第二の故郷(その1)

人にはたいてい第二の故郷を持っている。あなたはどこですか?

私の場合、香港か中国の広州市になる。香港は行った回数が延べ200回を超える最も長く滞在した思い出の地であり、広州は、私が仕事を覚え、将来の行く末を決めることになった私の原点ともいうべき地である。

一番早くいったのが1984年のことだから、かれこれ36年前になる。まだ文革の余波の残る我々外国人にとっては特別扱いされた「古き良き時代」であった。

少々窮屈な点を除けば、あの闘争心旺盛な人だらけの中国で「まともに」過ごすことができた。その象徴が外貨兌換券だった。いわゆる二重価格制なのであるが、この威力は目を見張るものがあった。何をしても並ぶ必要がなかった。

また食事なども別扱いだった。当時の料理と言ったら、まず小皿に皮付きの落花生と唐辛子ソースと練り辛子に、プーアル茶が入ったポットがそっと鎮座しており、ザイモクと呼んでいた広東ではポピュラーな青野菜の「菜芯」の炒め物や白茹でのエビ、痩せた焼鵞(ロースト・ダック)などといった広東料理がいつも並んでいた。

1時間待ってもまだ一品も運ばれてこない人民元払いの客をしり目に平然と何食わぬ顔で食事をすることを常とした。

事実上の租界であった。

トイレ百態(その1)

これは何だと思いますか?


実はこれ、沖縄の那覇市に構える、とある居酒屋のトイレサインなのだ。男・女もこうなる。

私には妙な収集癖があって、トイレのサインの画像を集めるという変な癖がある。

続いては、関門サービスエリアのトイレサイン。関門海峡といえば下関市のフグである。なんとも福々しい。

次は、神聖な太宰府天満宮にあるトイレサイン。このトイレを使うのはやはり善男全女であります。

お次は台湾台北市の居酒屋。美男子は言い過ぎだけど、水姑娘(スイ・クーニャン)とは、粋なネーミングである。

最後は、シンガポールのチャイナタウン・ヘリテージセンターのトイレサインである。

たかがトイレ、されどトイレ。
いかにも、お土地柄が出てて面白い。

(次回に続く)

裃(かみしも)と人民服

昔、中国かぶれと呼ばれる人たちがいて、独自のカルチャーを形成していた。人民服を着て、手には中国本を持ち、鼓弓でも持ったなら、もう立派な中国かぶれの出来上がりである。

今風に言うと「中国オタク」である。中華料理を好んで食べ、なかには中国語がペラペラな猛者もいた。まさに中国べったりの生活を送っていた。

一方、同じ友好人士でも日本人を忘れず、堂々と中国人と渡り合うことのできる人のことを、裃を着て付き合う人と呼ばれた。堂々と言うと違和感があるが、20年前は、確かにそんな雰囲気だった。

逆に言えば、今や中国の経済力が日本を追い抜き脅威と映っているのか、中国に対して厳しい論調が増え、すっかり変わってしまった。

国民どうしがうまく付き合っていくためには、何を着て臨めばいいのだろうか?