海を渡っていった日本人  僕らはもっと自信を持っていい!(その3)

う一つの広く知られている日本人町とも言える
アメリカ・ロサンジェルスのリトルトーキョー

20世紀に入り、多くの日本人がこの地に移住し、
太平洋戦争での惨禍を克服して
現在に至っていることは誰もが知っていることだろう。
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私は2009年に、初めてニッポン商品を売り込むことを目的に
約二年ぶりにロサンジェルスを訪れた。
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中華街(China town)のような生活臭や商売臭は全くせず
食文化も含めた日本文化交流センターのような
とても落ち着いた印象である。
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ここには本格的な和食店をはじめ、
日本食材専門店舗も整っており、
充実した品揃えで販売している。
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また、全米の窓口となる実績ある専門商社も複数あることから、
アメリカ進出のゲートウェイの役割も担っている。
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ここ数年来、世界の主要先進国では
長引く不況を背景に、人種差別的な動き、
マイノリティー(社会的弱者・少数者)差別の運動が
顕在化するなかで、
アメリカの日系人社会は
毅然たる態度でこれに向き合っている。
我々の同胞は争いのない多民族共生の在り方の重要性を
戦禍を通じて身を以って知っているのだ。
民間外交、地域間交流の果たす役割も
とても大切なんだと、今になって改めて強く感じる。
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重ねて重ねて訴える、
僕ら日本人は、もっともっと自信を持っていい!
 
 
(シリーズおわり)
 
 
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リトルトーキョーにも桜の花が・・・
 

海を渡っていった日本人  僕らはもっと自信を持っていい!(その2)

(前回より続く)

って現代。
戦前戦後を通じて思い出される日本人町では
なんといってもブラジルの日本人町と
アメリカのリトルトーキョーではないだろうか。
そのどちらにも、ニッポンを売り込むために
市場調査、販売支援活動に訪ねたことがある。
先ずは、ブラジル・サンパウロにある
日本人町(リベルターデ)
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日系移民100周年の2008年にここを訪れた。
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       第一回移民781名を載せて、1908年に神戸港より出航した
最近は中国韓国の経済発展に伴い、
商店や会社のオーナーが日本人と入れ替わるところもあり、
日本人町ではなく、東洋人街と言われるようになっているとも聞いた。
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日本的な設えのなかにもいつの間にか・・・

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とはいえ、街は活気があり、
人の往来も賑やかだ。
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日本の多様な文化も発信されている
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地球の真裏でも、情報発信することに意義がある
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地元で活躍している日系人の皆さんたちと交流もしたが、
日系人は代々、ただ開拓してビジネスするだけではなく、
子供を医者や教育者にして、地元ブラジルのために
大きく貢献するなどの積み重ねが高く評価され、
“ニッケイジン”は絶大な信用を得ているという。
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町のあちこちに銅像が
農業や土木技術などの現場でも第一線で活躍しているそうだ。
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地域に根付き、共生する先人たちの労苦に思いを寄せる
同じ民族として、自分も褒められているかのように誇らしかった。
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ここ日本人町でもかなりのニッポンの食材食品が
販売されている。
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日本のストアと遜色ない
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寿司・弁当はここでも売れ筋商品に成長
 
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国民食も海を渡る・・・
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100年前から農業技術こそが日本の武器だったはず
再び日系コミュニティーが復権する日も遠くないかも知れない。
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僕等の魂に眠るブラジル開拓の精神を
今こそ地域創生に発揮すべきである。
重ねて訴える、僕ら本人はもっと自信を持っていい!!
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リベルターデ・大阪橋のたもとにて    2008年8月

私の問題意識の原点

故知新。なぜ今過去を振り返ってこの先をみようとするのか?

 
 
それは、台頭する反グローバル主義、保護主義的な動きが
一過性のものなのか、それとも
大きな長い潮流の転換点にあるのかという
自分なりの視点をもちたいと考えるからである。
 
 
昨今の欧米先進国で相次いで生まれつつあるこれらの動きは、
単にトランプ氏に代表される
ひとりの愛国主義者が登場したことによる
大衆運動のようなものではないことが予見されるが、
その背景は、行き過ぎたグローバル化の反作用なのか、
それとも分化固定化されてきた支配層(いわゆるエスタブリッシュメント)
への挑戦など別の大きな要因と関わっているのか、
いずれにしてもこの保護主義的な動きが
どのように推移していくのかについて強い関心をもっている。
 
大航海時代以来を取ってしても、
世界はグローバル化と
反グローバル化を繰り返してきた。
私はどちらが一方的に正しくて、
どちらが間違いだという議論には組しない。
人が営む社会現象として捉えているからであり、
過去の歴史もまた有用であると考えている。  
 
 
 
元はと言えば、私の場合1989年11月まで遡る。
 
 
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時事ドットコムニュースから引用
 
 
狂喜した市民たちの手によってベルリンの壁が崩壊する姿を
万感の思いをもってテレビ中継を観ながら、
 
「次は必ず資本主義の番がくる…。」
 
 
と直感していたからである。
 
 
崩壊はしないかもしれないが、
いずれ大きな変化をきたすことになるだろうと予測していた。
 
 
 
「成長」を運命的に背負わされた企業の自由な活動を
維持する体制の行く末がどこかで息詰まることになるだろうと、
単純にいぶかってのことだったのかもしれない。
 
 
その後、数年して、それまで全く縁のなかった農林水産業のもつ
持続可能性を尊ぶ考え方に共感し、
効率追及の考えを廃して、生産者に学ぶ姿勢に転換した。
  
それが社会的な成功や貢献につながったとは言えないものの
振り返って観て、今また考えるきっかけを得た感がするのである・・・。
 
 
 
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ニューヨーク・ウォール街にて             2008年9月
 
 

見通せない時代に立ち止まって考える(その2)

英国のEU離脱といい、トランプショックといい、
圧倒的な事前予想を越える結果となった。

 

現地の高名な専門家も、調査機関も、またメディアまでもが
大方の予測を外してしまった。

 

しかも、フェアでルールに忠実な国民が

一度でた結果を受け入れることが出来ず、
反対派が騒ぎ出すという光景にも驚いた。
   
  
世界の耳目を集めるこれだけの大事を、
最新の科学的、現場的分析をもってしても
国民大衆の変化を読みきれなかったということについて、
様々な事を考えさせられた。

 
 
自由と民主、多様性を最高の価値観と尊ぶ成熟した欧米で、
国益優先主義が台頭している。
 
 
それは、拡がり過ぎた、行き過ぎた経済現象に対する揺り戻しなのか?それとも、新たなステージへ移行する、夜明け前の序章なのか? 注視していこうと思う。
 
 
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NYCウォール街にて(2008年)
 
   
一般的には格差社会、移民問題、グローバル化、IT化等の原因が挙げられているが、底流ではもっと大きな大きな地殻変動が起こっているのかもしれない。
 
 
 
地殻変動と言えば、今年は全国で
本当に大きな災害に見舞われた一年だった。
地震、火山、台風、竜巻、豪雨。
全国安全なところは、どこにもないかのよう…
 
 
まさに明日、何が起こるか誰も予測できない不連続な時間を私たちは過ごしている。
 
 
立っている足元の地面が、 今、陥没するかもしれない・・・。
 
 
うであっても、突然怒り狂う大自然相手に、
共生の道を求めて頑張っている大勢のヒーロー、ヒロインたちがいる。
 

見通せない時代に立ち止まって考える(その1)

国のEU離脱に続き、

アメリカでトランプ現象が起こった。
 
 
途上国ではなく、あの「欧米」で
いわば反グローバル的な現象が、
あたかも何の前触れもなかったかのように
大きな流れが起った。
 
 
「不可逆的」で、「新世紀の趨勢」だから
乗り遅れてはいけないと思われていたグローバル化とIT化。
 
共にその計り知れない功罪は議論されてはいるが、
こんな形で表面化するとは・・・。
これも一種の市民革命なのかもしれない。    
 
 
産業革命以来、欧米列強は世界にその覇権を広げ、
戦後日本も国土が狭く、資源が乏しい国の生きる道は、
貿易立国だと信じ、世界に羽ばたいてきた。
 
 
長い不況とデフレにあえぐ日本が選択した処方箋が
FTAやTPPに代表される更なるグローバル化への深化のはずだった。
 
 
「オルタナティヴ(既存に替わる)でサスティナブル(持続可能)な社会を」なんて、滑稽なほどの言葉の変化にも必死で付いていこうとまでして・・・。
 
 
 
いずれにせよ、これまで世界が体験したことのない更なるステージを迎え、これからしばらくの間、このグローバル化と反グローバル化の狭間で、地方の元気な皆さんと共に乗り切っていこう。
 
 
ブレる必要なんてない。
  
柔らかな発想と高いアンテナを張り続けて
信念や夢を貫き通せばいい。
 
 
 
変化はチャンス」だ。
 
 
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ニューヨークにて

ヒトがカナメ

この国も発展途上の段階では、
いかに優良な人材を海外や外資企業に供給出来るかがカギである。

 

以前から、ベトナム人は勤勉で真面目によく働くという
もっぱらの評判だったが、どっこい今も健在であった。

 

ここは工業団地にほど近い、
日系企業向けの人材派遣研修機関である。  

 

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もちろん日本にも研修生として派遣する窓口業務も行っている。  

 

 

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校内は、秩序正しい空気に包まれている、 
    

      
     

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校内の掲示板に反省文のコーナーがあるのには驚いた。
中には、日本語で書かれたものまである。

 

     
学生たちとすれ違うと、全員が立ち止って一礼し、
こんにちは!と笑顔で大きな声であいさつする。 

 

実に気持ちがいい。

日本式の挨拶の効用を、ここハノイで再認識するとは・・・。

 

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日本の若者をこそ、こんな機関で再教育しなければいけないと感じたのは、ひとり僕だけではなかろう。

 

   
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ごみの分別など、日本に行っても戸惑わないように
実際にシュミレーションしているほどのこだわりようだ。

 

 

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担当官に話を聞いたら、予想通り、
最近のベトナムの経済成長に伴い、
日本への研修を望む若者が頭打ちになりつつあるという。

 

 

中国もそうだ。あれだけ無尽蔵だといわれた
ワーカー人材が集まらないのが現状だ。

 

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そこで中長期的な戦略として、この機関は
二つの方向性を掲げている。

 

それは、いずれ枯渇する研修生をミャンマー、ラオスなどの
次のフロンティアに求めることがひとつ。
       

ただこの戦略は法の壁があるなど、意外に難しいのだそうだ。 

 

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もう一つの比較的現実路線が、
ベトナム人材の質的向上、高度化戦略なのだそうだ。

 

企業ニーズに合わせて、礼儀や習慣のみならず、
専門技能等の養成にも力を入れていくらしい。 

 

 

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時代の変化に対応しなければ、
ビジネスはあっという間に淘汰される。  

 

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4半世紀ぶりの訪問

に24年ぶりのハノイ再訪である。

 

1992年以来ということになる。当時は日本から直行便はなく、
行き帰りはバンコク経由しかルートがなかった。

ビザの手続きもベトナム商工会議所が一元的に管理しており、
全行程に現地のガイドの同行が義務付けられていた。

入国時は、荷物検査がやたら厳しく、
蒸し暑い税関を通過するのに2時間くらいかかったことを
覚えている。

 

そして月日は流れ、2016年
  
   

日本の援助で建てられたのだろうか?
ハノイ・ノイバイ空港は、日本の施設と見間違えるかのような外観と内装のとても近代的な空港ビルに変貌していた。
  

 

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今やイミグレや通関のスムーズさは、日本のそれを凌ぐかのよう・・・。

 

でも出迎えゲートの人混みとムッとむせ返るような熱気は当時のまま。

 

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空港から出迎えのバスに乗り、そのまま近郊の
タンロン工業団地」を視察した。
   

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ここは日本の商社が開発した北部ベトナムを代表する工業団地である。

 

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そのほとんどが日系企業で、錚々たる大手メーカーが整然と軒を連ねている姿は、
さながら30年前の大連や広東、江蘇などの経済特区や保税区を思い起こさせる。

   
企業のアジア展開も多様化している。

 

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先行モデルがあって、後発者が追いつくスピードは、
予想をはるかに超える速度で進み、そして過ぎていく・・・。

 

 

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未来志向の産業として

公益財団法人 九州経済調査協会から

今年も「九州経済白書」が刊行された。
 
1967年に創刊され、今年で47回目を迎えるという。
 
 
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常に九州の産業経済の指針である同白書であるが
その年に採用されるテーマは、
地域を展望するにあたっての有効な「切り口」であり、
いつも高い関心をもって注目している。
 
これまでも僕の専門である
「アジア・中国」や「フードアイランド」といったテーマになった時は
自分の観点・視点にお墨付きをもらったような気分がして
とても心強い存在であった。
 
 
今年のテーマは、ずばり農業である。
 
アグリプレナーが拓く農業新時代」とあり、
農業と企業家(アントレプレナー)を合成したものを
アグリプレナーと定義し、僕の好きな
「挑戦」、「開拓」という思想が全面に展開されており、
未来産業として農業が位置づけれられている。
 
 
九州の産業経済に最も深い知見を持つエリート集団である
調査協会が今回初めて農業に着目したことは、
感慨深いものがあり、同時に
単なる伸びしろのある成長分野というだけでなく、
将来、社会の価値観が変わる可能性をも含むのでは?などと、僕は勝手に解釈している。
 
 
7つの県を合わせたひとつの「島」としての九州では
その農業産出額は全国の2割を超えており(2011年)
関東とほぼ同水準の全国2位のブロックである。
 
 
この多様で特徴ある農業を内向きに捉えず、
戦略的に活かすことで
もっともっと元気で豊かな地域が各地で復活することだろう。
 
 
白書では、新たに挑戦する数々の農業事例が盛り沢山で
海外に向けた農産物輸出についても章を設けられており
体系的に理解したいのであれば、ぜひとも一読を薦めたい。
 

受け入れられるか?ニッポンの食文化

ジャカルタの高級ショッピングモールは

ただただ驚くことばかり。
 
階上のフードコートレストラン街は
広くてシックな雰囲気で、
東京や香港の高級モールと少しも変わらない。
 
 
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イタリアン、シーフード、エスニック、中華、
お馴染みファストフード、コーヒーショップなどに加えて
和食、居酒屋バー、カレー、ラーメン、唐揚げ、スイーツ等
日本式がとにかく目立つ。
 
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日本の食品サンプルはジャカルタ市民にはどう映っているのだろうか?
 
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イスラム教徒の多いこの街で
各店とも健闘している。
 
ジャカルタでも非ムスリム客の消費が見込めるのだろうか。
 
 
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世界中で見られるようになったお馴染みオレンジ色の看板
 
 
市民も豊かな食事を落ち着いた雰囲気で
楽しんでいるよう。
 
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お買い物も同様。
 
 
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高級スーパーにも富裕層や豊かさに触れたい消費者が
数多く訪れていた。
 
店内だけを見れば、香港、シンガポール、バンコク等と
少しも変わらないアイテムの豊富さだった。
 
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ただ、日本食品関係は、バラエティーに乏しく
他のアジア成熟市場に比べ、あきらかに見劣りがする。
 
醤油、味噌、ワサビなどの調味料、菓子類、
そして、なぜだかお馴染みのスポーツ飲料が目についた。
 
 
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品質にも厳しそうなジャカルタの富裕層
 
 
やはりここでも
これからのジャカルタマーケットの可能性を
垣間見ることが出来たような気がする。
 

ひとり二台持参のモバイル空間に漂い、滄海桑田の想いに至る

その超高級ショッピングモールの階上には
大きなフードコートがあるんだけれど、

どんな食材があるのかよりも
目についたのが、
スマホかタブレット端末か
モバイルパソコンかのどれかをみんな持っていること。
 
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特に若い女性が盛んにカチカチやっている。
 
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この女性も“二台持ち”
 
 
こんな光景は日本と少しも変わらない。
 
いや、日本よりスゴイかも
 
 
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僕には未だにパソコンとスマホの使い分けがわからない…
 
 
レストランでは、若者たちが
ひとり一台ずつのパソコンとスマホを使って
ワイワイとコミュニケーション。
 
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秋葉原のような携帯電話を扱う雑居ビルにも潜入。
 
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ブラックベリー(BlackBerry)という機種が
この国では圧倒的な人気らしい。
 
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一転、外に飛び出し
公園でこんな風景を見ると、僕は一瞬混乱する。
 
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露天物売りのお兄さんまで
携帯やスマホを持てるほどの豊かさなんだろうか?
 
それとも、本業があってスマホを持てる兄さんが、
たまたま余暇でも商売に励む勤労青年なのだろうか?と。
 
 
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何処に行っても、どんな時でも
携帯・スマホは若者たちの日常ツールだ。
 
 
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