弾丸列車の内部事情

           
イデデデデデデ・・・。

   
   
生まれて初めて腰を痛めてしまった。 不覚…。

       
   
低周波治療器とシップ薬、そして腰ベルト(コルセット)で固めて
平然顔をしているのは、結構辛い。

      

ブログの更新が滞って、大変失礼しました。
深くお詫びします。

         

     
今、長野県上田市からアップしています。

    
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手前は真田幸村像、奥はJR上田駅

     
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清流・千曲川

     
    

農商工連携の事業で、
圏内一円から元気な生産者や事業者、支援者の皆さんが一堂に介し、熱い議論や積極的な販促活動を繰り広げています。

   
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この3週間、とても公表できないような過密スケジュールと移動で、
しかもまたこの先およそ5週間も同じような調子で動いていくのだから気が遠くなる。
     

        
このスケジュールを知った知人が、

オンボロな弾丸列車みたいだ。」とゲラゲラ嘲笑してくれる。

     
     
その弾丸列車、
実は腰だけでなく、体も心も相当蝕まれている。

       
      
     
今日の上田の皆さんのような、元気で、前向き、外向きな交流であれば、動くほどますます充電出来るのだが、

9月頃からだろう、また地域の景気が落ち始めているのか
経営が厳しくなった事業者さん、販売のめどが立たず厳しい状況に陥った生産者さんが顕在化し始めていて、なんともやり切れない毎日が続いている。

     
   

元気を出そうよ!と、互いに気合いを入れることで立ち直ってくれる人もいれば、すぐに相談先、支援先を見つけて対処を始める人、さらに緊急入院や手術が必要な事業者さんもあり様々なのだ。

    

    
口蹄疫や円高、異常気象や災害、規制強化や公共投資削減などもあり、皆、否応なしに自助努力せよと称して、過去のやり方が通用しなくなった大海に放り投げだされている感がある。

      

これからさらにグローバル化、自由化、規制緩和などの大波が打ち寄せてくることが必至のニッポン。

    

僕も腹を据えて向き合っていこうと覚悟している。
      

腰の痛みなど気にしている場合ではないのだ。

       
     
尖閣問題や政治浄化問題も国の根幹を決める大事な問題だけれども、国民の関心がそちらの方だけにヒステリックに傾斜していくのはどうなのだろうか。

         
      
僕も中国・アジアにも関わっている以上、避けては通ることは出来ない問題だが、どう考えても、今、我々ニッポン人として、まず何をなすべきかについて、待ったなしの状況にあると思うのだけれども。

     
    
感情的に火が着き易い問題に関心を奪われているその間に
この国の行く末が、益々制約されていくようで
僕の心の中は危機感で充満している…。

            

     

あっ、そうそう。先回のブログのエントリの続き。
      

長崎で一日の終わりにもう一ヶ所、さるいて(散策して)きたという話の続きです。

      
あれから急いで出かけたのは、閉館間際の亀山社中の史跡でした。

         
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画像はネットから引用

     
   
幕末の脱藩浪人たちによる結社・内外交易の拠点。        
わが国最初の商社とも言われていますよね。

          
以前、よくここに通っていた時分は、いつも人も少なく静かなもので
畳の部屋に腰を下ろして、柱に寄りかかり、
何時間もの間、当時の龍馬たち隊士と同じ空間を共有していたもの。

         
でも、今は龍馬ブーム。

         
夕方というのに大変な人手でビックリした。

         

そそくさと建物を後にして、戸外の坂の上から、涼やかな風に打たれながら、また長崎の港をしみじみと眺めて観る。

       
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何を思ったのか、

今、龍馬が生きていたら、いったいどう考えるだろうか?
        

なんて、ふと頭をよぎった。

           

歴史の「もし」は、究極の愚問だといわれるが、
自分の思考の角度を変えたり、別視座で見つめる時の
結構、重宝する思考法なのだ。

               

たとえば、尖閣問題。

         
テレビをひねれば、どこも薄っぺらいコメントばかり。
中国との交渉術はかくあるべきだとか、どう対峙すべきなどなど
根拠も思慮もないものばかり。
           

ウンザリである。

      

さて、龍馬だったらどう考えただろうか。

      
ここからは、僕も妄想、虚言である。

     
    
高慢中国けしからんっ!と、生理的拒絶のような反応は、まずしないだろう。 

          
かといって、
いまだからこそ中国と友好的に交易を展開して平和的に解決すれば良い、などと寝ぼけたことも考えないだろう。

      

龍馬なら、世界の情勢をしっかりと洞察して、

今、日本がどのような立場に置かれているのか
このままいくと、どうなっていくのだろうか
、と、まず思案したに違いない。

      

この20年間、日本人だって、決して楽な歩みではなかったけれど
欧米の好景気に寄り添って、世界第2位、アジアNo.1の地位に甘んじ、大胆でスピーディーな自己変革が貫徹できなかったという意味では、明らかに惰眠を貪っていたと感じよう。政府だけじゃない、国民一人ひとりがだ。主体性なき勤勉さが残念ながら裏目に出た。

        
    
国力の低下はもう覆いようのないところまで落ち続け、
それでもなお既得権益にしがみついている階層がいる。

      
ほんの一部の官僚や汚職政治家、はたまた反論出来ない芸能人や在日外国人などを槍玉に挙げてガス抜きしてる。どこかの国と変わらない。

       
     
外から見れば、時間軸で観れば、日本の国力の明らかな低下
領土問題、経済問題、政治問題においてもある意味必然の結果だと見抜いているに違いない。

  
        
もう一度、新たな構想力で国力を充実し直すことに他ならない。

      
軍備や単なるGDP経済力のことだけじゃない。
       

国家力? 国民力? 地球力? 龍馬ならどう表現しただろう?

     

       
     
海外でも、地方でも、たくましく元気に活動をしている日本人が増えている。

          
僕には、まだまだ気迫も気力も、行動力・実行力も足りない。
    

僕に出来ることは、いったい何?

            

        
夕刻、長崎で眺めた港の遠景のふとした妄想を
暖かい山懐に包まれた長野県上田の町で改めて反芻している。

          
     
もう僕には時間が足りない・・・。

     
     

今夜帰還して、明日から中国大陸へ北から南へ縦断する。

       
中国に分け入って体感してこよう。

        
      

またしばらく、ブログが更新できないかもしれませんが
必ず復活させますから、しばらくお待ちください。

                
今後もひと月間ほどメールや携帯電話が通じないこともありますので、どうかお許しください。

         

      
自分の五感を総動員させて世界と10年先とを俯瞰・展望し、
何をなすべきか自分の頭で考え抜いて、
主体的に行動していこう
ではないか。

   

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僕は、青年たちの感性と実行力に、心の底から期待している。

    

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上田の市街地も紅葉までもう一息

   
                             (シリーズ終わり)
    
          

世界を俯瞰して考えてみる(その2)

                 
西の終着駅、長崎。

   
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JR長崎駅では龍馬観光案内所まで設けられ、
日曜日ということもあって内外の観光客が情報を得ようと集まっている。

   
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観光誘客でも市民総動員の積極的な仕掛けが功を奏しているのだろう。今年の観光客は大幅増の見通しだと言われている(関係者談)。

   
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街全体が博覧会場。豪奢なパビリオンも開催期間もなし。車も要らず好感度大。
    
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農商工連携の研修会が終了した後、
帰還の列車を2本分遅らせて(主催者様ごめんなさい)、
しばしの幕末遺跡めぐりの「さるき(長崎弁で散策の意)をした。

        
      
JR長崎駅から程近く、しばらく坂を登ったところに聖福寺がある。

   
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黄檗宗の寺で、1867年に龍馬率いる海援隊が、
伊予大洲藩から借り上げた「いろは丸」と
紀州藩の船「明光丸」とが衝突した「いろは丸事件」の談判があり、
土佐の後藤象二郎と紀州藩勘定奉行とのトップ会談が開かれた場所ぜよ。

   
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大河ドラマ「龍馬伝」でも、おそらく、
もうすぐ登場する場面ですたい。

   
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僕は、この交渉を有利に進めるために、
様々な策を講じていく「仕掛け人・周旋家」としての龍馬にとても共感する場面でもある。
   
http://www.ryoma-den.com/shiryou/irohamaru.html

        

       
さらに坂道を歩き続ける。 ゼイ・ゼイ・ゼイ・ゼイ・・・・
     

       
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少し駅側に戻ると、勝海舟が航海術などを学んだ時期に逗留していたと言われている本蓮寺が見えてくる。

   
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本蓮寺

      
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ゼコゼコと息を切らせながら斜面に広がる墓地を上っていくと、
以前からどうしても訪ねてみたかった海援隊士の沢村惣之丞の墓に参ることが出来た。

   
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手前が沢村惣之丞ほかの墓  下に眼を移すと・・・
    
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小高い墓所から、夕暮れの長崎の町が一望できる。

   
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当時の日本で、唯一、世界につながっていた交易の町。
         

沢村をはじめ海援隊の隊士たちは、
どんな思いでこの風景を眺めていたのだろうか?
     

意外に同じことを考えているのかもしれない・・・。
      
       

だって、幕末の日本と現代は、本当に良く似ている
と僕は考えるからである。

       

        
     
「ヨッシャッ! もう一ヶ所だけ訪ねよう。」

     

特急列車をさらに2本遅らせることにして(重ね重ねごめんなさい)、
次の史跡を目指すことにした。

    

目指したはいいが、急な下り坂を降りようと、
一歩足を踏み出した、その瞬間、
腰から膝にかけてガクガク、ブルッブルと悲鳴を挙げて
いうことを聞かない。

    

気持ちだけが前にツンのめって、下肢がついていかない…。

     

何たる心身の体たらくだとわが身を恨みつつ、
スイスイと駆け上がってくる地元・長崎の人を見て、
眼を白黒させるばかりだった。
                                 (次回に続く)

     

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「人生はすなわち坂道なのである」  ニッポンを売る!嘆