僕のお気に入りカフェ

海外でも出張で同じ街に繰り返し行くと、自然とお気に入りのレストランやカフェが出来るもの。地元の人に案内されて知るお店、ガイドブックに出ている有名店もあるけど、独りで何も知らずに偶然にフラっと入った店が居心地がいいと、私の場合、お気に入りの店になることが多い。

シンガポールに私のお気に入りカフェがある。

場所は、有名な観光地であるサルタンモスクの裏路地にポツンとたたずむ何の変哲もない外観のカフェ。その名も「東坡」(トンボー)。北宋の大詩人-蘇東坡から取った屋号か。

レトロな趣きの店内が旅情を一層高めてくれる。

と、ここではや、お気に入り候補に挙がる。

解放前のノスタルジック・チャイナの雰囲気だが、決して古臭くなく、しかもこの国でポピュラーなファーストフード形式などのセルフ式でない、日本に普通にみられる喫茶店に近いのがかえって新鮮だ。

客も普段は屋台や飲茶楼では、騒々しくおしゃべりを楽しむのが常のシンガポーリアンも、この店では思い思いに読書やスマホに興じたり、静かに会話を楽しんでいる。

注文するのは決まってカヤトーストのセットメニューだ。

ほどなくすると、往時を偲ばせる旗袍(チーパオ)を纏った若い店員さんがトレーに乗った軽食を運んできてくれる。香ばしく焼けたトーストの香りとともに。

日本で今流行りのふかふかのパンとは違って、むしろ正反対の痩せた感じのパンにカヤジャムというシンプルな甘い香りのするジャムに厚めに塗ったマーガリンが特徴の南国風のスナックである。

私はなにを隠そう、ここのいたって分厚い不健康なマーガリンが大の好物なのである!

それとこぼしているのか、それともわざとそうしているのか、いつもソーサーにあふれているコーヒーがこの店の印象的な風景なのである。トレードマークの蓮華の形をしたティースプーンも影をひそめるほどである。

それにまた、お決まりのドロッとした半熟の卵がなぜか二個添えられている。これにキリっと香ばしい上抽を垂らすともうご機嫌な気分に包まれる。

この小宇宙が私の心をとらえて離さない。

ここ南洋の地にあって、遠く故郷を偲ぶ華僑一世たちに想いを寄せるようなそんな喫茶店である。

海を渡っていった日本人  僕らはもっと自信を持っていい!(その3)

う一つの広く知られている日本人町とも言える
アメリカ・ロサンジェルスのリトルトーキョー

20世紀に入り、多くの日本人がこの地に移住し、
太平洋戦争での惨禍を克服して
現在に至っていることは誰もが知っていることだろう。
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私は2009年に、初めてニッポン商品を売り込むことを目的に
約二年ぶりにロサンジェルスを訪れた。
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中華街(China town)のような生活臭や商売臭は全くせず
食文化も含めた日本文化交流センターのような
とても落ち着いた印象である。
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ここには本格的な和食店をはじめ、
日本食材専門店舗も整っており、
充実した品揃えで販売している。
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また、全米の窓口となる実績ある専門商社も複数あることから、
アメリカ進出のゲートウェイの役割も担っている。
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ここ数年来、世界の主要先進国では
長引く不況を背景に、人種差別的な動き、
マイノリティー(社会的弱者・少数者)差別の運動が
顕在化するなかで、
アメリカの日系人社会は
毅然たる態度でこれに向き合っている。
我々の同胞は争いのない多民族共生の在り方の重要性を
戦禍を通じて身を以って知っているのだ。
民間外交、地域間交流の果たす役割も
とても大切なんだと、今になって改めて強く感じる。
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重ねて重ねて訴える、
僕ら日本人は、もっともっと自信を持っていい!
 
 
(シリーズおわり)
 
 
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リトルトーキョーにも桜の花が・・・
 

海を渡っていった日本人  僕らはもっと自信を持っていい!(その2)

(前回より続く)

って現代。
戦前戦後を通じて思い出される日本人町では
なんといってもブラジルの日本人町と
アメリカのリトルトーキョーではないだろうか。
そのどちらにも、ニッポンを売り込むために
市場調査、販売支援活動に訪ねたことがある。
先ずは、ブラジル・サンパウロにある
日本人町(リベルターデ)
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日系移民100周年の2008年にここを訪れた。
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       第一回移民781名を載せて、1908年に神戸港より出航した
最近は中国韓国の経済発展に伴い、
商店や会社のオーナーが日本人と入れ替わるところもあり、
日本人町ではなく、東洋人街と言われるようになっているとも聞いた。
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日本的な設えのなかにもいつの間にか・・・

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とはいえ、街は活気があり、
人の往来も賑やかだ。
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日本の多様な文化も発信されている
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地球の真裏でも、情報発信することに意義がある
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地元で活躍している日系人の皆さんたちと交流もしたが、
日系人は代々、ただ開拓してビジネスするだけではなく、
子供を医者や教育者にして、地元ブラジルのために
大きく貢献するなどの積み重ねが高く評価され、
“ニッケイジン”は絶大な信用を得ているという。
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町のあちこちに銅像が
農業や土木技術などの現場でも第一線で活躍しているそうだ。
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地域に根付き、共生する先人たちの労苦に思いを寄せる
同じ民族として、自分も褒められているかのように誇らしかった。
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ここ日本人町でもかなりのニッポンの食材食品が
販売されている。
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日本のストアと遜色ない
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寿司・弁当はここでも売れ筋商品に成長
 
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国民食も海を渡る・・・
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100年前から農業技術こそが日本の武器だったはず
再び日系コミュニティーが復権する日も遠くないかも知れない。
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僕等の魂に眠るブラジル開拓の精神を
今こそ地域創生に発揮すべきである。
重ねて訴える、僕ら本人はもっと自信を持っていい!!
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リベルターデ・大阪橋のたもとにて    2008年8月

海を渡っていった日本人  僕らはもっと自信をもっていい! (その1)

の数年、農や食の分野でも
地方の元気な事業者が次々と海外進出に挑戦しており、
本当に頼もしく、誇りに感じている。  

 
 
これだけの動きになるなんて
20年前に私も海外展開を提唱し始めたころと比べると
隔世の感がある。
   
 
しかしながら、歴史を紐解くと、
近世だけをみても私たちの祖先は
ビジネスでも立派に海外で活躍していたことが見て取れる。
 
 
 
昨年、戦国時代の三大日本人町と言われている
アユタヤ(タイ)ホイアン(ベトナム)マニラ(フィリピン)のうち
前2者を訪ねる機会があった。
    
 
 
まずは、タイのバンコクから約80Km離れた
古都アユタヤ。 
    
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豊富な史跡群に目を奪われてしまう
 
 
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日本人町の跡地には、整備された日本庭園や資料館が設置されている
 
 
王朝の高官にまで任ぜられた山田長政
人口に膾炙されているこの街は、
中国・東南アジアとインド・欧州を結ぶ
貿易拠点都市として栄え、
当時の江戸やロンドンにも匹敵する繁栄ぶりだったと言われている。 
 
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アユタヤで高官に任ぜられた山田長政像
 
 
インドシナ半島の豊富なコメを背景に、
交易により世界中から集まる豊かな物資や人材の中で
最大1500人余りいた日本人も、このグローバル都市で
世界に伍して朱印船貿易で立派に活躍していた。
    
 
 
次に、ベトナム中部の街ホイアン(会安)。  
 
 
ここも16~17世紀頃、中国とインド・欧州を結ぶ
交易都市として繁栄した美しい街である。
 
 
当時日本人が約1000人ほどいたとされ、
日本人町と中華街をつなぐ、日本橋(来遠橋)が
今も残っている。
 
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屋根付きで、橋の中央には寺院が設けられている珍しい構造をしている
 
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旧市街が世界文化遺産に認定されており、
中部ベトナムを代表する観光都市になっている。
 
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ホイアンはランタンでも有名。夜になるとロマンチックな光景が広がる
 
 
 
ちなみに2000年に食ビジネスでマニラを訪ねた。 
 
 
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切支丹大名・高山右近で知られるマニラ呂宋にも
多くの日本人が交易に活躍したという。
 
 

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近世三大日本人町を訪ね、
往時のニッポン商人の活躍ぶりに思いを馳せた。
 
 
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アユタヤの日本人町跡の前に流れるチャオプラヤ川を臨んで、ここに朱印船が停泊してたんだなとイメージを膨らませ、ワクワクする想いでいつまでも佇んでいた・・・
 
 
いにしえより世界の商人たちと伍して
海外でも見事なビジネスを展開してきた日本人の才能の花を、
今こそ咲かせる時と心に誓った。
 
 
 
僕ら日本人は、もっと自信を持っていい!!
 

Photo回顧2016 (その2)

つもビジネスでバンコクを訪ねる時は
空港とホテルとオフィスを行き来することばかりで、
最近は近代ビルのジャングルしか印象がないのだが、
今回、空き時間を利用して旧市街を歩いてみたら、
バンコクは「水都」だと改めて認識。

 

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バンコクの街をゆったりと流れるチャオプラヤー川の河畔に佇むと、なぜか心が落ち着いてくる。海原とも違う気分。

 

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大都会の河川にも人々の日々の生活が息づいている。  

 

 

 

時間が少しあるから、河川交通手段のひとつであるチャオプラヤエキスプレスというボート船に乗ってみた。

 

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切符を買って乗り込むだけ。バス感覚。

川面から吹いてくる風が、火照った体に気持ちいい。

 

 

 

当てずっぽうに、知らない船着き場で下船したら、
偶然、香辛料の卸売市場に踏み込んだ。
     

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僕には不思議なアンテナが備わっているらしく、
国内外どこへ行っても何故か市場やマーケットに出くわす。

 

予備知識も地図がなくてもである。実に不思議な習性。

犬も歩けば市場にあたる…

 

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界隈には、トウガラシ、ニンニク、エシャロット、ライムなど
タイ料理には欠かせない香辛料の数々が売られている。

 

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プリッキーヌと呼ばれるトウガラシの種類だけでも様々。

 

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トムヤムクンやタイカレーに欠かせないバイマックルー(こぶみかん)の葉

 

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レモングラスに カー(タイショウガ)
   

 

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タイもまた地大物博の農産国だと改めて感じる。

 

 

隣接する花卉市場(フラワーマーケット)に潜入。

 

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花卉の海外取引は、これからの課題でもある。タイもその舞台のひとつ。

 

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プミポン国王崩御前だったが、とにかく広く敬愛の対象であった
               

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多忙なスケジュールの合間に、
時を忘れて川の流れに身を任せるのもいい・・・。

 

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Photo回顧2016 (その1)

はや今年も残すこと三週間となった。  

 

アップ出来なかった訪問先を
画像で回顧してみようと思う。

 

 

今年3月、支援業務でタイのバンコク・アユタヤを訪れた。

 

到着したタイのスワンナプーム国際空港で目撃した、
タイ人観光客の爆買いぶりには初日から驚いた。 

 

中国人に負けていない…。
日常風景になりつつあるとはいえ、
目の当たりにするとそれは壮観であった。

 

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中心市街地に行くと、相変わらずの慢性渋滞。

 

ここで僕は頭をタイモードにリセットする。

 

 

イライラ・セカセカは、心のムダ・・・

 

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すっかり近代都市に変貌した。

 

 

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夕方の退勤時間帯の自家用車は、高級車がめっきり増えた。

 

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今回も、バンコク市内の高級店舗やショッピングモール、郊外店舗を精力的に視察し、最新事情を紹介してもらった。

 

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既に見慣れた光景とはいえ、手ぶらが多い日本人観光客に代わって、ローカル消費者の購買が増えた。

 

 

ますます日本を含む世界中の一流品が集まると同時に
郊外のスーパーでも本物日本商品や外食店舗が広がっていることに驚く。

 

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バンコク郊外のショッピングセンターで。 お米の国タイで日本式おにぎりが

 

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新設のショッピングモールには、大抵日本食レストランがテナントになっている。
ラーメン、カレー、どんぶり、弁当、定食、スイーツなど、国民食レベルが次々と進出。

 

 

東南アジアの拠点として、
これからもしばらくバンコク市場はホットポイントであり続けるに違いない。

 

 

10月に逝去されたラーマ9世プミポン国王に
心からお悔やみ申し上げます。

 

活力蓄える沖縄農業の挑戦

つい先月、沖縄県那覇を訪ねた。

 

JAおきなわの皆さんたちとの勉強会に参加したのだが、
おりしもアメリカ大統領選挙の前日でもあり、
遠い海外の話題とはいえ、TPP交渉の行方も不透明で
その重大な影響が懸念される県農業ということもあって、
皆さん一際危機感を抱いており、
海外事情についても活発な質疑が飛び交った。

 

翌日、南部の産地や選果場を案内していただき
あちこちで新たなチャレンジに取り組んでいる姿を目にした。 

 

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肉厚でまるでパプリカのような「具志頭(ぐしちゃん)ピーマン」。

 

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生でかじっても甘くて、あのピーマン臭さがない。

ピーマン嫌いの子供でも食べられるに違いない・・・。

 

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他にも、ミニトマトやエンサイ、山東菜など珍しい品目も
紹介してもらった。  

 

       
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道中延々と続くサトウキビ畑。TPPの行方が気にかかる

 

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本島南部の海岸に出た。

 

絶景が広がる海岸線に目を奪われるが、
ここも重要な戦跡の一部。

改めて過去の歴史に思いを巡らせ、沖縄の今を再認識する。

 

 

まるで家族のように温かく迎えてくれる沖縄のスタッフの手配で
様々な農業現場を案内してもらった。

  
全国的に農業生産額が低迷するなかにあって、
沖縄県は関係者の努力の甲斐あって、ここ数年増加に転じているという。

 

 

     
那覇の町に戻ったら、県庁前のショッピングモールでは
クリスマスツリーの設営が始まっていた。 

 

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外の気温27℃の汗がむしばむ南国風情のクリスマスに
思わず笑みが浮かんだ・・・。

 

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雑踏に埋もれて(その3)

                                       
旧市街の続き。

 

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やっぱり躍動感あふれるバイクに、どうしても目がいってしまう。

 

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道路を横切るのも技が要る…

 

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バイク用マスクもカラフルになった。

   
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片付けの真っ最中だった…

 

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モノクロが好きだけど、彩色の風景も また 一興 かな

 

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名残り惜しいけど、埋もれた雑踏から顔を出して、我に還る・・・

雑踏に埋もれて(その2)

ノイ旧市街ミニ散策。

 

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みんな眼にが入ってる・・・。 

雑踏に埋もれて(その1)

事の合間を縫って、
夕刻、ハノイの旧市街を歩いてみた。

 

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24年前に比べ、バイクもニューモデルになり、
人々のファッションンも洗練され、
驚くほどの物資の豊かさは、
まさに蒼海変じて桑田と成るほどの変わりようだが、
雑踏カオスのような、たくましいハノイの人々の熱気は
少しも変わっていないような気がする・・・

 

 

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ちっとも久しぶりの感じがしないのは、どうしてだろう?