先週の台湾・台北。
日本産農水産物にあって、青果物に限っては輸出先として世界一の市場であるこの街では、輸出する側はもちろんの事、輸入する側だって日本産にこだわった事業者が多いだけに、今回の地震と津波、そして原発の風評はとても気になるところである。
そんな中でも半年先の商談や新規プロジェクトも、
きっと良くなるはず、と互いに信じて話をまとめ上げ、固い握手をするという異例の事態に。
そんな時節に、この国の人々は、日本に対する応援にはまったくの躊躇は無い。
今年、新規プロジェクトに合意した台北のホテルの玄関にしつらえられた応援メッセージ。道行く人が皆、目にしていく
現地の報道によると、震災発生後二週間もたたないうちに21億台湾ドル(約57億円)の義捐金が集まったとか(現在は100億円を突破したという報道もある)、避難のために部屋を提供すると申し出も数知れないという。
「私たちの愛で、この親子をお家に帰すことが出来る・・・」
台北の大手コンビニでの募金の呼びかけポスター
台北のとあるレストランで夕食をとっていたら、
隣のテーブルに陣取っていた10人ほどの地元の若いグループと意気投合。
もちろん地震見舞いの言葉が自然とついて出てくる。
ガンバッテ クダサイ ネ!!
是做人基本的道理!!
(人として当たり前のことです)
日本との直接のビジネスは無い証券関係の会社だが、
社員全員が一日分の給料をすぐに寄付したのだそうだ。
台湾921大地震や88大水害の時、僕ら日本人はどうだっただろうか。
(ちなみに日本からの救援隊は緊急かつ数多く派遣された)
香港でもジャッキーチェンなど芸能人や財界人がチャリティー活動を始めていた。
2008年の四川大地震や去年の中国大洪水の時の香港人の救済支援活動もまたすさまじかった。
(反日ではないスローガンで、オリンピックに続いて、中華民族が一致団結しているシーンでもあった。また、海外の格差がよく指摘されるが、その多くの国では、持てる人はそれだけイザという時の拠出や義務も大きいことが多い)
思い起こせば、
2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)が流行した時、
その原因がわからず、当局の発表が二転三転する中、
バタバタと死者がでたときも、
香港の医師や看護師たちが自分の身の危険も顧みず、
野戦病院化した環境で決死の治療活動をしていたのを
僕は現地で感動して観ていた。
(東北や関東での救援活動や原発処理する皆さん、そして去年、宮崎の畜産関係者が口蹄疫を絶対に圏外に出さないと必死の防疫活動をしていた姿と二重写しになる)
その真っ只中、香港からの観光客が日本に入国して、どこをどう廻ったなどとマスコミが過剰に反応して全国がプチパニックになったのをみて、当時、僕は仕方がないとは言え、少々恥ずかしかった記憶がある。
遠い所ほど過敏になるものなのだろう。
今や立場は逆転。
でも、その時の態度が本性を表してしまうようで、知らずと背筋が伸びる。
(次回に続く)
台北で宿泊したホテルの近くの路地にて
田中 豊
最新記事 by 田中 豊 (全て見る)
- 人生で一番高いところに登った日(その3) - 2021年2月10日
- 人生で一番高いところに登った日(その2) - 2021年2月5日
- 人生で一番高いところに登った日(その1) - 2021年2月1日