話をたくさん伺った。

  
ハイテク・バイオ日本農産物の輸出商品としての復活を期待したい。

      

      
      
もうひとつ。

     
   
牡丹の栽培が有名な町なのである。

     
Dsc_2787

   

立てば芍薬、座れば牡丹 というくらい美人の形容ともなる気品のある華(花)の代名詞である。

   

毎年、見ごろのゴールデンウィークにもなると観賞にやってきた観光客でごった返すのだという。

  
Dsc_2726      

     
全国シェア9割という日本一の生産を誇る大根島には、
世界を目指す熱い志をもった人たちがいる。

   

Dsc_2638

   
   
すでに1960年代頃から輸出が始められていたというからスゴイ。

    
Dsc_2847

      

その後一貫して輸出が続けられており、近年も約1億円前後で推移しているそうである。

      
     
主に、アメリカやオランダ向けに出荷され、そこからさらにドイツやフランス、イタリア等でも販売されるのだそうだ。

    
     
Dsc_2796
中国では真紅だが、欧米では黄色が人気なのだそう

   

     
最近も、ニューヨークやロンドン、パリなどの植物園でも展示され、大いにニッポンの牡丹が人気を博しているのだそうだ。

     
   
また、今年4月25日まで台湾の台北で開催された「台北国際花の博覧会」にも出品され、馬英九総統のスピーチ演壇が「松江大根島ボタン」で彩られたことは関係者の間で有名な話なのだ。

   
Dsc_2825
今では周年開花技術が確立し、一気に輸出がすすんだ

     

    
このような歴史と実績をもつ「ニッポンを売る!」その現場には、
必ず熱い志をもった男たちがいる。

       
    
Dsc_2866
海外に挑戦するサムライたちの梁山泊だ 

       
    
   
しかも、JAくにびき、島根県、松江市、そして生産流通に関わる皆さんは、同じビジョンを持ち連携も見事で、活気に満ち満ちており、アイデアとアクションがほとばしるプロジェクトチームである。

      
Dsc_2676    
      
           
梅雨明け(訪問当時)を思わせる暑い日差しよりも、更に熱い議論がビシバシと飛び交っていた。

    

日頃、激動する海外事情を僕の方から忍耐強く説いていくのとは、まるで逆転。
    

ただただこちらが学ぶことばかり。

      

    
このチームは今年、アジア向けや新興大国への輸出にも行動計画が進んでいて、皆さん攻めの姿勢でワクワクして期待を膨らませているのが、明るい表情に浮き出ている。

       

Dsc_2855
この元気な挑戦者たちをリーダーに、多くの関係者の努力と行動で、大根島牡丹の海外展開が続いている

   
        

島根県は、関係者なら皆が知っている農産物輸出先進地である。

     

この牡丹プロジェクトの中心人物でもある方が、
以前、僕の講演を聞いて、とても共感してくださったというので本当に嬉しかった。

      
     
僕はたまに自分の思いが周囲に通ぜず、心が折れそうになることもあるが、
この3回シリーズで紹介したように、
今回の原発事故による厳しい風評被害にもかかわらず、
だれかが、国内外のどこかで活発に動いてくれているからこそ
僕も信念を曲げずに頑張っていけるのである。
                                   (シリーズ終わり)

   
Dsc_2858              

みんなどこかで動いてる(その1)

            
長期の出張で、またアップが滞ってしまい申し訳ありません。
    

ニッポン全体で、日本国民全体で歴史的苦難から立ち上がろうとしている時期なんだから、何も弁解出来ない。

    
         

昨日、鹿児島県の霧島で宿泊していた時のこと。

    

偶然、顔見知りの広東語を話す一団とバッタリ出くわした。

    

   
エエ~ッ! 何でここにいるの?
       

お互いに不思議がるや、嬉しいやら。

     

    
日本の農水産物輸出先世界一位の香港で
「ニッポンを売る!」アクションを起こしている人なら多くの人が知っている
有名百貨店の知日家の社長さん(総経理)みずから九州を訪れており、日本の食材の安全性と美味しさを確認し、香港でアピールするために、担当社員はもとより、地元で最も影響力の強い飲食関係誌の記者を帯同して視察や交流を行っているというのだ。

       

しかも日本側の招待ではなく、自ら香港の旅行社を通じて手配しているというから更に驚いた。

       

今朝の報道では、
5月の統計によると、日本からの農産品の海外輸出がほぼゼロになったという状況、すなわち海外の消費者が風評で買い控えているこの逆風下に
真実を知り、それを香港で伝えようというのだ。

    

頭が下がる思いだ。

       
    
台湾だけでなく、香港の人もこうやってアクションを起こしてくれている。

       
   
ちなみに、この一団の中に日本人コーディネータはいない。

      

原発と新燃岳噴火の風評被害で、
内外の観光客が一時遠のいたという霧島で出逢えたことも有り難い。

      

                
今日も今頃、どこかの自治体や生産者団体が懸命に、
この訪日ミッションに対して、地域の素晴らしい農水産物の安全性を
紹介していることだろう。

   
真実の姿が少しでも香港や広東の消費者に伝わることを願っている。
                                    (次回に続く)
            

日本一温かな心を持つ人たち

            
震災直後、仕事ですぐに何も出来なかった僕は、
多くの皆さんと同様、自分にも何か出来る事はないかと、
福島、宮城、岩手、東京のキーマンの人たちからの要請を確認した上で
無い知恵を絞りつつ、幾度か救援物資を送ってみた。

   
    
今日もまた、その配送先からお礼状が届いた。

      

Dsc_26621

   

    
この便りは、特に就学児の皆さんに文房具などを送って欲しいという要請に基づいて送った荷物に対する、宮城県女川町の中学生からの便りである。

   

    
このたびは女川****校にたくさんの学用品を送っていただきありがとうございました。
いつも何気なく使っている文ぼう具がこの災害を経験してから、今の私たちにはなくてはならないものだんだということを教えられました。どこの誰とも知らない私たちに「何が必要だろう」とたくさん頭を悩ませていただいて本当に感謝しています。いただいたものは大切に使わせていただきます。みなさんのあたたかい気持ちを忘れずに過ごしていただきたいと思います
。」

    

    
一文字一文字丁寧に書いているのが伝わる。

     

いったいこの生徒さんはどれだけ思いやり深く、
想像力を働かせることができる人なんだろうかと
頭が下がってしまう。

      

それに彼女の両親は、学校は
一体どんな教えを施しているのだろうか?
      

友達は、地域は、どんなコミュニティーなんだろうか?

     

     
もう一枚、

このたびは、たくさんの学用品を送っていただきありがとうございます。私たちの町は、たくさんの被害にあいました。そして、たくさんの思い出や物などが流されてとても悲しいです。でも、その中、たくさんの方々がきたり、いろいろな物を送られて笑顔になりました。みなさんのあたたかい気持ちを忘れず、私も一生懸命がんばりたいと思います。今回は本当にありがとうございました。」

     

      
胸が締め付けられるほどの辛い思いと底知れぬ温かな心根が伝わってくる。

    

日本で一番、物の大切さを知り、人の心の温もりを感じ取れる人に違いない。

     

     
いつもだけれど、僕の方が学ばされる。

       

    

     
現地で絶え間なく支援活動を続け、呼びかけてくださる加藤先生、白石先生、本当にありがとうございます。

      

       
また、一緒に物心両面にわたりご支援いただいた宮崎県川南町の「お茶の大塚園」の大塚様、河野農園の河野様、貴重な情報を下さった柴田様に心から厚くお礼申し上げます。

    
       
また、明日19日から海外へ1週間出張します。

       
    
礼状を送ってくれた、このまだ逢ったことのない女学生さん達には、海外から返事を出すことにしよう。

         

        
一通の葉書 15×10センチ大が、こんなに広く大きく見えたことはなかった・・・。
          

今まで以上に動けっ!(その4)

         
 そんな危ない所にいちゃいけない!
 部屋を提供するから、親戚も連れてすぐに越してきなさい!

      
   
長年の海外の友人たちから、こんな知らせが舞い込んでくる。

         
たちというから、ひとりではない。

     
    
香港、中国、オーストラリアの3ヶ所から。
    

中国系の知人ばかりだが、
いずれも仕事でつながる金持ちの社長さんなどではない。
    
ごく市井の人ばかり。

     
      
よく日本人は礼儀正しくて親切だと評されるが、
こういう時の中国系人の本気の思いやりというのは
いつも感じるのだが、一体どんなメンタリティーなんだろうか?
とてもありがたいのだか不思議でもある。

  

    
民族性の違い? それとも歴史の厳しさの違い???
       
       
中国人の互助精神の「濃さ」は並みではない。
     

人の絆とか人脈とか一言でいうが、様々である。

     
    

 大丈夫、安心して。そちらで報道されているほどではないし、
 日本でやらなきゃならないことが沢山あるから。

       

と、せっかくの申し出に面子(メンツ)をつぶさないよう
丁寧にお断りさせていただく。

   

    
逆の立場になったら、
長年音信不通にしていた友人に対して、
果たして僕はこんなこと出来るだろうか?
                                (次回に続く)
           
    

復興の胎動

      
福島で被災した仲間のコンサルタントとようやく連絡が取れたが、住居の損傷が酷く、ライフラインも一向に改善されず、加えて放射線による影響も懸念して、家族で一時疎開されるという。
     
    
その時の思いを綴ったメールが送られてきたので
その一部を修正しないで掲載させていただく。

      

          *            *

   
       
(前略)
 貴地からのご支援、バックアップに感謝しています。
 今回の大震災によって、日本の仕組みや経済など、あらゆることが変わるでしょう。まさに大転換期になります。終戦の焼け野が原を迎えたことと同じですから、そこから新たな価値観や産業などあらゆる事物が生まれてくると思います。今までのように日本の良いものを継承するとか、今流行の6次産業化とか、そんなことではないと思います。

 たまたま住んでいる場所で、世界でも未曾有の出来事に直面し、私の中であらゆる意味で覚醒されました。
      

(中略)
 今後、最悪の事態を脱出して生き延びることが出来たら、今までとは全く違った観点からの仕事の仕方を展開したいと考えています。私の中には、どんなことをしても東北を復活させるため、あらゆることをしたいと思います。

 今度の震災で、東北が、東京だけでなく海外も含む様々な地域と連携して、全く新しい改革が実現できたらと思っています。その時はあなたのお力をお借りしたいと思います。宜しくお願いします。
(後略)

    
     

           *           *

          

 
何も解説は付け加えないでおこう。
        

見直したぞ 東京ッ!

         
今日は、一晩だけ東京に滞在している。

   
Dscn5483
東西線・竹橋駅付近

   
   

午後、千代田区のインキュベータ施設で
農商工連携の研究会が開かれた。

    

Dscn5484
ちよだプラットフォームスクエア  http://www.yamori.jp/

    
    
東京で農商工連携???

   
   

しかも、昼間人口と夜間人口の格差が圧倒的に大きく
まったく農業をしているはずがない  あの千代田区で!!!!

    

Dscn5489    

        
僕はこの招請を受けた時、
どんな話題を提供し、何を提言すればよいのか?
    

チンプンカンプンの想いでこの日に臨んだ。

     

  

しかも、最近地方での会合で僕は
地方の時代に移るには、中央に頼らず自ら主体的に成長戦略を描くべき。しかもできれば離れた地方同士でも連携して、首都圏市場や海外を目指そう」なんて過激な発言をすることがある。

    

    
この日、50名近くの農商工連携プロデューサーの皆さんが集まってくれた。

    

そのうち実際に農業に従事している方は、たったの3名。
もちろん千葉県や山梨県の生産者さんだが貴重な存在でもある。 

      
    

では、そのほかの会員メンバーの皆さんといえば
農業プロデューサー、有機農業支援者、環境・バイオエンジニアリング、流通、大学教授、経営コンサルタント、はたまた霞ヶ関の現役官僚、マスメディア、出版、女性コーディネーターなど多彩な面々。

     

Dscn5497

   
    
このメンバーは皆、組織にとらわれるわけでなく自らの信念と哲学に基づいて農林水産業の支援や地域活性化を目指して、勉強したり活動している熱いサポーターばかり。

   

   

もともと各分野の得意技を持っている人が揃っているから、その組み合わせは無限大なのだ。

    

Dscn5495
ここ千代田プラットフォームスクエアには、農商工連携の関連組織が数多く入居している

   
     

いやはやこんなユニークな可能性を秘めた連携コーディネータ集団は、東京ならではと言うほかない。

    

この談論風発、活発行動の裏には、会員の取りまとめ役である
NPO法人 農商工連携サポートセンター代表理事の
大塚洋一郎さんというリーダーの存在が大きい。

    
  
Dscn5554
右から二人目が大塚先生。この日も農商工連携と6次産業化の
双方の支援施策の意義や共通点・相違点について解り易く解説された

   
     

農業には一見無縁の千代田区が、
さながら個性家集団の梁山泊の様相だった。

    

TOKYOというメトロポリスの知られざる一面を垣間見る思いだった。

   

     

明日から、およそ一週間、
今度は関西の元気な皆さんと、少しばかり暖かい国を訪ねる計画。

  
しばし寒さから避難しますね。
           

豪雪体験と熱い志と

   
(前回より続く)

    
去年は年末まで雪がなくて、不思議がってたくらいなのに…

      
    
札幌地方は年が明けてからここ数日で、どかっと雪が降ったらしく、
地元の皆さんも少々ビックリしているみたいだった。

   

Dsc_7836
豊平川沿いの雪の堆積場。
巨大札幌シティーの除雪した雪置き場のひとつなんだ。

   
Dsc_7852
その規模の大きさは眼前に見えていてもイメージできないくらいだ

       
    
    
江別に向かう途中の自動車の窓からは、
僕がこれまで目にしたことのない積雪の情景が続く。

    

Dsc_7894
空の向こうは雪が舞い上がっているゾ

    

Dsc_7972
どうやって家から人や車が出れるんだろう?

    

     
屋根に届かんとする積雪のため、頭を挙げて上ばかり見ているが、実は凍った道を何もなさげに進み続ける座席の下のスリップが気が気でならない。

    
    
Dsc_8029
内心ハラハラ・ドキドキ   きっとよそ者心理なんだろうな

   

       
そこは地元の皆さんは慣れたものらしく、
ブレーキの踏み方から、ハンドルの切り方、車間の空け方など堂に入っている。

          
Dsc_7963
もともと6車線や4車線の大きな道路もこのとおり1車線に

    

     
雪下ろしの仕方、住宅の構造、屋内での暮らし方、そして農業や中小企業の現状について様々なことを教えていただいた。

   

Dsc_7975
寒そうに見える住宅も高気密で、中はポカポカで暑いくらいだそうだ。
真冬にビールとアイスクリームの売上げが上がるらしい???
寝る時には夏用のパジャマを着てるんだって!

    

    
つくづく日本は広くて多様だと感じた。

   

Dsc_8012
どおりで強い子が育つはずだ

       
    

自分たちの周囲のことだけで、物事は語れないことを改めて知り、
発信するものとして気を引き締め直す。

    

Dsc_7952
札幌から江別市に入る
    

Dsc_7955

     
    

     
1時間ほどで、予定通り江別市民会館に到着。

    

Dsc_8046
江別市役所前

    

Dsc_8064     

       
       

大雪にもかかわらず、地元をはじめ札幌や夕張などからも
本当に大勢の地域リーダーの皆さんに集まっていただいた。

    

    
江別市は人口約12万人の中堅都市だが、
大学が4つもあって、若い人も多く、サークルやセミナー、文化事業など積極的に活動を行う土地柄なのだそうだ。

     

Dsc_8079

    

     
予定の3時間を大幅に超過して、参加者の皆さんと地域活性化、農商工連携、海外開拓、地産地消などのテーマについて交流した。

         

時間がとても足りず、コミュニケーションが十分に取れなかったことが最大の反省点。

    

申し訳ありませんでした。
    

屋外の寒さとは正反対で、終了後も盛り上がりっぱなしのアツアツの情熱と志を持った皆さんとのエールの交換が延々と続いた。

          
    

何かが始まる予感…。

    

   

    
広陵として静寂な夜の雪景色を見つめながら、
心は上気しっぱなしで札幌の街に帰った。

    

Dsc_8104

     

    
北海道中小企業家同友会の皆さん、ありがとうございました!