東洋の真珠に一陣の強風を観た

          
昨夜まで香港経由で中国広東に駆け足で行って来た。

    

滞在中、ずっと雨模様でうんざりしたが
香港では今まで見たこともないような光景を観てショック。

  
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23日夜から24日未明にかけて襲った台風8号
(アジア名:ヴィセンティ・韋森特)の直撃を受け、
かなりの被害を受けた様子だった。

   
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シグナル10という最高度レベルの台風警報が発令され、
24日の晩は強風と大雨に一睡もできなかったと友人が恐怖を語っていた。

   
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シグナル10が発令されたのは1999年以来というから13年ぶりということになる。
            
ちなみにシグナル8以上で学校や会社は休みとなる。

   
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僕が訪ねたところも、大きな街路樹が根こそぎ倒れ、
太い生樹の枝が折れるなど、その物凄さがうかがえる。

  
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この地域でこれだけの台風が発生するのは珍しいことだそうで
先日も豪雨が九州を襲ったが、
ここ香港でも異常気象、地球の変化が噂されるようになっている。
   

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それでも郊外の大型アウトレットモールに足を運べば
買う気満々の中国大陸から来た観光客でごった返し
そんな土砂降り雨にもかかわらず、
目を疑うような買い物ぶりを今日も見せつけていた。

     
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これも一陣の強大台風と言えばそうかも知れない…。
            

試練を超えて希望に向かう火の国

   
福岡県、大分県と並んで
今回「九州北部豪雨」で大きな被害を受けた熊本県
3日間かけて、現在なお復旧作業中の阿蘇地方を除く
県下を巡回訪問してきた。

  
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熊本市の中央を流れる白川  普段は清らかな水をたたえる清流も今回濁流と化した爪痕を初めて目撃した

   
JAの方の話によると20日現在、未集計の数字でも
熊本県など被災3県では1100億円を超えるという
桁違いの被害が発生しているらしい。

   
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あちこちで重機を用いて護岸工事をしていた

   
未だに阿蘇地方では道路が寸断されて車両が進入できず
JA職員が人海戦術で物資を搬入している所もあるという。

    
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熊本市から阿蘇地方を眺める あの山懐では未だ懸命な救出復旧作業が続いている

   
それでも各地を訪ねると多くの生産者、事業者、行政、JA関係者の皆さんたち延べ150名を超える熱心な皆さん方と海外販路開拓について、情報交換をこの3日間で集中的に行なった。

   
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安全・健康に心を込めた商品創りを目指す水俣の町

   
    
この2年間、県庁の担当官と一緒に
県下50を超える事業者を訪れ、
現場の声を聞き、支援の戦略戦術メニューを策定したり
海外での個別サポートを行ない、実績を積み上げている。

     

販路開拓にかける事業者の皆さんの熱意には、
いつも圧倒される火の国の熱いマグマが沸騰している。

  
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大人気キャラクター「クマモン」関連商品も溢れている

      
    
この熊本県ほど海外販路開拓においては、
間違いなく最も熱心で、層が厚い県はないだろう。

  
3~5年先が楽しみだ。
     

必ず結果を出すことは間違いない。

    
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一日も早い復旧を願い、被災された皆様には
心からお見舞い申し上げます。

                       

水害お見舞い(緊急)

    
今般の九州地方を中心とする地域を襲った

記録的豪雨により被災されました皆様には、

心からお見舞い申し上げます

   

多くの仲間が、友人が今、自然の猛威と向き合っています。

本当に心が痛みます。

  
どうかご自身とご家族の安全、
心労、過労にだけは十分にお気を付け下さい。

                      田中 豊
          

第二の古都を訪ねて(その9)

    
鹿港(ルーガン)の街を歩くと、道端で
牡蠣(カキ)の殻をむく作業をしている光景に出会う。

  
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ここが海辺に近い街であることを改めて感じる。

          
おしゃべり好きのお年頃(?)のオバさんたちが、
なぜか黙々と作業をしている。

     
       
そう、鹿港の名物に、カキのオムレツ(蚵仔煎)が挙げられる。

     
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そう、台北の屋台でも良く見かける一品ですね。
        

焼けた鉄板の上に、
カキ、卵、そして片栗粉を溶いた液体で合わせ
レタスや青菜などを散り、店独自の甘辛タレで味付けする。

   
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天后宮の参道でも、数件が店を連ね
店頭で実演調理している。

   
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片手で卵をつかんで割りいれ、殻をポンと横に投げ捨てる瞬間

   
そのアクロバティックな動きも興味をそそるが、

やはり、
ジュウ~ジュウ~という乾いた音、
香り立つオムレツの匂い、
そして熱い鉄板で踊る食材を観ていると
五感を刺激されますね。

   
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この日34.5℃もあり、暑くて水ばかり呑んでる僕が
名物を実際に口にすることはなかった・・・。

   

さらに露天街をディープに進んでいくと
やたら長い行列が出来ている店がある。

   
これも鹿港名物「芋丸」である。

   
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あまりに人気なので、写真だけとって
あとから引き返したら丁度行列が切れて
商売上手な姉さんが、

  
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ちょっとぉ、名物食べていきなさいよ~!

と誘われたものだから、
不覚にもつい求めてしまった。

   
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なぜ不覚なのかというと
あまり口に合わないことを体験済みだからである。

    
今回もまた、買った責任をやっとの思いで果たした。

    
僕は絶対にその土地の食べ物の素晴らしさを感じるまで
好奇心を持ってトコトン好きになるのだが、

どうにもこの芋丸だけはまだまだ時間がかかりそうだ。

    
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豚肉の餡をタロイモの細切りで包んで蒸し、甘辛のタレを付けて頬張るのだ 。

       
僕の座右の台湾版書籍には、

「傾国傾城的超級美食」とあるのだが、
そのココロが未だ理解できないもどかしさに襲われる。

    
でも、だからこそ食文化って面白いと思う。

   

僕が20年以上前にここを訪れて忘れられない味は

焼きたての牛舌餅である。

  
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一番手前が「牛舌餅」

       

鹿港の街ではどこにでも売っている名物駄菓子である。

餅と名付いているが、
日本でいうもち米製のの粘り気のある食べ物ではなく
練った粉を焼いたサクサクするパイのようなもので、
普通に売られている分には、
正直言って、味もそっけもない素朴なスナックのようなものなのだ。

   

これが、冒頭強調したように「焼きたて」なら話は別。

  
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働き者の親子が一生懸命に牛舌餅を焼く
      

     
鉄板からそのままアツアツを頬張ると
なんとも深~く甘い匂いと適度に香ばしい香りが溶け合って
フランスのパイに匹敵する! と感動したことを覚えている。

             

まさに地域ブランドの現場でしか味わえない価値がある。  

そう、桁外れの暑さと芋丸の重い余韻のせいで
今回は牛舌餅も敬遠となってしまった。

  
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鹿港産手延べ麺線  そうめんのような感じ
  

鹿港名物には、ほかにも肉まん、麺線、イカのとろみスープ(魷魚羹)などがあり、台南と並んでB級グルメやスナックの宝庫といえるだろう。

   
(シリーズ終わり)

   
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第二の古都を訪ねて(その8)

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海上航行の安全を願う媽祖を祭った天后宮の門前

               

     
鹿港の総鎮守的存在である天后宮前の参道エリアは
商業圏としても観光屋台群としても集積が進んでおり
日差しが強烈だったこの日も大勢の市民や観光客でごった返していた。

   
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外気温34℃の猛烈な暑さだが、
木陰に入ると一息つける。

   
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爽やかな風が頬を伝っていく。

  
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参道は、鹿港のメインストリートでもある中山路にそのままつながっている。

  
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往時はとても豊かであったのだろう、アーケードが設けられ「不見天」、
道路はレンガが敷き詰められていて「不見地」、
さらに当時は女性はあまり気軽に外出できなかったことから
通りでは女性を見かけない「不見女人」の「三不見」と言われていたそうだ。

    
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通りの至る所にこのようなレトロな建物が

  
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商店街は観光客でごった返す
      

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採れたてのアスパラガスと柔らかなニラの花を売ってる
              
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サツマイモのチップスだろうか  卍のマークは精進を表しているのかな
    
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鹿港の伝統工芸品として有名なのが燈籠(とうろう)。
          
中山路のあちこちに燈籠店が店舗を構えている。

    
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有名な呉敦厚燈籠舗

    
国賓の土産になることもあるそうだ。

  
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鹿港名物の浜風に揺れる燈籠
          

  
今回の鹿港シリーズ、
なんか観光案内みたいになってしまった。

   

最後の一回、B級グルメまでお付き合い頂きましょう。

        

(次回に続く)
            
           

第二の古都を訪ねて(その7)

                         
最近は台湾でも中国・香港でも復古調の路地や街並みを再現した商業エリアの出現が目立つ。
   

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鹿港にも「鹿港老街」と称する昔の街並みを再現した観光通りが整備されており、古都の風情を感じながら、往時の賑わいに少しだけタイムスリップさせてくれる。

     
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路地の両側には、木造家屋やレンガ造りの家が軒を並べる。

    
きっとかつての日本とも そんなに違わないはず。

   
      
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今、鹿港老街と呼ばれている一帯は、もともと「古市街」と称されていた。

  
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烏魚子とは「からすみ」のこと。台湾でも名物
   
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どこの国でも子供のおねだりは微笑ましい
   
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手彫り彩色のゴムパチンコ。懐かしい。ひとつ190元(約600円)なり

         

この一帯は、清朝乾隆年間に鹿港が最も栄えていた頃の、
埠頭街の貿易商で賑わっていたエリアだそうである。

  

Dscn2075       中国大陸とも僅か200kmほどだったんだ

         

中国大陸から続々と移民が入り、
米や砂糖、農産物などを中心とした貿易を活発に行っていたようである。

  
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当時の豪商屋敷にあったと言われる「半辺井」。 とても貴重な井戸も、半分は自分の家で使い、半分は往来の人々にも分け与えたという、往時の栄華と鹿港人の美徳を表している遺産と言われている
    
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台湾の地方に行くと、最近、
食の分野で「古早味」なんて言葉をよく見かける。

           
台湾や福建閩南地方でよく使われる言葉で、「懐かしの味」といった意味だろうか。

    
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ここにも古早味の文字が…

   
          
街歩きの好きな人なら、いくら時間があっても足りないだろう。

   
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とにかく日差しが強くて暑かった。

  
鼻の頭が日焼けで真っ赤になってしまった。
    
季節違いの鹿港版トナカイさんだ。

   
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木を愛する人々でもある
   
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ここにも路地裏を見つけた。つい足を踏み入れたくなる
    
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(次回に続く) 
               

第二の古都を訪ねて(その6)

(先々回から続く)
         
再び、台湾中部の鹿港(ルーカン)訪問記に戻ろう。

         
趣味を持たない僕の数少ない楽しみが、これまで何度も紹介している
出張先でのわずかの時間を見つけての路地裏歩き

           

普通、宿泊ホテル周囲のガイドブックに載っていない庶民生活空間を、時間がある限り歩く訳だが、ここ鹿港は路地裏(台湾では巷と言う。北京では胡同フートンが有名)も重要な観光資源で、さっそく2大路地裏を探検した。
       

ひとつ目は、九曲巷(正式名称は金盛巷)である。

 
そう、すなわちいくつも曲がりくねった路地のこと。
                     
     
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昔の街は、川沿いに造られたりしたから
曲がった路地が多い。

  
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また一説には、強い海風や砂塵が吹き込まないような構造を採ったためとも言われている。

 
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前回訪れた時と比べ、余りに俗化・観光地化されていて、
生活臭は微塵もないので面白くはないが、
往時の街並みを体験するにはやはり訪れて良かった。

  
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結局、曲がり角がその名のとおり9か所だったかどうかは
数えるのを忘れたから、不明のままになっちゃった。

  
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二つ目の路地は「摸乳巷」。
   

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読んで字のごとく、すれ違うと胸が触れ合うほど狭い路地。

   
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肩幅が広い僕が普通に立つと、もう路地を塞いでしまい、ホントにすれ違えないほどに狭い。
     
長さは100m、幅は70㎝ほどしかないらしい。

  
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どうか、どうか、向こうから女性がやって来ますように…。」

と強く念じながら、この路地を進んでいったが、
悲しいことに、何びとともすれ違うことなく無事反対側にたどり着いた…。
           
    
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結局、胸どころか、僕の突き出たお腹が壁にこすれそうだった。
      

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これだから、海外での路地裏歩きは止められない。

(次回に続く)
                

巡回してきました。

                   
先週、台湾・鹿港の記事を自動アップしていた10日間で、
香港、中国、そして台湾に2度行ってきました。

        
    
日本は梅雨の真っ只中で水害にも見舞われているが、
香港は雨期が終わったのだろうか、
6月末のその日は過酷な暑さだった。
    

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香港・ネイザンロード   
     
     
ちょうど、7月1日は香港が中国に返還されて15周年という節目にあり、
胡錦濤主席が香港を訪れることもあり、結構騒がしかった。
    

新しい行政長官の就任に当たり、
香港市民の政治不信は神経質に思えるほどで、
民主化実現へのプロセスの難しさを改めて強く感じた。

 
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それはお隣、中国広東省もかなり荒れたニュースが飛び込んおり、
新体制のかじ取り手腕が問われそうだ。

   
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香港コンテナターミナル

     

とはいえ、香港の元気な仲間たちは相変わらずパワフルで
日本から来た元気人たちとの交流が実現し、
面白いアイデアや情報を交換できた。

  
ヒントや答えは、常に現場にある…。

        
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異常に蒸し暑い香港での一服の清涼剤  “港式檸檬茶(レモンティー)
      
   
           
香港・日本のチャレンジャー諸氏の熱気たるや
震災前とも違うし、震災後の去年ともすっかり変わってきたぞ。

  

台湾も、二期目の馬英九政権がスタートしたが
ここでも多くの不安定要素を抱えている。
     

日本も政治がガタガタだとよく言われるが、
僕の眼には、近隣アジアはどこも同じに映る。
   
そういう時代の過渡期なのだ。

    
    

一回目の訪台は、台北とその郊外。

  
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動き出す農業プロジェクト  日本の農業者にとっても今や輸出だけが海外チャレンジではない   

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久しぶりに訪ねたらすっかりベットタウン化していた淡水の街

      

二度目は台北ではなく、さらに北部の淡水や中北部の桃園県、ハイテク園区で有名な新竹市を廻り、これからの台湾の「延びしろ」を舞台にしたプロジェクトの可能性を探ってきた。

  
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桃園県のアクセス良好な土地でニッポンを売る!!仕掛けが始まる 
    
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「東洋のシリコンバレー」新竹科学工業園を目指す道 

      
    
ニッポンの外に、
グローバル市場という名の桃源郷があるわけではない。

   
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ハイテクシティー新竹も、夜になるとアナログ・ホットな夜市も現れる     城隍廟夜市  

     

いつも強調しているように
        
探すものではなく、創るもの

  
    

改めてそう感じた巡回出張だった。