私の心に響いた言葉

若い頃使っていた手帳に挟んでいたメモに、私が日頃敬服している実践派クリエイターである森本亜矢さんの手によるブログで引用されている一編の詩に目が止まった。森本さんには、本ブログのデザインもお願いしている。
マザーテレサが愛したケント・M・キース氏の言葉だそうである。

人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたといわれるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人が出てくるでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。
蹴り返されるかもしれません。
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

「逆説の十ヵ条」と題するこの詩に初めて接したとき、目の前がパッと開け、ものの見方・考え方が180度変わったのを今でも覚えている。

入社式に想う

昨日3日は、全国各地で入社式が行われた様子が
ニュースで報道されていた。

 
 
若い人たちを見ていると
なかなか頼もしく見えたのは僕だけではないだろう。
 
 
これから向こう10年もわが国を取り巻く環境は
決して生易しいものではないと思われるが、
ぜひ明るく乗り切って欲しいものだ。
 
 
記憶を辿れば、自分の入社当時の状況とは
すっかり様変わりしていることに気づく。
 
 
オフィス環境ひとつとっても35年前と比べると、
パソコンやスマホ、インターネットなどIT機器は
ないばかりでなく、ファクシミリやワープロすら無かった。
 
テレックスという通信機器はあったものの
海外とのやり取りは電報を使い、
これが大変面倒な新人の作業だったことを懐かしく思い出す。
 
土曜日も毎週半ドンで週休二日制ももう少し先だったし、
毎月の給料も現金で手渡しだった。
 
 
携帯電話もなく、今から思えば
どうやって仕事をしていたのかと不思議でならない。
 
 
しかも、当時は通信費や海外渡航費など
べらぼうに高くて、海外業務は費用がかさむもので
特別扱いされており、繊維産業を除いて
ビジネスのほとんどが東京でしか成り立たないもの
というのが当時の常識だった。
 
 
時代は移り、技術や産業イノベーションもあり、
グローバル化という潮流が生まれ、
今日のような社会が出現した。  
まさに、滄海変じて桑田と為るという感慨が強い。
 
 
身の回りでは効率アップのIT機器に囲まれ、
世界は確かに小さくなってきた。 
 
日本を取り巻く新興国の多くが経済成長を遂げ、
奇跡を起こしたのは決して日本だけではなかったことも
証明されたのだ。    
 
その上、成長後の国の在り方が見えず
少子高齢化や未曽有のデフレなどが加わったこの約25年、
その変革変容プロセスで旧来思考から脱却せず
もがくように活動してきた自分を含む老世代から、
全く異なる価値観を持つ若い世代の活躍に
バトンタッチしていくことが最大のテーマだ。
 
 
未来は明るい。
 
 
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或る一日に想う

ょう4月3日は私の誕生日である。

 
 
365日の中の1日に過ぎないのだけれど、
この瞬間が何気なく愛おしく感じる自分だけの時。
 
 
昭和33年に生を受け
今日まで多くの人たちに支えられて生きてこられた。
 
高度経済成長、バブル景気、海外進出と
人類史上前例のない社会急伸期に
ちょうど居合わせた恵まれた50余年間。
 
 
私は志だけは大きかったが
果たして社会のため人のために
どれだけのことが出来たのかと自問すると
何一つ答えが見つからないのに愕然とする。
公立の小学校から世話になりっぱなし・・・。
 
 
これからもっと多くの人たちのお世話になりながら
生きていくのだろうと思うとなにやら恐縮してしまう。
 
 
目の前に座っている93歳になる老母を観て
自分の誕生日というより、
この人がお腹を痛めて生んでくれた記念日なのだ
としみじみ感じる。
 
 
また一枚の薄皮から脱皮する今日一日をいかに過ごそうか。
 
 
来年いよいよ還暦を迎える。
 
 
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ヒトがカナメ

この国も発展途上の段階では、
いかに優良な人材を海外や外資企業に供給出来るかがカギである。

 

以前から、ベトナム人は勤勉で真面目によく働くという
もっぱらの評判だったが、どっこい今も健在であった。

 

ここは工業団地にほど近い、
日系企業向けの人材派遣研修機関である。  

 

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もちろん日本にも研修生として派遣する窓口業務も行っている。  

 

 

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校内は、秩序正しい空気に包まれている、 
    

      
     

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校内の掲示板に反省文のコーナーがあるのには驚いた。
中には、日本語で書かれたものまである。

 

     
学生たちとすれ違うと、全員が立ち止って一礼し、
こんにちは!と笑顔で大きな声であいさつする。 

 

実に気持ちがいい。

日本式の挨拶の効用を、ここハノイで再認識するとは・・・。

 

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日本の若者をこそ、こんな機関で再教育しなければいけないと感じたのは、ひとり僕だけではなかろう。

 

   
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ごみの分別など、日本に行っても戸惑わないように
実際にシュミレーションしているほどのこだわりようだ。

 

 

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担当官に話を聞いたら、予想通り、
最近のベトナムの経済成長に伴い、
日本への研修を望む若者が頭打ちになりつつあるという。

 

 

中国もそうだ。あれだけ無尽蔵だといわれた
ワーカー人材が集まらないのが現状だ。

 

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そこで中長期的な戦略として、この機関は
二つの方向性を掲げている。

 

それは、いずれ枯渇する研修生をミャンマー、ラオスなどの
次のフロンティアに求めることがひとつ。
       

ただこの戦略は法の壁があるなど、意外に難しいのだそうだ。 

 

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もう一つの比較的現実路線が、
ベトナム人材の質的向上、高度化戦略なのだそうだ。

 

企業ニーズに合わせて、礼儀や習慣のみならず、
専門技能等の養成にも力を入れていくらしい。 

 

 

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時代の変化に対応しなければ、
ビジネスはあっという間に淘汰される。  

 

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赤ひげ病院で悟った今年の行動指針

この正月、
心の底から静かに感動した話を聞いてください。
 
 
年末休暇が始まった昨12月29日の午後
高齢の父が転倒して、額に大怪我をしてしまいました。
 
 
日曜で、なおかつ年末休暇で病院はどこも既に休みで
公的機関である急患センターへ運び込みました。
 
たまたま外科医として当直していた30代後半くらいの
一見地味な医師がテキパキと縫合処置してくれたのです。
 
脳内のチェックも、連絡がつかない薬剤部との指示も
その医師が自ら動いてくれて、
慌てて動転していた僕が正気に戻るほど
冷静沈着で完璧な応急処置をしてくれたのでした。
 
 
それでも、怪我の状態が極めてひどいので
毎日、チェックと消毒が欠かせないとのこと。
 
 
長い連休が始まったばかりで
不安に思っていたら、
 
「大丈夫。安心しなさい。
明日からは自分が勤めている
町の医院に来てください」と。
 
 
言葉通り、大晦日も、元旦も三が日もずっと
病院を開けて治療してもらっています。
 
   
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その病院は、今では珍しいくらいの古びた病院で
カルテも手書き、医・薬も分業しておらず、
70過ぎの老院長が取り仕切る 
本当にクラシカルでアナログな町医者風情なのだ。
 
 
大晦日や元旦だから、
当然、看護師さんや事務の人がいない。
 
 
その担当医と老院長と若い男性医師だけで
10人ほど来院した患者を黙々と処置していく。
 
 
機器の準備や消毒交換、絆創膏の出し入れからすべて
その二人の男性医師が駆けずり回ってこなしていく。
 
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こんなに医師が駆け回る病院は見たことが無い。椅子に座っていることがない
 
 
元旦、2日、3日の昼間にです。
 
 
それに医療事務スタッフがいなければ
普通、預かり書を患者に渡して5000円か1万円を預かって
後日精算をするはずなのだが、
ここは名前だけ書いておいて、後日支払い。
 
 
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なんと治療の掛け売りではないか!
患者が来なければ取りっぱぐれたり、
保険事務が面倒になるのは病院側になってしまう。
 
患者を信じているの?
 
 
 
しかもニコニコと、すべての患者に
 
「大丈夫、もう心配要らないよ」
      
「明けましておめでとう!」
 
「今年はきっといい年になるからねぇ」
 
と自ら寄り添い、絶対に声掛けを忘れない。
 
 
 
嫌々な義務感では決してやっていない、
正月なのにやらされている感が微塵も無く、
疲れや面倒な表情も一切見せないのだ。
 
 
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このお二人が仁術医の赤ひげ先生だ。
左の先生は、前日の元旦に24時間の当直勤務明けした朝なのだ
 
 
この信じられない光景を見て
僕は自分でも無意識に頭を深く垂れていた。
 
 
全ての患者が、その老先生・若先生に対して
笑顔で丁寧に深々とお辞儀をして
お礼を述べている。
 
 
いったいこの僕は、今まで何をやっていたんだろう?
 
 
 
確かに、医師だけでなく、
旅館やホテルのサービス業は正月が掻き入れ時だし
警察官や消防士、自衛官ほか多くの公務員も
年末年始は休む時ではなく、忙しい期間のはずだ。
     
最近は小売業も元旦や2日が初売りだったりして
正月休み返上の業界は増えている。
 
 
 
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病院の玄関には休診の張り紙がしているが、建物の中では連日てんやわんやの処置が行われている
 
 
でも、でも、
僕は、この老医師、ベテラン医師、若い医師の
日常的にすら見える淡々と、黙々とした献身介護ぶりを見て
心の底から感謝し、感動した。
 
 
 
同時に、農業の現場でも
人の目の届かないところで、
休むことなく、正直に誠意をこめて、自然相手に、
消費者の笑顔を励みに日々研鑽努力する
農林水産畜産業の生産者、支援者の姿が重なりあった。
 
 
 
おりしもTPP参加で、もっとも影響を被り、
業界改革が急務だと言われてる農業と医療の世界。
 
大規模化、近代化、効率化、IT化・・・。
 
 
一方で、このような市井(しせい)
地域に根ざして決して目立つことがない、
真の農業者、医療従事者の活動が
少しでも報われる制度にも改革して欲しいと切望している。
 
食料も命も、やはり人の手で守られているのだから。
 
 
彼らは微塵も不平不満を漏らさない人たちなのだ。
 
 
 
僕自身も謙虚に学び、自ら顧(かえり)み、
情熱と誠意を尽くすことこそ我が核心なり」と再認識し、
今からでも遅くはないと、改めることに躊躇せず
新たな一年の指針テーマとして行動したい。
 
 
 
小さな小さな正月の出来事でした。
 
 
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京都市から3時間のちりめんの里で、前のめりの人たちと熱い出会いがかなった

この間、関西と関東に出張していました。
県名で言えば、京都、東京、神奈川です。
 
 
はじめに訪れたのは、京都府の京丹後市
 
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日本海側に面している風光明媚なところで
西隣りはもう兵庫県境。
 
城崎温泉と言えば知っている人も多いだろう。
 
 
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京丹後市 峰山付近
 
 
京都市からは、まだ高速道路が貫通していないので
車で3時間以上もかかる。
 
この街にも今年もう2度目である。
 
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際立つ山海の景観もさることながら
ここで生産に励む人たちの気質、人情が
とても素晴らしいのだ。
 
新しいことにチャレンジする精神、
広い好奇心、そしてとても楽観的な人が多い。
 
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この日は、そんな地元京丹後市や与謝野町、綾部市などから
台風襲来間近だというのに生産者や支援者の方が集まってくださり
情報交換をさせて頂いた。
 
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会場となった吉翠苑
 
 
丹後と言えば、高級絹織物の丹後ちりめんがあまりにも有名だが、
食味優れる米、梨、京野菜、畜産乳製品、農産加工品、豊かな水産物などに携わる元気な生産者の皆さんと交流が実現した。
 
 
 
夕刻の帰路、与謝野町、天橋立のある宮津市、京丹後市を通って
京都の町に戻った。
 
 
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僕は素材としてのシルクに、今とても興味を持っている
 
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高速道路がまだ完成していない区間の
京丹波にある道の駅では、秋の産物がたくさん。
 
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地域ブランドの先駆けとしての存在感。
 
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京丹後の顔の見える生産者の皆さんの前のめりの表情、そして
甘辛い味付けのサバのそぼろが散りばめられた
丹後バラ寿司のお弁当のふくよかな味が忘れられない。
 
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東京招致成功に想う

2020年のオリンピック開催都市が東京に決まった。
 
 
IOCによる最終投票会場となったのが
アルゼンチンのブエノスアイレス
 
2008年8月にこの街を訪ねた時の画像を紹介する。
 
 
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世界一道幅の広い道路と呼ばれる7月9日大通り。最大で16車線もあり、カメラを片手にのんびりと渡っていたら、向こうにたどり着くまでに信号が5回も変わっていた。
 
 
オリンピック招致にあたっては、
様々な課題や議論、汚染水問題などがあるものの、
世界に向けて堂々と東京の魅力、日本の素晴らしさをプレゼンして
見事にIOC委員の心をつかんだ。
 
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この招致活動成功の要因をチームワークの勝利とか、
団結力、総合力、官民協力の勝利だと分析されている。
 
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実際に現地でプレゼンした都知事をはじめとする
当事者が口々にそう言っているから間違いのないところであろう。
 
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ブエノスアイレスの繁華街 -フロリダ通り
     
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肉料理も充実している
 
 
ただ、あえて僕の視点から言えば、
 
招致が成功したのは、立候補したからである
 
と考えている。
 
 
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魅惑のアルゼンチンタンゴに酔いしれる  ※本ステージは静止画の撮影は許可されています 
 
 
当たり前のことなのだが、
東京にもう一度オリンピックを呼ぼう!と考え付き、
これを訴えた人が必ずいるはずだ。
 
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ブエノスアイレス名物 犬の散歩屋さん
 
 
僕の記憶では当時、
何を今更新興国じゃあるまいし、
たかがスポーツなんて、
無駄遣いだ、政治家のパフォーマンスだ、
波及効果なんてたかが知れてる
 
そして最も多かったと思えるのが、
どうせ駄目に決まっている、
失敗したらどうするつもりだ、
というものである。
 
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深夜のフロリダ通り
 
 
確かに勝てば官軍。
落選していたら、一体どうなっていたんだろうと
当事者のリスクを考えると空恐ろしくなる。
 
でも、今やメディアを通じてみる全国的なこの熱狂ぶりは何なのだ。
 
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この国のヒーロー  マラドーナ
 
 
翻って、僕らも官民を挙げて、
結果が見通せない、しかも舞台は海外で、どうやっていいか解らないという状況下で、リスクを背負い、極めて高い緊張感をもって日々模索しながら、農林水産物・地域の良品を輸出するという地道な作業を積み重ねている。
 
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だからこそ、僕は余計に強く感じるのだ。
 
立ち上がらなければ、夢は実現しないのだ」と。
 
 
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ピカピカの未来に向けて

10日、九州国立博物館(福岡県太宰府市)
日中未来の子ども100人の写真展覧会」が開幕した。
 
       
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(写真展公式サイト)
 
(Facebook)
 
 
上海、北京、福岡、東京と4都市を巡回して開催されるもので
第3の開催地として、この日無事にオープン。
 
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この写真展の発起人は、三宅玲子さんという熊本県出身の
北京に在住するフリーライターである。
 
普段は、AERAという全国誌にも企画・寄稿する才色兼備の素敵な方だが、ちょうど1年前の尖閣国有化に関わる一連の騒動を観て、これは長期化するかもしれない一大事だと直感する。
 
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取材中の三宅さん。僕が中国で支援しているプロジェクトをAERA誌の取材でわざわざ天津まで現地取材してくれた(2010年10月)。この時の同行カメラマンが、今回の写真展で中国側の撮影を担当してくれた張朋君だ。
 
 
そこで、今こそ自分たちに出来ることは何かと立ち上がり
日本と中国の合計100人の子供たちの写真を集めて
展示会を開いたのである。
 
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三宅さんの呼びかけに
多くの若者を中心とする元気な人たちが集まり
四都市をリレー開催してつなぐという夢が実現した。
 
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上海、北京では大きな反響を呼び、
来場者は、上海では500人を超え、
北京では1500人に達したという。
日中の主たるメディアすべてが取材するほどの反響ぶりだった。
 
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初日も大勢の小中学生や若い女性、報道関係者の来場が
    
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日本の小学生も先入観なく中国の子どもたちの絵を見れる。日本とは違ったタッチに驚いていた
 
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ひとりの日本人女性が、
中国で発した火の粉が燎原に拡がるごとく
同じ思いを持つ両国の人たちが立ち上がった。
 
互いにもっと両国のことを知ること。
 
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日本人のほとんどが中国に良い印象を持たないという最悪のこの時期に、敢えて日中両国の相互理解の深化を提起したのである。
 
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僕は、三宅さんをはじめ、真剣に取り込もうと行動を起こした
福岡チームの皆さんの志に心打たれ、そして深く共感した。
 
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実行委員会の皆さんの行動力、熱意には脱帽です。ご苦労さまでした
 
 
とかく理想や夢というものは、「現実的であれという常識」に
時にかき消されてしまうことがある。
 
まさに、今こそ立ち上がるべき天の時。
 
 
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アンカーの東京も含め、それぞれがおよそ1000キロ等しく離れている四都市が、眼には見えない温かな気持ちと大人の態度を全土に発信し、次の世代が協力して、両国あるいは地球の安寧に寄与する環境を整えるべきだと考える。
 
    
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両国の子供たちの無垢の表情や態度を見るにつけ、
大人であるはずの僕らが、人間としてのあるべき姿、そして
同じ東洋人としての原点を暗示してくれているかのよう。
 
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最右の漢詩は李白の「天門山を望む」だ。子供が書いたなんて信じられない。それにしてもこの詩は、この時、妙に僕の心に響いた
 
 
 
関心のある方は、ぜひ会場に足を運んで感じて頂きたい。
 
 
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※東京会場は、9月27日から30日まで芝・増上寺(12:00~19:00)で開催されます
 

そう言えば・・・ (その6)

先回まで何度となく、バイクと

アオザイ姿と 変わりゆく現代女性の一コマを紹介してきた。
 
 
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目にした若い女性のアオザイ姿は
スタイルもよく、優美で華やかなんだけど
なんか街角では浮いた存在のような気がしてた。
 
 
確かに、ベトナムの女性は美しい
 
 
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でも、そう言えば、
 
実は僕が美しいと感じていたのは、
あちらこちらで働くお姐さん、おばさんたちのことだったんだと、改めて気が付いたのだった。
 
 
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何をすかした事言ってんだと思われようが、
ベトナムのどの街でもいい、一度でも
街角を歩いた諸兄なら、この感覚は共鳴してくれると思う。
 
 
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食堂の仕込み作業を黙々と、ただ黙々と
 
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移動なんでも屋さん
 
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男性だって確かに働いてはいるんだけど
女性のひたむきで一生懸命働く姿に、つい心を奪われてしまう。
 
 
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スコールが来たって何のその
 
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どしゃ降りだって平気の平左。でもお客さんも雨宿りで通らない…
 
 
かといって、あまり悲痛で過酷な労働だっていう感じもしない。
 
 
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僕らが豊かさと便利さを手に入れたのと引き換えに
なんか置き忘れてきた大切なもの
まだここには残っているっていう感じなんだ。
 
 
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今後、この国も経済成長という過程を歩むのだろうけど
大らかに頑張るお母さんたちの働く姿は、アオザイと共に
これからも失わないでほしいと心から願う。
 
 
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僕の無言の会釈に対して、笑顔で答えてくれた凛とした姿は忘れられない。苦労を重ねた末に平安をつかんだ世代だろうか。
 
 
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働いていても、やっぱり美しさへの関心が・・・
 
 
 
近い将来、この働き者で明るい女性たちをお客様として
今度は僕たちが、ニッポンのきらりと輝く逸品を
売り込む時がまもなくやって来るだろう。
 
いや、もうすでに始まっている・・・。
 
 
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重ねて言う、
 
僕はきっとこの人たちの笑顔が観たくて
またベトナムに来たいと思っているに違いない。
 
 
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                                     (シリーズ終わり)

ニッポン農業の無限大の可能性を探る旅

ベトナム編を自動アップしているこの一週間、
宮崎の元気な生産者の皆さんたちと
再び台湾の台南へ行っていた。
 
事務局の方に呼びかけて頂いたところ、
20名近くの経営者の皆さんが
一年で最も忙しいこの時期にツアーに参加して頂いた。
 
感激そして感謝です。
 
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僕にとっては、2週間ぶりの再訪で、
台南には今年、都合4回目になる。
 
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玉井区のマンゴー集荷市場で
 
もう10年を超える付き合いになる農業法人経営者の仲間で
先代からの付き合いも多く、
知己の関係を超えた同志のような頼もしい存在。
 
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検疫処理、選果選別の最先端の現場を視察する
 
 
彼らにとっては
農産物の輸出は、きっかけの序章に過ぎない。
 
「世界を相手にするニッポン農業の可能性は無限にある。」
 
という理念のもとに、次の時代を見据えて
国内外で様々な活動をしている。
 
 
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日本人技師・八田與一が企画した烏山頭ダムで
 
アジア各地の生産現場を観て、事業・交流を展開するのもそのひとつで、今回は、僕が通った台南でのマンゴーの主産地を訪ね、台南市政府の農業局長や農協に当たる組織の秘書長や現場責任者と関係構築をした。
 
同時に、参加者の中で自社の製品を
台湾向けに実証輸出を希望する全員の成約も勝ち取り、
今後の日台農業交流に弾みをつけることが出来たと思う。
 
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収穫しやすいように低木化させたパパイヤの樹
 
 
今回の訪台ミッションは、
団長に活躍目覚ましい女性の高峰由美氏を据え、また、
僕の15年来の農業、そしてブログの師匠である
やまけんこと山本謙治氏と、
京都から流通の専門家である内田貴文氏にも
同行して頂いた。
 
やまけん氏にアジアの農業現場を案内するのは
僕の長年の夢であったが
やはりいつものように僕の方が啓示をうけるばかりであった。
 
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念願の台北で魯肉飯(ローバープン)を頬張るやまけん氏
 
 
氏の日本および海外の農業生産者に対する応援の思いは
ますます熱を帯びている。
 
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僕の行動の原動力は、このような
前向き、広い視野、常に挑戦のスピリットを持つ
全国生産者・支援者の仲間からチャージされているのである。