海を渡っていった日本人  僕らはもっと自信をもっていい! (その1)

の数年、農や食の分野でも
地方の元気な事業者が次々と海外進出に挑戦しており、
本当に頼もしく、誇りに感じている。  

 
 
これだけの動きになるなんて
20年前に私も海外展開を提唱し始めたころと比べると
隔世の感がある。
   
 
しかしながら、歴史を紐解くと、
近世だけをみても私たちの祖先は
ビジネスでも立派に海外で活躍していたことが見て取れる。
 
 
 
昨年、戦国時代の三大日本人町と言われている
アユタヤ(タイ)ホイアン(ベトナム)マニラ(フィリピン)のうち
前2者を訪ねる機会があった。
    
 
 
まずは、タイのバンコクから約80Km離れた
古都アユタヤ。 
    
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豊富な史跡群に目を奪われてしまう
 
 
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日本人町の跡地には、整備された日本庭園や資料館が設置されている
 
 
王朝の高官にまで任ぜられた山田長政
人口に膾炙されているこの街は、
中国・東南アジアとインド・欧州を結ぶ
貿易拠点都市として栄え、
当時の江戸やロンドンにも匹敵する繁栄ぶりだったと言われている。 
 
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アユタヤで高官に任ぜられた山田長政像
 
 
インドシナ半島の豊富なコメを背景に、
交易により世界中から集まる豊かな物資や人材の中で
最大1500人余りいた日本人も、このグローバル都市で
世界に伍して朱印船貿易で立派に活躍していた。
    
 
 
次に、ベトナム中部の街ホイアン(会安)。  
 
 
ここも16~17世紀頃、中国とインド・欧州を結ぶ
交易都市として繁栄した美しい街である。
 
 
当時日本人が約1000人ほどいたとされ、
日本人町と中華街をつなぐ、日本橋(来遠橋)が
今も残っている。
 
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屋根付きで、橋の中央には寺院が設けられている珍しい構造をしている
 
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旧市街が世界文化遺産に認定されており、
中部ベトナムを代表する観光都市になっている。
 
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ホイアンはランタンでも有名。夜になるとロマンチックな光景が広がる
 
 
 
ちなみに2000年に食ビジネスでマニラを訪ねた。 
 
 
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切支丹大名・高山右近で知られるマニラ呂宋にも
多くの日本人が交易に活躍したという。
 
 

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近世三大日本人町を訪ね、
往時のニッポン商人の活躍ぶりに思いを馳せた。
 
 
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アユタヤの日本人町跡の前に流れるチャオプラヤ川を臨んで、ここに朱印船が停泊してたんだなとイメージを膨らませ、ワクワクする想いでいつまでも佇んでいた・・・
 
 
いにしえより世界の商人たちと伍して
海外でも見事なビジネスを展開してきた日本人の才能の花を、
今こそ咲かせる時と心に誓った。
 
 
 
僕ら日本人は、もっと自信を持っていい!!
 
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田中 豊

地域の元気づくりと海外ビジネスを通じて、日本を元気にしたい行動派プロデューサーです。 海外ビジネスの参謀役として長年活動してきました。 とりわけ農林水産業を振興にすることで地域が元気になることを現場の生産者、支援者の皆さんと共に日々実践していることをとても誇りに感じています。 「地域を活かし、そしてつなぐこと」をスローガンに訴え、いつの時でもチャンス(chance)ととらえ、絶えずチャレンジ(challenge)し、チェンジ(change)を果たしていくことの「三つのC」をモットーにしています。