今まで以上に動けっ!(番外編)

   
エントリの更新が滞ってしまい
本当にごめんなさい。

   

  
今日から急きょ海外に出張することになりました。

   

次回のアップは4月28日頃の予定です。

しばらくお待ち願います。

   

被災された皆様方が、一日も早く、ひとりでも多く
安寧な生活に戻られますことを心からお祈り申し上げます。

   

今まで以上に動けっ!(その6)

                        
バルセロナ Barcelona

   

スペイン第2の都市、商業の中心でカタルーニャ州の州都である。

   
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1992年の夏季オリンピック開催都市で、
水泳の岩崎恭子、柔道の古賀・吉田の金メダル、マラソン森下・有森、体操池谷幸雄の銀メダルというと思い出す方も多いだろう。

      
      

もちろんスペインは今回が初めての訪問であるが、
一昨年に訪ねたアルゼンチンのブエノスアイレスの街に一目惚れしたので、宗主国としての同じ文化に強い興味を持っていた。

   
正に期待に違わぬ素晴らしい街だった。

      
         

詳しい訪問記は機会を改めて紹介することにしよう。

   
      
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サン・ジョセップ(ボケリア)市場

    

     
この街でもフランスボルドー同様、市政府、対外貿易支援機構、見本市事務局、起業インキュベーターほか、バルセロナの誇る基幹産業の事務局などを訪ねたが、どの幹部からも東日本大震災に対する丁重な見舞いと協力支援の暖かいメッセージを受け取った。

   
    

目抜き通りであるランブラス通り。
   

昼夜を問わず、そぞろ歩きをする人たちで賑わっている。
     

   
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ここを歩いていても、
日本の震災や原発関連の雑誌や記事が溢れていた。

    
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また、バルセロナといえば、シンボル的な存在で世界文化遺産であるサグラダファミリア教会がある。

     

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ここもたぶん後述すると思うが、
その威容の荘厳さと言葉を失うほどの心の震えを感じる衝撃を体全身に受けた。

    
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教会の関係幹部(実はすごい日本人)によると、
今月下旬に、ここサグラダファミリア教会で、
日本の震災犠牲者を追悼するための大規模なミサが開かれるという。 
       

          
       
それほどまでに、今回の日本の震災は世界の至る街に衝撃と哀悼、そして地球人としての連帯感をもたらしたのであった。
                                     (次回に続く)

    

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サグラダファミリア教会の塔上からバルセロナの街を眺める
          
  

今まで以上に動けっ!(その5)

                    
フランス西南部に位置する風光明媚な街 ボルドー Bordeaux 。

    

言わずと知れたフランスワインの聖地である。

    
   
成田から延べ14時間の飛行時間をかけてやってきた。

   

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パリでトランジットしてやってきたのだが、
この街でも日本の震災のニュースは連日報じられていた。

    
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ボルドーの街頭のとある本屋で。 ル・モンド紙の東日本大震災の記事に併せて日本関連の書籍を特集している
    
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特に原発に関する日本の推移には、特に強い関心が払われていることは、皆さんにも想像に難くないはずだ。

         

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市政府や商工会議所をはじめ各機関や企業を訪問しても
まずは東日本の震災に対する見舞いを受け、
口をそろえたかのように、
日本人の危機的状況下でも秩序正しく、
冷静な対応をしていることへの賞賛が浴びせられた。

     
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ボルドー市政府庁舎

   
   

同じ日本人として、東北や関東の皆さんのことが誇らしい。

    
      
ボルドー市長であり、現職の外務大臣でもある
アラン・ジュペ(Alain juppe)市長が
リビア問題で大変なさなか、ボルドーに帰還され、
私たちに震災のお見舞いのメッセージと記念品を贈ってくださった。
(当日、市長ご本人とは急用で面会できなかった)

  
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ジュペ市長からは、
被災され避難を余儀なくされている皆さんに対する支援まで言及されたそうである。

     
    

特に今回の事業パートナーであるボルドー市政府とは綿密な協議を行ったが、来年にかけて、日本の応援も兼ねた事業も進行するかも知れない。

    

    
   
文化局関連の提案として、今月、ボルドーの地元ロックバンドが、緊急に来日し、新潟をはじめ日本の各都市でチャリティーコンサートを開く予定だということで、メンバーの皆さんがわざわざ面会に来てくれた。

  
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彼らがリリースしたCD.

   
遠い日本について、今も進行中の余震や原発の恐ろしげな報道もある中で、さぞや大きな決断だろうと感服するが、こういう非常時には、ロック野郎の方が、生チョロケの秀才よりよほど頼りになるもんだなぁなんて感心もした。

            

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GUAKA JAPAN TOUR 2011
http://handosomethief.blogspot.com/2011/04/guaka-la-banda-borracha-live-en-la.html

      
      
コンサートの成功を祈りたい。

      

ジュペ市長をはじめ、ボルドーの多くの市民からあふれんばかりの応援メッセージに加え、文化や観光、ファッション、ワイン、経済交流を通じた元気の出る企画の数々を手にして戻ってきた。
                                    (次回に続く)

   
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今まで以上に動けっ!(その4)

         
 そんな危ない所にいちゃいけない!
 部屋を提供するから、親戚も連れてすぐに越してきなさい!

      
   
長年の海外の友人たちから、こんな知らせが舞い込んでくる。

         
たちというから、ひとりではない。

     
    
香港、中国、オーストラリアの3ヶ所から。
    

中国系の知人ばかりだが、
いずれも仕事でつながる金持ちの社長さんなどではない。
    
ごく市井の人ばかり。

     
      
よく日本人は礼儀正しくて親切だと評されるが、
こういう時の中国系人の本気の思いやりというのは
いつも感じるのだが、一体どんなメンタリティーなんだろうか?
とてもありがたいのだか不思議でもある。

  

    
民族性の違い? それとも歴史の厳しさの違い???
       
       
中国人の互助精神の「濃さ」は並みではない。
     

人の絆とか人脈とか一言でいうが、様々である。

     
    

 大丈夫、安心して。そちらで報道されているほどではないし、
 日本でやらなきゃならないことが沢山あるから。

       

と、せっかくの申し出に面子(メンツ)をつぶさないよう
丁寧にお断りさせていただく。

   

    
逆の立場になったら、
長年音信不通にしていた友人に対して、
果たして僕はこんなこと出来るだろうか?
                                (次回に続く)
           
    

今まで以上に動けっ!(その3)

          
週の台湾・台北。
      
      
日本産農水産物にあって、青果物に限っては輸出先として世界一の市場であるこの街では、輸出する側はもちろんの事、輸入する側だって日本産にこだわった事業者が多いだけに、今回の地震と津波、そして原発の風評はとても気になるところである。

      
    
そんな中でも半年先の商談や新規プロジェクトも、
きっと良くなるはず、と互いに信じて話をまとめ上げ、固い握手をするという異例の事態に。
              

       
そんな時節に、この国の人々は、日本に対する応援にはまったくの躊躇は無い。

    
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今年、新規プロジェクトに合意した台北のホテルの玄関にしつらえられた応援メッセージ。道行く人が皆、目にしていく

   
    

現地の報道によると、震災発生後二週間もたたないうちに21億台湾ドル(約57億円)の義捐金が集まったとか(現在は100億円を突破したという報道もある)、避難のために部屋を提供すると申し出も数知れないという。

   

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私たちの愛で、この親子をお家に帰すことが出来る・・・」
台北の大手コンビニでの募金の呼びかけポスター

    

    
     
台北のとあるレストランで夕食をとっていたら、
隣のテーブルに陣取っていた10人ほどの地元の若いグループと意気投合。

    

もちろん地震見舞いの言葉が自然とついて出てくる。

    
            
ガンバッテ クダサイ ネ!!
     

是做人基本的道理!!
(人として当たり前のことです)

    

 
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日本との直接のビジネスは無い証券関係の会社だが、
社員全員が一日分の給料をすぐに寄付したのだそうだ。

      

台湾921大地震や88大水害の時、僕ら日本人はどうだっただろうか。
(ちなみに日本からの救援隊は緊急かつ数多く派遣された)

    
     

    
香港でもジャッキーチェンなど芸能人や財界人がチャリティー活動を始めていた。

    
        
2008年の四川大地震や去年の中国大洪水の時の香港人の救済支援活動もまたすさまじかった。

    
(反日ではないスローガンで、オリンピックに続いて、中華民族が一致団結しているシーンでもあった。また、海外の格差がよく指摘されるが、その多くの国では、持てる人はそれだけイザという時の拠出や義務も大きいことが多い)

   

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思い起こせば、
2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行した時、
その原因がわからず、当局の発表が二転三転する中、
バタバタと死者がでたときも、
香港の医師や看護師たちが自分の身の危険も顧みず、
野戦病院化した環境で決死の治療活動をしていたのを
僕は現地で感動して観ていた。

     
(東北や関東での救援活動や原発処理する皆さん、そして去年、宮崎の畜産関係者が口蹄疫を絶対に圏外に出さないと必死の防疫活動をしていた姿と二重写しになる)

     

その真っ只中、香港からの観光客が日本に入国して、どこをどう廻ったなどとマスコミが過剰に反応して全国がプチパニックになったのをみて、当時、僕は仕方がないとは言え、少々恥ずかしかった記憶がある。

   

遠い所ほど過敏になるものなのだろう。

   
    

今や立場は逆転。
    

でも、その時の態度が本性を表してしまうようで、知らずと背筋が伸びる。
                                       (次回に続く)

   

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台北で宿泊したホテルの近くの路地にて
     

今まで以上に動けっ!(その2)

                     
難といえる歴史的大震災に見舞われ、
目を覆うような光景が広がる中、
現地でたくましく勇敢に、救援と復興に向けて立ち向かう被災者の皆さんとそれを応援する全国の日本国民がひとつになって
ニッポン頑張れ、日本人の心ははひとつ
と団結を誓い合う、あふれるほどのメッセージや活動を目にするにつけ、未曾有の不幸の中にも、とても頼もしく、誇らしい思いがするのは、ひとり僕だけではないだろう。
       
    

同時に、ここであえて強調したいのは
この震災を通じて、日本と世界各国がより緊密に、より近くなった、ということである。

    

世界の数多くの国々から
被災者の皆さんへ哀悼とお見舞いのメッセージが送られ、
想像をはるかに超えるスピードと規模の義捐金や支援の手が差し伸べられている。

    

また、原子力に関する技術的支援や同盟国からは軍事的救援オペレーション、そして今現在も食糧や水、様々な物資が各国から寄せられている。
    

さらに、メーカーや流通業をはじめ様々な関係者が需給動向を見ながら、海外で農水産物も含め食品や各種エネルギー、生活物資などを機敏に調達しているし、支援の意味も込めて中国や東南アジアのメーカー側も最優先で協力してくれているケースも知っている。

      

僕自身、震災後5ヶ国を廻って、どこを訪ねても
見舞いと慰労のメッセージから始まり、
秩序と互助精神にあふれる日本人への賞賛、
そして思いもよらない具体的な支援のアイデアや行動が披露された。

         
これには、僕も驚いた。

     
    
街を歩いていても、アジアでは僕が日本人だとわかると
優しい声をかけてくれることもあり、こんな体験は初めてである。

     
     
世界は、僕らが考えている以上につながっている
      

海外からの支援無くては、復興も成り立たない。

      
    

これも、これまで日本が戦後、事あるごとに、
世界中に広く支援をしてきた結果
でもある。

    
          
これまで幾度か日本外交の批判を聞いたことがあるが、
僕は、イデオロギーや体制を可能な限り乗り超えて、
世界で最も隔たり無く、平和的なポジションに対して、
戦後広く支援をしてきた、この原則と実績
については、
国民として誇りに思い、評価したい。
   
      

日本人の団結はもちろん最も尊いが、
地球環境や自然の猛威を前にして、
国境を越え、地球人全体の共通の問題として捉えている中で
これからの長い復興の道のりを歩んでいくことも再認識しておきたい。
                                         (次回に続く)
              

今まで以上に動けっ!(その1)

      
4月1日を迎えた。
    

こんな気持ちで新年度を迎えたことは
かつて無かったこと。

   
      
日々報じられるニュースに慣れる事は一日たりとも無く、
毎日がエイプリルフールであれば良いのにと、
フト考えてしまうほどだ。

   

      
自分に出来ることを精一杯やる

                  
被災しなかった国民全員が心に期しているテーマである。

 
   

無関心でいることと同様、
被災者の皆さんに同情・共感する余り、
過度の自粛や、辛い気持ちになって、ただジッとして
何もしないことは避けるべきだと考える。

      

      
僕に出来ること。
   

それは、やはり海外と日本を行き来をして
海外の人たちに出来る限り正しいことを伝え、
海外で起こっていることを出来るだけ冷静に認識・分析すること。

             
そして、日本再興のために、
次の一手として何をどう進めるかの知恵を出すこと、行動を起こすこと
これに尽きている。

   
      

 この半月の間、まず被災地の一部であるが現場の初歩的な状況を把握し、宮城と福島の被災した仲間の声を聞き、とりあえず打てる手を打ってから、ヨーロッパとアジアを廻ってきた。

    

震災後、ほぼ地球を一周してきたことになる。

         

   
世界中で震災のニュースが連日駆け巡り、
また日本を応援する各国での支援活動や仲間の激励を受けてきた。

   

嬉しいエピソード、そして厳しい現実の両方の体験を通して
僕も被災した国民のひとりとして、
絶望と希望のはざまを幾度となく行き来した。
                                                                          (次回に続く)