人にはたいてい第二の故郷を持っている。あなたはどこですか?
私の場合、香港か中国の広州市になる。香港は行った回数が延べ200回を超える最も長く滞在した思い出の地であり、広州は、私が仕事を覚え、将来の行く末を決めることになった私の原点ともいうべき地である。
一番早くいったのが1984年のことだから、かれこれ36年前になる。まだ文革の余波の残る我々外国人にとっては特別扱いされた「古き良き時代」であった。
少々窮屈な点を除けば、あの闘争心旺盛な人だらけの中国で「まともに」過ごすことができた。その象徴が外貨兌換券だった。いわゆる二重価格制なのであるが、この威力は目を見張るものがあった。何をしても並ぶ必要がなかった。
また食事なども別扱いだった。当時の料理と言ったら、まず小皿に皮付きの落花生と唐辛子ソースと練り辛子に、プーアル茶が入ったポットがそっと鎮座しており、ザイモクと呼んでいた広東ではポピュラーな青野菜の「菜芯」の炒め物や白茹でのエビ、痩せた焼鵞(ロースト・ダック)などといった広東料理がいつも並んでいた。
1時間待ってもまだ一品も運ばれてこない人民元払いの客をしり目に平然と何食わぬ顔で食事をすることを常とした。
事実上の租界であった。