人生で一番高いところに登った日(その3)

宿へ着くや否やバタンきゅーとベッドに倒れこんだ。ひどい高山病である。激しい頭痛とめまいが襲ってきた。2~3時間は昏々と眠り続けたであろうか。

案内役の中国の人も起きてきたので麗江の街をひとまわりしてみようということになり、出かけることになった。若かった。旧市街がまるごと世界遺産という稀有な街で、地球上で唯一象形文字を使っている珍しい少数民族である。

はるか昔から連綿とずっと続いている生活風景は、素人の私が見ても大変興味深い。

自然と共生して生活しているその姿は、現代人の私たちの今後の在り方にきっと大きな示唆を与えるに違いない。

あんなに苦しんだ高山病も忘れたかのように、その後、民族音楽の夕べなどを楽しんだ後、宿に戻った。

夢のような一日だった。図らずも、こんな軽装で、人生で一番高いところに来るなんて。

(シリーズ終わり)

人生で一番高いところに登った日(その2)

私たちを乗せたロープウェーは、あっという間に1,106mの高さを登り、降りたった眼前に広がったのは4,000mをゆうに越える4,506m超絶景だった。澄み切った青空、氷河の林。信じられない光景が広がる。

しかし、素晴らしいところがあると必ず欠点があるのが今の中国(笑)。一歩踏み出すごとに意識が遠くなる。酸欠である。それはひどいもので本当に辛かった。

でもその傍らをスタスタと老人が駆け抜けていく。なんでもここの常連さんらしい。私は、持参した巨大な枕を吸い吸い、一歩前に歩を進めては休み休みしながら、呆然と彷徨した。

一番高いところで4.588mあった。

しばらく絶景を堪能した後、下山した。途中道すがら、鍾乳石の奇岩や少数民族の踊りや長征の史跡などを見て、ふもとのナシ(納西)族の住む麗江(れいこう)の街へたどり着いた。

(シリーズ続く)

流行り言葉

ある晩、台湾の台北の居酒屋で杯を酌み交わしながら談笑していたら、突然台湾の友人が、「ジャーベイ・フォンフアン」「ジャーベイ・フォンフアン」と叫び始めた。

こっちは何を言っているのかさっぱりわからない。日本語ができないその友人は、「おまえ、こんな言葉も知らないのかっ!」と最後には怒り出す始末。焦ってますます何のことだかわからない。

そうこうしているうちに、日本のドラマでの一節であるらしいことが分かった。それを聞いた別の日本人の友人が、「それ、倍返しのことじゃないか?」とつぶやいたら、ようやく一件落着となった。

2013年当時、半沢直樹の前作が大変なブームだった頃、台湾でも放映されて大ブームになり、倍返しが流行語になっていたのである。漢字で書くと「加倍奉還」となり、ドラマを見ていなかったのは私だけで、とても恥ずかしかった記憶が残っている。本当に私のレベルの中国語では、やはり新語や流行語には泣かされた。

閑話休題。台湾でも流行した「倍返し」というこの言葉は、復讐のイメージではなく、受けた恩を倍にして返すという良いイメージでも使う。例えば、デパートや不動産の広告コピーなどにも「倍返し特別セール」という風に盛んに使われたりした。

なかでも出色だったのが議員の選挙広告に使われていたのには驚いた。有権者の負託に倍返しで応える政治家ならいいが、年収の「加倍奉還」をもくろむ政治屋がいたら御免こうむりたいものである。

私の心に響いた言葉

若い頃使っていた手帳に挟んでいたメモに、私が日頃敬服している実践派クリエイターである森本亜矢さんの手によるブログで引用されている一編の詩に目が止まった。森本さんには、本ブログのデザインもお願いしている。
マザーテレサが愛したケント・M・キース氏の言葉だそうである。

人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく、人を愛しなさい。

あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたといわれるでしょう。気にすることなく、善を行いなさい。

目的を達しようとするとき、邪魔立てする人が出てくるでしょう。
気にすることなく、やり遂げなさい。

善い行ないをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう。
気にすることなく、し続けなさい。

助けた相手から、恩知らずの仕打ちを受けるでしょう。
気にすることなく、助け続けなさい。

あなたの中の最良のものを、世に与えなさい。
蹴り返されるかもしれません。
でも気にすることなく、最良のものを与え続けなさい。

「逆説の十ヵ条」と題するこの詩に初めて接したとき、目の前がパッと開け、ものの見方・考え方が180度変わったのを今でも覚えている。

トイレ百態(その2)

(前回より続く)
今度は、今ホットな話題を提供し続けている香港である。広東語では「界」という字をよく使う。男界女界も中国の法律が適用されるのかな。

続いては、松山市のとある観光地のトイレサインだ。さすが坊ちゃんのゆかりの街。大正ロマン薫るものになっている。

次はまた地球の裏側へ飛ぶ。情熱のタンゴの都。アルゼンチンはブエノスアイレスのタンゴクラブのトイレサイン。なんとなく哀愁が漂っている。

続いては、ベトナムのダナン付近のサービスエリアでの一コマ。明るい色調で私たちにも違和感はない。

ハノイの日本語学校のトイレサイン。男はNAM、女はNUというのか。中国語と似ている。

お次は、タイから。ウィークエンドマーケットにて。いろんなトイレサインが売っている。

同じくタイ・バンコクのワット・トライミットの中の公衆トイレのサイン。その文字にタイの雰囲気が漂う。

続いては、UAEのドバイのトイレサインだ。女性がアバヤを着ている。こちらは、アラブの雰囲気が漂う。

トイレは万国共通。どの国も奇麗になった。

第二の故郷(その2)

(前回より続く)
私の広州での仕事は、当時、日中貿易の約9割を成約していた広州交易会の日本事務局で、20日間(最初は45日間であった。)で約5000人余りの日本からはるばるやってくるビジネスマンの宿泊先の確保であった。

今のようにオンラインで結ばれているわけではなく、完全に手作業で、しかも、5000人皆が予約通りに訪れることはなかった。

台風の晩の午前零時すぎ、ずぶ濡れではるばる日本からやってきた企業戦士に、部屋が満室だからとツインの部屋に3人、4人とお願いしたり、別のホテルに誘導するときなどは生きた心地がしなかった。逃げ出したくなるような気持ちを抑えての仕事だった。

という具合に、ここでありとあらゆる仕事を学んだ。それまでは「社用で中国に行けるから嬉しい、」という素人っぽい想いが、もう行きたくないと、もろくも崩れ去った。

他方でやっと一人前になれたような気がした。

広州は昔から北京中央とは一定の距離を置いていて、しかも華僑の故郷ともあってもともとお金儲けには抵抗がない土地柄なのである。

「寧ろ(むしろ)鶏口となるも牛後となるなかれ」の精神が貫徹しており、リヤカーを引いてでも独立独歩の道を歩めと教えられた。最後まで鶏口でやってきたのもこの教えによるところが大きい。

計8回広州交易会には参加したから、その間ちょうど経済特区となったばかりの小さな漁村だった深センが、みるみる大都会に変貌していくありさまは、さながら「桑田の変」(蒼海桑田)そのものであった。

中国の劇的変化と広東で学んだあらゆることが私の未来の礎になろうとは、その時は露とも知れなかった。

トイレ百態(その1)

これは何だと思いますか?


実はこれ、沖縄の那覇市に構える、とある居酒屋のトイレサインなのだ。男・女もこうなる。

私には妙な収集癖があって、トイレのサインの画像を集めるという変な癖がある。

続いては、関門サービスエリアのトイレサイン。関門海峡といえば下関市のフグである。なんとも福々しい。

次は、神聖な太宰府天満宮にあるトイレサイン。このトイレを使うのはやはり善男全女であります。

お次は台湾台北市の居酒屋。美男子は言い過ぎだけど、水姑娘(スイ・クーニャン)とは、粋なネーミングである。

最後は、シンガポールのチャイナタウン・ヘリテージセンターのトイレサインである。

たかがトイレ、されどトイレ。
いかにも、お土地柄が出てて面白い。

(次回に続く)

本ブログを再編リニューアルいたしました

読者の皆さん、永らくのご無沙汰 失礼しました。

このたび新たに本ブログを再編リニューアルいたしました。

今まで以上に、さらに読みやすくなったのではないかと存じます。

この再編に際して、亜矢さんには大変なご尽力をいただきました。

この場を借りまして厚くお礼申し上げます。

これからも読者各位のご健勝をお祈りいたしますと共に、本ブログを何卒よろしくお願い申し上げます。

 

2013年を振り返る(ニッポンを売る!!編)

気が付いてみれば、もう師走も半ばを迎え、
まだまだ日常の作業が残っているにもかかわらず、
とてもそんな気はしないのだが、今年を振り返る頃となった。
 
 
そこで、農産物の海外輸出の総括や
内外で出会った思い出深い体験などを
拾い集めてみたいと思う。
 
 
 
まず最初には、やはり
本ブログのメインテーマであるニッポンを売る! すなわち
農林水産物・食品の海外販路開拓についてであるが、
総じて「久々に逆風が収まって、商談や企画事業が円滑に進めることが出来た一年だった」と思う。
 
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台北での展示商談会の日本ブースも、大勢の来場者で賑わった(6月)
 
 
考えられる理由としては、やはり
異次元緩和による円安側へのスイッチが挙げられよう。
 
 
とりわけ以前から輸出を続けていた高額商品ほど顕著だったように思う。
 
 
ある県のナマコを扱う事業者さんに聞いたら、
「この円安のおかげで、止まっていた輸出がようやく5年ぶりに動き出した。アベノミクス様々ですよ」
と去年までと違うほころんだ表情を見せてくれたのが印象的だった。
 
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日本産乾燥黒ナマコ。加工過程でも手間がかかり歩留まりが悪いために高額になってしまう。宝飾品のように扱われるほどの価値がある (香港で)
 
 
なにしろ、この事業者さんの乾燥ナマコの販路は
9割以上が中国と香港の海外市場で、国内向けは微々たる比率なのだ。
そんな海外市場あっての地場産業もあるのです。
 
 
水産物など高級食材もそうだし、和牛や木材なども
動き出しているようだ。
 
 
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世界中から熱い視線を浴びているジャカルタ市場
 
 
おそらく今年は、
5年ぶりに輸出額5000億円の大台を突破しているのではないだろうか。
 
ただし、僕は円安になったから自動的に売れ出したとは考えてもいないし、円安だけが伸長の要因ではないと、現場感からそう感じている。
 
 
それは、これまで海外輸出に取り組んできた事業者さんたちが
円高、風評、不景気、周囲からの冷ややかな目線、上がらない実績などの逆風にもめげず、諦めることなく「継続して」販路開拓に努めていたからこそ、この機会をとらえることが出来たのだと考えてる。
 
 
リーマンショック後の急激な円高が原因で、日本からの輸出額はずっと4500億円前後で頭打ちになったとよく言われるが、これらの全国のチャレンジャーたちが頑張っていたからこそ、この金額が維持できていたのであり、もしもこの努力や挑戦が無かったら、数字はさらに大きく落ち込んでいただろう。
 
 
その意味で、僕は、特にこの苦しい5年間をあきらめず
継続的に販路開拓に努力をした全国のすべての事業者、生産者、そして、官民の支援者、海外の関係者の皆さんに深く敬意を表したいと思う。
 
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総人口が120万人足らずの宮崎県で160名を超える参加者を集め、沸々たる活況を呈した輸出勉強会
 
 
また、この間、
輸出にチャレンジする事業者の裾野が広がっていることも挙げられる。
 
 
もっともビギナーの人たちは、円高で輸出には大変厳しい環境だったことは、ほとんど認識されていなかったのではないだろうか。
 
     
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「輸出支援の現場は必ずしも海外だけでなく、実は足元にもある!」と僕はずっとそう訴え続けている
 
 
無理もないと言えばそのとおりだろうが、
為替というものはそういうもので、円安から円高局面に向かって初めてその影響を肌で感じるものだから。
 
さきほどのナマコの事業者さんの安堵のセリフがすべてを物語っている。
 
 
また、世界中で日本食や日本文化の認知度が高まったり、
オリンピック誘致活動や海外での日本人、日本企業の活躍も目立ち始めたこと、
 
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香港のバスターミナルで(2月)
 
 
同じく円安効果や震災のイメージ改善などで海外からの旅行客も増え、おもてなしに感激したニッポンファンも着実に増えている。
     
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北海道のおへそ富良野にも本当に大勢の外人観光客が訪れ楽しんでいる(5月)
 
 
要は、僕が10年以上前から繰り返し主張してきたように
まずは我々日本人が、自分たちの可能性やその文化・技術などに
自信と誇りを持つこと。
 
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香港九龍の街頭で (10月)
 
 
元気を取り戻すこと。
 
 
そのために下向き、後ろ向き、内向きの議論ばかりしないで
まず海外にも目を向け、視点を変えてみること。
 
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ホーチミンでのブランドショップ(6月)
 
 
すなわち心の姿勢の問題だと、元気人という言葉を使って
訴えてきたつもりだ。
 
ともすれば閉鎖的な地域や業界にあって
空気を読むことが常識となっている風潮の中で
個性を生かしてトンがる人たちが現れてきた。
 
 
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ベトナム・ホーチミンシティーに拡がるコンビニ (6月)
 
 
もっとも、これからのステージでは 
熱いハートに加えて、冷静でクールな
調査分析、マーケティング、戦略発想、仕掛け仕組みの手法など
様々な取り組みが求められることは言うまでもない。
 
   
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香港で (10月)
 
 
来年はさらにチャレンジャーが増え、一律でない多様な戦略戦術が現われることを祈らずにはいられない。
 
 
そのためにも、この5年間の経験を「建設的に総括」して
これからの活動に生かしていく知恵が求められるはずだと強調しておきたい。
 

麗しの島でまた少し認識を深める旅(その4)

日本と同様、四方を海に囲まれた台湾の

年貨(正月食材)には、海産品も多い。
 
 
なかでも、目についたのが
さきいかやスルメ、のしいか等の海産珍味
 
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“ごまさきいか”とでも書きたかったのかな?たしかに、「ま」も「き」も「さ」も似てて区別できないかもね
   
日本で売られている珍味は、ここ台湾でも
たくさん作られていた。
 
きっと台湾の家庭でも、根付いているんだろうな。
 
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今では、中国大陸、東南アジア、南米などでも
盛んに製造されている。
   
  
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チリ産のアワビやサザエも定番。
 
味付けは日式だ。
 
 
もうひとつ目についたのが、これ。
 
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烏魚子(カラスミ)だ。
 
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飴色に輝く、海の宝石。 左利きの人にはたまらない逸品。
 
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台湾でも、日本の数の子のように子孫繁栄のめでたい食材だと聞いたことがある。
 
  
ほかにも、味付け海苔や昆布、戻したナマコ、魚の頭など海の幸がたくさん売られていた。
 
ニッポンと縁のあるものばかり。
 
  
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わずか20分ほどの「立ち寄り」だったけど
対象国の文化、風習を肌で感じることも
理解を深めることに役立つことだろう。
 
  
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