いよいよ大晦日の晩を迎えてしまった。
ブログを復活といいながら、
結局、最後まで出張が続き、慣れない腰痛のために
今年は歳末の締めくくりの作業が何も出来なかった。
大掃除、名刺整理、買い物、そして年賀状もまだ。
皆さんに言った事が果たせず、
自分の見の回りの事も果たせない有様だ。
伏してお詫び申し上げます。
大晦日といえば、日本では年越し蕎麦を食べる習慣がある。
たぶん細く、長く元気で暮らせるように、
との願いからではないだろうか。
蕎麦といえば、盛岡に行った時いただいたわんこ蕎麦を思い出す。
やっとのことでも100杯を頂いたので、
まぁ、何とか一人前(!?)でしょう。
盛岡市内を流れる北上川
また、中華圏では、餃子を包んで食べる習慣がある。
年が改まる(交わる)大晦日の晩、家族全員で餃子を食べる。
中国で餃子といえば、一般に水餃子を指す
食へんに交わる、と書く。
子の刻(12時)に年が改まる時の交子(ジャォズ)と発音も同じだ。
また、餡を包み込むことから家族団らんや
形が金やおカネに似ていることから、
きっとおめでたい食べ物なのだろう。
でも、餃子といえば、
12月に訪ねた栃木県宇都宮での印象は、改めて強烈だった。
外はパリッパリッ、中はジュワ~ッ
生産高日本一のニラを食べるのに餃子は格好の食べ方提案。
この街の餃子に対する思いは一際強い -JR宇都宮駅前
6次産業化に関する交流会では、
管内の若い生産者・事業者の熱気も印象的だった。
何かが胎動している…。
2010年は、僕にとって多難な年であった。
宮崎の口蹄疫、全国的な異常気象、政治・社会の不安定など
個人や一組織の努力だけではなんともならない無力感を感じた。
その一方、もまれる荒波の中で、一縷の希望を見出し、
再生への誓いを立てた たくましい人間の姿も幾度となく遭遇し、
自分の弱い心に何度ムチを打ったことか。
海外に眼を向ければ、
円高、不況、余裕のなくなった各国の利害やエゴがむき出しになり、後半は特に、尖閣、国後、延坪島砲撃など東アジアで様々な「衝突」を繰り返した。
米国の影響力の低下や中国・ロシアの台頭もあるが、
私は日本の20年来の自己改革の停滞が引き起こした結果であると観る。
かたやTPPやFTAが議論され、
世界は自由往来時代の到来かと思えば
一方で緊張状態が東アジアで頻発している。
あたかも世界の紛争地帯が中東から移動してきたかのように…。
今こそ、ニッポン人は覚醒し、
地方から、個人から自らを変革して、
外に向かってこの時代の荒波に立ち向かうべき時がやって来た。
嬉しいことに今年、
日本全国、世界各地に、ビジョンを共有できる多くの仲間が出来た。
パワーは人なり。
2011年の幕は、まもなく開こうとしている。
今年一年間、
皆様のおかげで何とか頑張ってこれました。
心から厚くお礼申し上げますと共に、
新年もまた引き続きご愛読、ご交誼のほどお願い申し上げます。
ありがとうございました。
京都にて(8月)