年末のご挨拶

今年も目いっぱい動き続けた一年でした。
 
これまでの回想録をまだ3回しかアップしていないのに
まもなく大晦日を迎えることになってしまいました。
 
続きは、新年が明けて機会を見つけて紹介します。
申し訳ありません。
 
 
さて、みなさんにとって2013年はどういう一年だったでしょうか
 
 
本ブログの読者だったらチャレンジ精神旺盛な方が多いから
きっと色々なことに挑戦したり、学んだりしたのではないでしょうか。
 
つい数年前までは、アジアに出かけては、
その底知れぬ活力やハングリーぶりに刺激を受けては充電し、
日本に戻ると途端に、静まり返る情景を目にして、
独り大声を張り上げては放電していたように思います。
 
 
それが今年は形勢逆転
 
 
アジアの多くの人たちは、ゆとりや楽しみに顔をほころばせるか、
不満を露わにする人たちが増え、
一方日本では、全国各地で自ら立ち上がり、
行動を起こす人が次々と現れ、
僕の方が感心すること、学ぶことしきりだった
「転換点を思わせる」一年でした。
 
 
今、ニッポンがアジアで一番元気がイイ!!
 
と、僕は心底感じます。
 
 
「そんなことはない。周りはまだまだネガティブで…」
 
なんて声が聞こえてきそうですが、
何よりも あなた、
 
そう、
あなたが元気ではないですか!!
 
あなたが元気なんですよ!
 
トンがってますでしょ!
 
 
今、日本は、ニッポン人は、日本商品は、
世界中の人たちからどう見られているか、どう評価されているか
ぜひともメディアからだけでなく、
自分の眼と足と頭で確かめてみてくださいね。
 
自分ので”ですよ。
 
  
きっと予想と大きく異なるはずですから。
 
 
 
今年一年もブログ“ニッポンを売る!”に何度もお立ち寄り頂いて
ありがとうございました。
 
来年もさらに頑張りますので、
引き続きご支援ご声援お願いいたします。
 
 
2014年が皆さまにとって最良の年になりますことを
心からお祈り申し上げます。
 
 
深謝!

2013年を振り返る(ベトナムの山中でとんでもない食材との格闘編)

今年も各地で美味しい食べ物、素晴らしい食材
珍しい料理に出会ったが、

最もインパクトが強かった体験をご紹介しよう。
 
 
「あああああ~っ! もう耐えられない!
 
 腰が悲鳴を上げているぅぅぅ~ッ。」
 
 
6月のこの時の出張は特別に強行だった。
 
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台湾で、台北から台南に下り、
車で山中を10時間くらい走破して、
そのままベトナムへ移動。
 
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そのくらいならよくある話なんだけど
翌日、以前のエントリで取り上げた
ドラゴンフルーツの里ファンティエットに
ホーチミンから往復12時間越えの1泊視察に行ったあと
間を開けずに、ホーチミンからまた西に向かって
ひたすら移動。
 
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田園地帯をとにかく横断する
 
 
もうフラフラでどこに行っているかの興味も失せ、
ただ腰だけをかばっていた記憶しかない。
 
 
やはり6時間くらい乗っていただろうか、
着いたところは、ベトナム南部の農村地帯。
 
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ジャングルみたいでもある
 
 
海からは程遠い内陸部であることだけは分かった。
 
 
ドンタップ省という行政区で
後で調べたら、北側はカンボジア国境らしく
メコンデルタの一角にあるらしい。
 
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あるプロジェクトの視察に来たのだが、
ここで手荒な、もとい、大歓迎を受けたのだった。 
 
 
中国や東南アジアでも、田舎に行くと
想像を絶するような歓迎をされたり
宴会に呼ばれたりすることがしょっちゅうある。
 
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仕事の話も無事に終わり、
吹き抜けの屋根の下で、地元のパートナーが
手作りのご馳走を振る舞ってくれるというのである。
 
 
まず最初に茹でたての蓮の実が、お通しで出てきた。
 
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これがホントに美味!
 
日本のブランド栗にも引けを取らない
甘みとホクホク感だった。
初めての食べ方だった。
 
 
次に出されたのが、
自家菜園で栽培している茹で野菜の盛り合わせ。
 
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ニンニクだれが誠に美味しゅうございました。
   
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続いては、蒸した地鶏の香草和え。
 
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歯ごたえは地鶏のものだけど、
それでいて柔らかく、味が濃くて、何よりもとてもジューシー。
 
 
ここまで来たら次々と。
 
家庭で作ったバインセオ。
 
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初めて食べたベトナム式お好み焼き。
 
 
息子がエビを焼いてくれた。薫りが香ばしい。
 
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「さあ、出来たわよぉ~っ!」
と、ここの大奥さんが運んできたのが、
ヘビのスープ。
 
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僕は、香港で冬の名物として
時々食べるんだけど、ちとグロテスクでもある。
 
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滋養にいいらしい。
 
 
 
次に出てきたのが
本日のメインディッシュである。
 
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ネズミの丸焼きだ。
 
 
「うわっ・・・!?」
 
僕は、絶句してしまった。
 
 
今年のメモリー。
 
 
僕は、20代の頃、広東に毎年2回延べ2か月以上を
8年間滞在していたから大抵の動物や
熊の掌、象の鼻、駱駝のコブなどの珍味部位など
ここでは公表できないほど
珍奇鳥獣の類を食べた経験を持っている。
 
当時中国はワシントン条約にも入っていなかったし
野味」といって、それが
広東料理の名物ジャンルのひとつでもあった。  
 
 
それでも、このネズミさんだけは、食べた記憶がない。
 
酒の飲めない僕は、いつも食べる担当。
 
意を決して一匹全部頂いた。
 
 
地元の人やホーチミンから同行したスタッフにとっては
もちろんご馳走だから、僕は嫌な顔をする訳にはいかないのだ。
 
聞けば、ここの大奥さんは、
事前に高級食材を買い込んできて、
前日から料理を仕込んでおいてくれたらしい。
 
 
ニコニコ完食しました。
 
この後も、まさに野味のオンパレード。
 
いつも間にか腰の痛みを忘れていたのは
気のせい?  
それとも野味の滋養効果?
 
 
日本メンバーのひとりが
ベトナム入りして早々と胃腸を崩し
何も食べられないからといって、
わざわざ作ってくれたのが、この地鶏のおじやだった。
 
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これがもう絶句するほどの美味しさだった。
 
銀座の高級水炊き屋にも劣らぬ深い味わいだった。
 
 
 
最後には果物の女王マンゴスチンや竜眼、
スターフルーツ、濃厚バナナなどを頂いて
心から満足したフルコースだった。
 
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こうして紹介するとベトナムの奥地は
まだ未開の、遅れた地域などと誤解されそうだが、
ここで出会った農村風景や生産者一家の温かい愛情は
日本の里山で感じたそれと少しも変わらない
 
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この日のシェフ 大奥さんはスケールが大きい
 
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ビジネスパートナーでもあるご当主とも完全に打ち解けた
 
 
別れ際には涙が止まらないほど
ベトナムの生産者と心が通じ合い、
これから良いビジネスにしようねと誓い合ったのだ。
 
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2013年を振り返る(里山の景観に感動編)

今年も一年間各地の現場を訪問する機会を得たが、
いつもながら、どこに行っても誰を訪ねても
心躍る素晴らしい出逢いばかりだった。

 

その中から、敢えてひとつ選ぶとして
これぞニッポンの里山の光景として
目に焼き付いた11月の感動をもう一度。

 
米の収穫も全て終わり冬支度の頃、
島根県松江市から東南方面に車を走らせる。
 
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山間部に入ると道の両側に、果樹が赤い実を付けている。
 
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車が止まったのは、上意東の畑(はた)地区。
 
 
そう、知る人ぞ知る干し柿の里である。
 
 
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海抜約180m前後の山腹は、風水でいう龍の通り道のような
入り組んだ谷あいの地形をしている。
 
後にその地形が、日本有数のブランド干し柿の秘密であることを知る。
 
 
 
周りは柿の木だらけ。赤い柿が実っている。
 
ただ、僕には馴染みのない形をしている。
 
 
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縦に細長い西条柿である。 
 
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実には4本の筋というか溝がある
四つ溝西条柿といわれている。
 
もちろんこのままでは渋くてとても食べられない。
 
話によると、戦国武将の毛利家が兵糧食として
ここに西条柿を持ち込んだと言われ、
樹齢400年を超す老木もあるという。
 
 
この日も収穫された西条柿が
加工場に集められる。
 
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畑地区には19戸の生産者さんがいて
この日、JAくにびきの案内で
組合長さんの加工場を見学させて頂いた。
 
 
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溝もくっきり見事な西条柿だ。
 
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まずはじめに機械でヘタを取る。
 
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こんな具合になる。ここまでは簡単。
 
 
次に皮むき。
          
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見ているととても素早くてきぱきと見えるが
実際はひとつずつとても丁寧に皮をむいている。
 
この仕事はご婦人方の担当だそうだ。
 
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根気と熟練が要る作業だ。
 
皮をむき終わると重さを測って、選別する。  
 
干し柿は、一本の紐に10個と決まっているから
重さが異なる柿を、一本の紐ごとに重さを均一にするために
選別をしなければならないのである。
 
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見ているだけで大変手間がかかる作業だと驚く。
 
紐を付けたら、いよいよ乾燥する工程にはいる。
 
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晴れた日は、こうして窓を開け放ち、天日と風で乾燥させる。
 
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干し柿造りで重要な三要素というのがあって、それは、
①乾いた冷たい風が通り抜けること
②昼間は十分な日差しがあたること
③気温の日格差が大きいこと
なのだそうだ。
 
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ちょうど昨日は、この三条件がベストの状態で揃ったそうで
昨日から干した分の列は、初日としては最高の出来栄えなんだそうだ。
                 
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あめ色の宝石と呼ばれる所以だ。
 
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ひとつひとつ驚くほどの手間をかけ
しかも自然条件がそろって初めていい商品が出来るのだ。
 
ブランド加工品とは、
このような陰の苦労や条件が積み重なってできた逸品なのである。 
 
そこでこの畑地区の地形というのが
乾いた冷たい風が、遠くに見える中海から吹き付けてきて
この特殊な地形をした谷間を通り抜けていくことで
見事に干しあがる理想の環境だということなんだそうだ。 
 
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山の向こうが中海。風が吹きぬけてくる極めて特徴的な地形。だからこの地区だけでしか出来ないのだ
 
 
以前、林道を山腹に一本作るというだけだけで、気象条件が変わるかも知れないと大議論にもなったくらいに神経質なことらしい。
 
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真心を込められて、陽光と寒風と外気に身をさらす
 
 
一週間ほど天日に晒してから、移動して熟成させる。  
 
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約ひと月干したら出来上がり。 
 
僕が訪ねたのは11月だったから、まだ出来ていなかった。 
 
ちょうど今頃が出荷の最盛期なのでは?
 
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頂いたのは、去年の製作分。真っ白な粉を吹いて、糖度はなんと60度になるらしい
 
これだけ手間暇がかかるのだから、高級品となる。
 
首都圏、関西と広島岡山などの山陽地区にも販売されているそうだから、見つけたらぜひ買って食べて欲しい。
 
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柿小屋と呼ばれる3階建てのこの建物の光景の素晴らしさは、
今でも思い出す。
 
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ウットリしてしまう。
 
今年のメモリー。
 
 
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今年の里山の景観感動賞
 
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ちなみにこの表面に白い粉を吹いたのがコロ柿と言われるもので
島根県の戦略商品となっている。
 
 
一方、縁結びのパワースポットとして、女性の参拝が絶えない八重垣神社のすぐそばに、もう一つの干し柿加工場がある。
 
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こちらは、あんぽ柿である。
 
あんぽ柿と言えば、福島県伊達産が有名だが
ここ島根県でも生産されている。
 
 
やはりこれも西条柿を一つずつ丁寧に皮を剥き、
乾燥機を使って水分を30%くらい飛ばす、
少しウエットな状態で中がトロッと溶け出るようだ。
 
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気が遠くなりそうに丁寧な処理と扱いには恐れ入る。
 
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しっとりと柔らかいタイプと言える。干し柿好きにはたまらない一品
   
日本人は古くからこんなに上品で甘いデザートを食べてたんだ。
 
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どれも手作業であることについては変わらない
 
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JAくにびきは、本当に生産者のために販路開拓に努めている。
 
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商品の特徴を熱心に説く担当者の目はキラキラ輝いている。
 
きっと生産者目線で日々考えている頼もしいJAに違いない。  
 
 
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澄んだ青空と、深い緑の大地、そして干し柿の琥珀色。
 
 
今年の印象深い配色の里山の姿を振り返ってみた。
 
 
 
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2013年を振り返る(ニッポンを売る!!編)

気が付いてみれば、もう師走も半ばを迎え、
まだまだ日常の作業が残っているにもかかわらず、
とてもそんな気はしないのだが、今年を振り返る頃となった。
 
 
そこで、農産物の海外輸出の総括や
内外で出会った思い出深い体験などを
拾い集めてみたいと思う。
 
 
 
まず最初には、やはり
本ブログのメインテーマであるニッポンを売る! すなわち
農林水産物・食品の海外販路開拓についてであるが、
総じて「久々に逆風が収まって、商談や企画事業が円滑に進めることが出来た一年だった」と思う。
 
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台北での展示商談会の日本ブースも、大勢の来場者で賑わった(6月)
 
 
考えられる理由としては、やはり
異次元緩和による円安側へのスイッチが挙げられよう。
 
 
とりわけ以前から輸出を続けていた高額商品ほど顕著だったように思う。
 
 
ある県のナマコを扱う事業者さんに聞いたら、
「この円安のおかげで、止まっていた輸出がようやく5年ぶりに動き出した。アベノミクス様々ですよ」
と去年までと違うほころんだ表情を見せてくれたのが印象的だった。
 
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日本産乾燥黒ナマコ。加工過程でも手間がかかり歩留まりが悪いために高額になってしまう。宝飾品のように扱われるほどの価値がある (香港で)
 
 
なにしろ、この事業者さんの乾燥ナマコの販路は
9割以上が中国と香港の海外市場で、国内向けは微々たる比率なのだ。
そんな海外市場あっての地場産業もあるのです。
 
 
水産物など高級食材もそうだし、和牛や木材なども
動き出しているようだ。
 
 
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世界中から熱い視線を浴びているジャカルタ市場
 
 
おそらく今年は、
5年ぶりに輸出額5000億円の大台を突破しているのではないだろうか。
 
ただし、僕は円安になったから自動的に売れ出したとは考えてもいないし、円安だけが伸長の要因ではないと、現場感からそう感じている。
 
 
それは、これまで海外輸出に取り組んできた事業者さんたちが
円高、風評、不景気、周囲からの冷ややかな目線、上がらない実績などの逆風にもめげず、諦めることなく「継続して」販路開拓に努めていたからこそ、この機会をとらえることが出来たのだと考えてる。
 
 
リーマンショック後の急激な円高が原因で、日本からの輸出額はずっと4500億円前後で頭打ちになったとよく言われるが、これらの全国のチャレンジャーたちが頑張っていたからこそ、この金額が維持できていたのであり、もしもこの努力や挑戦が無かったら、数字はさらに大きく落ち込んでいただろう。
 
 
その意味で、僕は、特にこの苦しい5年間をあきらめず
継続的に販路開拓に努力をした全国のすべての事業者、生産者、そして、官民の支援者、海外の関係者の皆さんに深く敬意を表したいと思う。
 
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総人口が120万人足らずの宮崎県で160名を超える参加者を集め、沸々たる活況を呈した輸出勉強会
 
 
また、この間、
輸出にチャレンジする事業者の裾野が広がっていることも挙げられる。
 
 
もっともビギナーの人たちは、円高で輸出には大変厳しい環境だったことは、ほとんど認識されていなかったのではないだろうか。
 
     
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「輸出支援の現場は必ずしも海外だけでなく、実は足元にもある!」と僕はずっとそう訴え続けている
 
 
無理もないと言えばそのとおりだろうが、
為替というものはそういうもので、円安から円高局面に向かって初めてその影響を肌で感じるものだから。
 
さきほどのナマコの事業者さんの安堵のセリフがすべてを物語っている。
 
 
また、世界中で日本食や日本文化の認知度が高まったり、
オリンピック誘致活動や海外での日本人、日本企業の活躍も目立ち始めたこと、
 
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香港のバスターミナルで(2月)
 
 
同じく円安効果や震災のイメージ改善などで海外からの旅行客も増え、おもてなしに感激したニッポンファンも着実に増えている。
     
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北海道のおへそ富良野にも本当に大勢の外人観光客が訪れ楽しんでいる(5月)
 
 
要は、僕が10年以上前から繰り返し主張してきたように
まずは我々日本人が、自分たちの可能性やその文化・技術などに
自信と誇りを持つこと。
 
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香港九龍の街頭で (10月)
 
 
元気を取り戻すこと。
 
 
そのために下向き、後ろ向き、内向きの議論ばかりしないで
まず海外にも目を向け、視点を変えてみること。
 
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ホーチミンでのブランドショップ(6月)
 
 
すなわち心の姿勢の問題だと、元気人という言葉を使って
訴えてきたつもりだ。
 
ともすれば閉鎖的な地域や業界にあって
空気を読むことが常識となっている風潮の中で
個性を生かしてトンがる人たちが現れてきた。
 
 
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ベトナム・ホーチミンシティーに拡がるコンビニ (6月)
 
 
もっとも、これからのステージでは 
熱いハートに加えて、冷静でクールな
調査分析、マーケティング、戦略発想、仕掛け仕組みの手法など
様々な取り組みが求められることは言うまでもない。
 
   
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香港で (10月)
 
 
来年はさらにチャレンジャーが増え、一律でない多様な戦略戦術が現われることを祈らずにはいられない。
 
 
そのためにも、この5年間の経験を「建設的に総括」して
これからの活動に生かしていく知恵が求められるはずだと強調しておきたい。
 

12月を迎えて

ご無沙汰しました。
 
あれから海外・国内を間断なく回り続けていたら
あっという間に師走となってしまいました。
 
今年は本当にブログの更新が度々滞ってしまって
大変失礼しました。
深くお詫び申し上げます。
 
 
今月もまだまだ内外6カ所訪問する予定があって
たくさんの元気な皆さんとの出逢う予定があります。
 
これまでも出逢った多くが、
前を向いた元気な人たちばかりで
僕の方が大いに刺激を受けています。
 
とりわけ30代、40代の皆さんが様々な方面で頑張ってますよね。
 
よく比べてみると、今アジアでも元気があるのは
ニッポンかもしれないと感じるほどなんです。
 
 
“これで日本の未来も明るいぞ。”
 
僕は本気でそう信じてます…。
 
 
若い皆さんには、もっともっと
果敢にチャレンジ、変革行動に撃って出て欲しいと願っています。
 
 
このエントリを見てくださった友人知人の皆さまへ
本年は、服喪中ですので、
新年のご挨拶(年賀状)は控えさせていただきます。
本来ならお葉書でお伝えすべきところ、
代わって本エントリにてお知らせする非礼を
どうかお許しください。