2020年のオリンピック開催都市が東京に決まった。
IOCによる最終投票会場となったのが
アルゼンチンのブエノスアイレス。
2008年8月にこの街を訪ねた時の画像を紹介する。
世界一道幅の広い道路と呼ばれる7月9日大通り。最大で16車線もあり、カメラを片手にのんびりと渡っていたら、向こうにたどり着くまでに信号が5回も変わっていた。
オリンピック招致にあたっては、
様々な課題や議論、汚染水問題などがあるものの、
世界に向けて堂々と東京の魅力、日本の素晴らしさをプレゼンして
見事にIOC委員の心をつかんだ。
この招致活動成功の要因をチームワークの勝利とか、
団結力、総合力、官民協力の勝利だと分析されている。
実際に現地でプレゼンした都知事をはじめとする
当事者が口々にそう言っているから間違いのないところであろう。
ブエノスアイレスの繁華街 -フロリダ通り
肉料理も充実している
ただ、あえて僕の視点から言えば、
「招致が成功したのは、立候補したからである」
と考えている。
魅惑のアルゼンチンタンゴに酔いしれる ※本ステージは静止画の撮影は許可されています
当たり前のことなのだが、
東京にもう一度オリンピックを呼ぼう!と考え付き、
これを訴えた人が必ずいるはずだ。
ブエノスアイレス名物 犬の散歩屋さん
僕の記憶では当時、
何を今更新興国じゃあるまいし、
何を今更新興国じゃあるまいし、
たかがスポーツなんて、
無駄遣いだ、政治家のパフォーマンスだ、
無駄遣いだ、政治家のパフォーマンスだ、
波及効果なんてたかが知れてる
そして最も多かったと思えるのが、
どうせ駄目に決まっている、
失敗したらどうするつもりだ、
というものである。
深夜のフロリダ通り
確かに勝てば官軍。
落選していたら、一体どうなっていたんだろうと
当事者のリスクを考えると空恐ろしくなる。
でも、今やメディアを通じてみる全国的なこの熱狂ぶりは何なのだ。
この国のヒーロー マラドーナ
翻って、僕らも官民を挙げて、
結果が見通せない、しかも舞台は海外で、どうやっていいか解らないという状況下で、リスクを背負い、極めて高い緊張感をもって日々模索しながら、農林水産物・地域の良品を輸出するという地道な作業を積み重ねている。
だからこそ、僕は余計に強く感じるのだ。
「立ち上がらなければ、夢は実現しないのだ」と。
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田中 豊
地域の元気づくりと海外ビジネスを通じて、日本を元気にしたい行動派プロデューサーです。
海外ビジネスの参謀役として長年活動してきました。
とりわけ農林水産業を振興にすることで地域が元気になることを現場の生産者、支援者の皆さんと共に日々実践していることをとても誇りに感じています。
「地域を活かし、そしてつなぐこと」をスローガンに訴え、いつの時でもチャンス(chance)ととらえ、絶えずチャレンジ(challenge)し、チェンジ(change)を果たしていくことの「三つのC」をモットーにしています。
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