パソコンが調子が悪く
入院することになりました。
全治10日くらいと診断されています。
来月の早い時期に再開を目指しますので
どうかお許しください。
<日本の農林水産物の輸出、海外展開><新時代の地域活性化><アジアとの新連携>を目指し、 海外に向けてニッポンを売り込み、地方の元気作りを支援する行動派コンサルタントの奮闘記
酷暑のただ中、熊本県阿蘇市を訪ねた。
そう、先月11日から発生した「九州北部豪雨」で
もっとも被害の大きかった地域のひとつである。
阿蘇五岳の山腹もごらんのとおり、
普段ならばこの季節、鮮やかな緑に覆われている斜面も
猫が引っ掻いたように深くえぐられた跡が生々しい。
麓の土砂ダムにはおびただしい流木や土砂が堆積し
行く手を塞いでいる。
夏休みの観光シーズンを迎え、
危険な個所を応急手当てを施され、
幹線観光道路は安全が確保されている。
連日の全国ニュースで報道されていた内牧(うちのまき)地区は、
阿蘇を代表する温泉街のひとつだが、
付近を流れる黒川が氾濫して大きな被害を受けた。
なかには1メートル以上の水が押し寄せ、
ホテルや病院に深刻な打撃を与えたという。
地域の被災廃棄物(水害がれき)置場に行ったら息を呑んだ。
おびただしい量のがれきが積み上げられている。
これでも半分以上が処理されたというのだから
その被害がいかに大きかったかが想像される。
話を聞けば、
水分を含んだ畳は、大人二人でも持ち上がらないほど
重くなるのだそうだ。
また、火山灰の土砂を含む洪水は泥流と化し、
排除がままならない。
さらに、水が引くと今度はセメントのように固まり、
手が付けられないほどの状態だったと言う。
地区の親しい畜産農家さんをお見舞いに訪ねた。
幸い、畜舎も水田、畑も
道路一本隔てて難を逃れたそうだが、
避難指示が出て数日間非難をされていて連絡がつかなかった。
当日深夜の豪雨の恐怖体験を伺い、
その後の気の遠くなるような復旧の苦労を耳にすると
かける言葉がまったく出てこない。
20年前にもこの地区では
浸水被害が出るほどの豪雨があったが
今回の被害は比べ物にならないそうだ。
このお家からわずか150メートルほどの裏手では
外輪山の麓の土砂が崩落して家屋を呑みこみ
3名の尊い命が犠牲となった。
絶句して腰が抜けてしまった。
全国、そして海外でも自然災害が多発している。
この現実にどう向き合うべきか思案しているさ中にも
また新たな被害が地域を襲い続ける。
大都市に対しても生命線の
食糧、水、空気、電気、元気を供給している地方が
次々と深刻な打撃を受けているのだ。
待っていてはもう答えは出ない。
最近、たまに一泊二日の海外出張をすることがある。
国際航空路線ほかアジアの交通インフラが発達した賜物だ。
先日もまた中国上海に一泊二日の弾丸出張を敢行した。
しかも今回は、上海だけでなく、浙江省杭州、江蘇省某市の
長江デルタ3都市を実質34時間で駆け巡る
超ウルトラハード強行スケジュールとなった。
福岡から上海まではわずか90分あまり。
そのまま上海虹橋新幹線駅に直行。
とてつもない広さの待合コンコースに、
とてつもない数の乗客が列車を待っている。
巨大中国。
脅威と映るか、後進と映るか、
それとも市場と映るか、チャンスと映るか?
あの事故からちょうど一年の新幹線(高速鉄道)に乗車し
わずか一時間足らずで杭州に到着。
1980年代初めにプロジェクトで杭州に通っていた頃、
確か3~4時間かかっていたことを思うと
ほっぺたをつねりたくなるような信じられない速さだ。
しかし、駅に降りたら、雨模様も手伝って
タクシースタンドは長蛇の列。
100人以上は並んでいた。
これも昔では考えられなかった光景。
世界文化遺産に指定され、万里長城クラスの
中国を代表する観光資源である西湖を横目に
ビジネスは時間との闘い。
この日も水墨画のごとき絶景 -西湖
その名も高き名料亭で打合せ。発祥とされる東坡肉(トンポーロー)など杭州名菜を一口も食することなく後にした…
ここで最も有名なレストラン「楼外楼」、
かつては杭州飯店と呼ばれた有名ホテル「シャングリ・ラ」で面談して
とんぼ返りで上海に戻る。
新旧織りなす上海の外景
慣れた街とはいえ、毎日変わる外観にいつも戸惑うメガシティー。
常態化した上海の交通渋滞
翌朝、専用車で江蘇省へ。
場所も、目的も明かせないが、
今、世界で最も注目されているハイテク機器の成約調印に立ち会う。
上海ガニで余りにも有名な地域ブランド「陽澄湖(ようちょうこ)」を通り過ぎる
生産も消費も、そして技術レベルも中国が世界一という
まさに世界中が注目している分野の最前線事情について
どうして日本人は、マスコミを含め理解を深めようとしないのか?
領土問題も当然重要だが、
世界やアジアがどんどん変わっている現実から目を背けることの方が
もっともっと脅威である。
調印を終え、これから日本が望むも望まぬとも関わらず
漕ぎ出さねばならないグローバルビジネスの厳しさを噛み締める間もなく、上海経由で忍者のごとく帰国した。
日本との往復を含め、わずか2日間で
これだけの行程を走破し、
これだけの案件を処理する時代となった。
ニッポンは、日帰りでさえ行ける伸張アジアの真っ只中にいる。
この現実も忘れてはいけない。