明日から海外に出張しますので
記事のアップはしばらくお休みです。
まだ、ロシア・ウラジオストク編も完結していないのですが、
この間、最近訪ねたベトナム、カンボジア、タイ、台湾、中国、高知編など紹介したい記事を準備していますので、順次アップしていきます。
期待しないで待っていてくださいね。
Vietnam/Pho
<日本の農林水産物の輸出、海外展開><新時代の地域活性化><アジアとの新連携>を目指し、 海外に向けてニッポンを売り込み、地方の元気作りを支援する行動派コンサルタントの奮闘記
このブログの生みの親とも言うべき
私のITスキルの師匠で、
愛称「やまけん」こと山本謙治氏が遠路はるばるやって来てくれた。
3年以上前から、パソコン・電子機器音痴である私に、
根気強く1年以上もかけてブログの効用を説き続けてくれ、
もちろん今も頻繁に指導してもらっている。
もちろん今と違って、
ブログなんて日本でもほとんど知られていない黎明期の頃の話である。
私とは15歳も年下であるが、師匠は師匠である。
年の大小なんて新しい事にチャレンジするのに何ら関係ない。
山本氏の伝説的なブログ「やまけんの出張食い倒れ日記」をご存知の諸氏も多いと思う。
http://www.yamaken.org/mt/kuidaore/
三度のメシより食べる事が好きという氏が、
超人的スケジュールで全国を飛び回る出張先で、「佳い食事とは何か?」を求め、ひたすら喰い倒れる記録なのだが、その豪快かつ人情の詰まった日々のエントリ(記事)は、読者を山本ワールドに引き込んで離さない。
そんなブログだから早くから全国的な注目を集めており、
有名誌やテレビなどでも頻繁に紹介されている。
一日に約1万アクセスを誇る伝説的ブログと呼ばれる所以だ。
やまけん師匠がやってきた時の模様も、
さっそくアップされているから、ぜひのぞいてみて欲しい。
http://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/2006/11/post_924.html
(福岡の魚はやっぱり旨~いヨ!「漁師小屋」の鯖の刺身とイカ刺しに悶絶した昼時!)
その時の取材(食い倒れ!?)の様子である。
料理人の包丁さばきと変わらぬくらい、やまけんのカメラ捌(さば)きは目にも留まらぬ早業だ。
そして豪快に、「旨い!旨い!」と心の底から叫んでくれる。
彼はいわゆる美味探求のグルメではない。
食材生産者から料理人まで作り手のこだわりや苦労に思いを馳せ、これを応援するサポーターなのだ。
この点において、
実は、やまけんは私のもう一分野の師匠でもあるのだ。
山本氏の本業は農産物流通コンサルタントであり、
今や全国から引っ張りダコの人気で、
農水産業の生産者やJA、食品メーカーの顧問をしたり、
執筆、講演活動とその活動は幅広い。
今年4月から、NHKラジオ第一放送で毎週月曜午後3時半頃から、
「ビュッフェ131」という番組の中で、
その時の旬の食材を紹介するというコーナーに出演しているから、
国内どこにいてもやまけんの声を聞くことができる。
http://www.nhk.or.jp/radiodir/hot/b131.html
(NHKラジオ番組ビュッフェ131公式ホームページ)
専門家だけでなく、僕ら普通の市民に判りやすく
日本の農産物・食材の素晴らしさを紹介しているので、
多くの人に聞いてもらいたい。
山本氏の農産物流通に対する思想はシンプルで明確だ。
生産者が一生懸命心をこめて食材を生産する。
消費者はその素晴らしさを知り、
日々の食生活を通してこれを消費する事で農水産業・食品業を支えていく。
良いものを作るのにはそれなりのコストがかかる。
その事も消費者は次の再生産の糧となるときちんと受け止め、そして消費する。
最近巷では、
食育という言葉があいまいなまま連呼されているが、
私は氏の思想こそ本物の食育であり、
彼こそ真の生産者サポーターだと考えている。
私も国内農業振興のサポーターの末席にいるつもりではあるが、
その造詣の深さと長い実践の積み重ねでは、とても足元に及ばない。
だから農産物の国際貿易に対しても、やまけんには一家言ある。
私には耳が痛い事も多い。
私は氏の考えと行動に触れるたびに、
いつも立ち止まってその原点を確認する。
「何のため、誰のための農産物の輸出なのか?」
自問自答は尽きない。
安倍新政権の食品輸出1兆円構想(9月29日所信表明演説)が打ち出された今こそ、関係者はこの点をしっかりと押さえておかなければ、「ニッポンを売る!」活動は、単なる輸出ブームに終わってしまう。
やまけんブログの記事では、豪快な「やまけんの喰いっぷり」と案内人である私との掛け合いが軽快なテンポで紹介されているが、
その裏では「生産者のために、消費者のために僕らは何が出来るのか?」というテーマで、実はかなり真剣な師弟の議論が取り交わされた事を敢えて付け加えておこう。
下の2枚の写真は私が写した料理写真。やまけんのブログ写真と比べて頂きたい。その差は一目瞭然だ。
http://www.yamaken.org/mt/kuidaore/archives/2006/11/post_924.html
同じモノを写しても、どうしてこんなにもシズル感(料理の臨場感)が違うんだろう? まだまだ修行が足りない・・・
16日、新潟国際ビジネスメッセが二日間にわたり開幕し、
午後のビジネスシンポジウムにパネラーとして参加させていただいた。
地場企業と共に、中国やロシア、モンゴル、韓国など海外からの商談ミッションも参加し、会場ブースでビジネスマッチングに出展した。
シンポジウムのテーマは、「中国東北三省とのビジネスマッチングを求めて -その問題点と解決策を探る」と題し、中国側から三省のビジネス・キーパーソンが熱のこもった講演を行なった。
新潟と友好関係の深い黒竜江省からは省商務庁の王副局長、自動車工業など発展著しい吉林省からは人民政府の王副秘書長、省全体で外資誘致を全面展開する遼寧省からは対外貿易経済合作庁の宋副処長が登壇。
各省とも豊富な資源と国家的な東北振興政策を背景に、自信たっぷりにプレゼンテーションを行なった。かつての国有企業の重荷を背負うイメージを払拭するに相応しいなかなかスマートな紹介振りであった。
中国東北部、朝鮮半島、極東ロシアに近い新潟は、戦略的にこの「北東アジアとの経済交流」に積極的に取り組んでいる。
企業誘致や観光誘致、農産物輸出などにも大変熱心で、私も大いに勉強させてもらった。
シンポジウムの進行と総括をされたのが吉田進 (財)環日本海経済研究所理事長で、今回のビジネスメッセの実行委員長である。
吉田理事長は私の前職の貿易団体の大先輩で、日中貿易業界および中国ビジネスの実証研究では大御所的な存在だ。
最近の中国、朝鮮、ロシアの情勢分析は大変貴重で示唆に富み、今後の地方都市と近隣諸国との経済交流を考える上で大変参考になった。
財団法人環日本海経済研究所(通称:ERINA)は新潟を拠点とする実績あるシンクタンクで、中国、北朝鮮、ロシアに精通する若きエキスパートがそれぞれいて、活発な調査研究活動をしている。
私も今回のウラジオストク訪問を前に、情報収集の為にわざわざ新潟までERINAを訪ねたほどのとても頼りになる存在だ。
北朝鮮の今後の展開次第では、新潟を中心とする日本海側の経済交流が劇的に活発化すると私は観ており、来年、政令指定都市となるこの街を拠点に、元気な日本の地方がまたひとつ飛躍する事を心待ちにしている。
紅葉の街路樹がロマンチックな新潟の通り
それにしても、どうして新潟で買う柿の種は、こんなに美味しいんだろうか?
今回の訪問で多くの予想を大きく裏切った物のひとつにロシア料理の味がある。
私は食品関連のビジネスコーディネーターもしているため、現地受け入れの方に予め無理を言って、ひとり我侭と知りながら手配上、食事に関わる様々な要求をさせてもらった。
これまでの印象は、貧しい時代が長く続き、厳しい冬を乗り越える極東ロシアの料理は、質素で味気のない煮込み料理ばかりだろうと、正直まったく期待をしていなかった。
しかし、ウラジオストクの街は、その予想を大きく裏切ってくれたのである。
アメリカ出張での食事は3日目ともなると、食いしん坊の僕でも胃が受け付けなくなり、チャイナタウンか日本料理店に駆け込む始末だが、ロシアでならたぶん数週間は大丈夫だろうと思う。
ひと口でロシア料理といっても、伝統的なロシア宮廷料理もあれば、ウクライナやグルジアなどの民族料理も多彩で、中央アジアや黒海地方の珍しい料理もウラジオストクで堪能できる。
アルメニア料理は、世界三大料理の一つといわれるトルコの強い影響を受けている、とてもバラエティーにとんだ品々が並ぶ。
羊肉の炭火焼やハーブを使った料理など、これまで味わったことのない美味をこれでもか、と堪能できた。
羊のカバブは絶品
またウラジオストクは港町だけあって海産物も豊富で、ナーベレジュナヤ海岸通りと呼ばれるリゾート気分満点の海鮮レストランでは、生まれて初めてこんなに食べたことがないほどのタラバガニを頬張った。
ひとりで二ハイ(匹)分ぐらい食べただろうか? 年のせいで胃袋が小さくなったことをこんなに悔んだことは無い。
みんな押し黙って食べる食べる
目の前にみるみる殻が積み上げられる
熊エビという聞き慣れないエビを初めて食べたが、味が濃くて、旨み成分の甘さが口いっぱいに広がり、しかも、何匹でもお腹に収まっていく摩訶不思議なエビである。
今まで食べた甲殻類で一番美味しかったんじゃないだろうか。
まだシャリシャリと冷たさが残る、下ごしらえの極めてお粗末な冷凍エビなのに、である。
愛らしいユニークな顔をしている
日本で輸入すれば間違いなく大ヒットすること保証つきの旨さなのだが、地元でも、シーズンと収穫量が限られてしまうので輸出に回らないのだとか。
わざわざウラジオまで食べに行く価値があるかも…。
もちろんピロシキ、ボルシチ、つぼ焼きスープも、コク深い味で最高だった。
やっぱり本場の物を賞味しないとコメントなど出来ないな、とつくづく感じた。
かの有名なロシアン・ボルシチ
スープやシチュー料理が、こんなにまで奥深く、美味しい物だとは思わなかった。いや驚いた。
スープに対する意識が180度変わった一皿。アルメニア料理店で
サーモンソテー。ロシア料理が脂っこくないことが分かる
私が大好物のニシンのマリネも無理にお願いして注文し、感動しまくりであった。前菜(ザクースカ)で有名な一品で、キリッと冷えたウォッカにピッタリである。
アイスクリームが特別美味しいのにみんなビックリ。何故だろう?
やっぱりヨーグルトもあった。カスピ海かな?
最後に、ロシア紅茶について一言。
僕は今まで、てっきりロシア人は紅茶の中にジャムを混ぜて飲むのかと思ったら、どうも本場では、ジャムや蜂蜜などを匙で舐めながら紅茶を飲むらしいのだ。
またひとつ勉強になりました。
港湾全体を視察するのに、ウラジオストク港と金角湾(ザラトイ・ログ)が一望できる展望台に行った。
やはり港町。
天然の良港であると同時に、世界一の国土を持つロシアでも、数少ない太平洋につながる「南」の出口として、重要な拠点となっている。
ソ連邦の成立後も、海軍太平洋艦隊の基地として街全体が長い間「閉鎖都市」となっていたのだ。当時、一般のソ連市民でさえ、許可なくウラジオストクに行くことは出来なかったのである。
連邦解体の過程で、1989年にソ連市民に、1991年に外国人にも開放されるようになった街である。
ちなみに、中・近世には、中国の元朝や清朝の勢力が及んだ時期もあり、中国人は今でもウラジオストクのことを「海参威(ハイサンウェイ)」と呼ぶことがある。(ウラジオトク総領事館のHPから)
海参とは中国語でナマコの意味で、ナマコが多く生息する断崖を指している。
博物館に所蔵されている昔の看板。「海参威」の文字が見える
停泊する軍艦を目の当たりにすると、かつて冷戦時代の東側の巨頭である軍事大国の片鱗に触れるようで、少し緊張もするが、若い兵士たちの屈託の無い表情を見ると、
「同じ人間なんだなあ」と少しホッとする。
そのうち、コーディネーターの方が、
「週末にもう一度ここに来ましょう。面白いものが沢山観れますよ。」と言う。
帰国前日の金曜の午後に行ってみたら、
いるいる!! ウエディングドレスに身を包んだ新郎新婦が何組も写真を撮っているではないか。
この街では、結婚式を終えると港をバックに記念写真を撮るのがお約束のようで、いかにもウラジオストクらしい。
親族や友人が集まってワイワイやっているグループもいるし、司祭のような人がいて儀式のようなことをしているところもある。
とにかく幸せそうで、あちこちでキスをしたりダンスに興じたり、ととても開放的だ。
きっと昔と様変わりして、個人の幸福を公の場で披露することが自由になったのだろう。
こちらは、ずっとアテられっ放しだったが、幸せのお裾分けを頂いてパッピーな気分に浸った。
心はひとつ・・・
どのカップルも新婦の純白のウエディングドレスがまばゆいばかりに美しかったが、ロシアでは美しさや清潔・清浄の色といえば、赤なんだそうである。
モスクワに赤の広場という名所があるが、これは社会主義だからではなく、ロシア人が伝統的に好む象徴的な色なのだそうだ。
だから、民族衣装も、インテリア用品も赤を貴重としたものが多い。
ロシアの民族衣装
なんだか中国と似ている。
またひとつ勉強になった。
ウラジオストクでの訪問先のひとつに民営の海運会社があり、ここで貴重な体験をした。
立派なオフィスに調度類。
今年若干46歳の創業社長は
小さな海洋調査会社から身を起こし、
今では十数隻の中古船と倉庫も保有するに至っている。
とても精悍な表情をしており、いかにも男っぽい。
それもそのはず、以前はキャプテン(船長)をしていて
世界の海を股にかけていたのだと言う。
起業から現在に至るまでまでの創業物語は、さながら立志伝のよう。
地元当局と密接な関係を持って事業を拡大させる他の業者を尻目に、絶対に人に頼らないという強い意志を持っている。
それだけに、癒着する同業者との激しい競合や妨害工作、法外の攻撃などに常にさらされるのを、自らの力だけを頼りに事業を守り続けている姿は、さすがに小説になるような男の世界がそこにあった。
引き込まれるような眼差し、聞き入ってしまう落ち着いた語り口。
男が惚れる男…。
そのうち秘書のようなスラっとした女性があの有名なロシア紅茶を運んできた。
若くて美人というだけ(?)なら、時おり出くわすこともあろう。
しかし、その上
大胆にもウエストが丸出しで、胸も大きくはだけているなんて有り得ない事で、一瞬ギョッとした。
(掲載できないようなスナップが何枚か撮れて?しまった)
せっかく感動あふれる会談の最中に、
なんでこんな時に煩悩にさいなまれなきゃならないのか!?
と心の中で頭を掻きむしりながら、何度も葛藤する…。
そのうち会話も弾み、予定になかったのだが、
ぜひ自分が案内するから所有する埠頭の現場を見に行こう、と言う。
わざわざ社長が出てこなくても良いから、と遠慮したが、
社長: 「自分が行かないととても危険だから」
一同: 「んッ!?」
足元が危険だというのか、それとも…。
予想は当たってしまった。
私が乗せられた車は、どう見ても装甲車。
外にコンバットと書かれている。
乗車しようとするのだが、ドアが重くてなかなか開けることが出来ない。
聞けば、14kgもあるのだと言う。女性なら絶対に動かせない。
鉄板の厚さは75ミリ。当然防弾ガラスで、もちろん開閉なんて出来ない。
車の中は、総革張りのリムジンそのもの。
軍事工場で作ったもので、もし海外で作ったら数億円はする代物で
ウラジオストクにはわずか2台しかないと言う。
初めは子供のようにはしゃいで、自ら運転する社長にいろいろ質問などしたものだが、よく考えてみると、なんだかそら恐ろしくなってきた。
鉄柵を張り巡らせてある敷地内に入り、荷役する現場に着いて
感動のコンバットから降りたのだが、そこで2度ビックリ。
後ろの車から機関銃を持った無表情の警備員が出て来て、ピッタリと我々を護衛するではないか!!
ゾ、ゾオ~ッ。
そうだ、どこでも港の現場には怖い所があると聞いている。
しかも、ここはロシア…。
それでも、港湾荷役業務の話、中古車取り扱いの話など、現場で社長が熱っぽく語る話に引き込まれ、いつの間にか夢中で聞き入ってしまっていた。
新たに広大な敷地も買収し、壮大な事業構想なども伺い、予定を1時間以上オーバーしたが、本当にあっという間の収穫多い貴重な訪問となった。
帰る頃には、僕はあの機関銃を持っている警備員とも
アイコンタクトで仲良くなり、
彼のフト見せる笑顔にお友達感覚となった。
なんて優しい目をしているんだろう。
でもイザと言う時は、体を張って凄まじいもんだろうな、なんて勝手に想像を膨らませてしまう。
ロシアに詳しい人に聞けば、このような身辺警護やオフィスにいたセクシーな秘書は、結構よくある事だそうだ。
装甲車や機関銃の「硬」とセクシー秘書の「軟」。
僕はほんの少しばかり中国兵法の現代ビジネス向け解釈をライフワークにしているが、知ってかしらずか、この社長は、「硬軟ゆさ振りの計」を実践しているのだろうか。
僕が勝手に精神を揺さぶられただけ、とも言えなくもない。
兵法分析家(!?)として、チョッとばかし恥ずかしい。
事業競争の話を聞いても、登場する男女にしても、見方をすれば、ロシアは力ずくのマフィア経済が牛耳っているというような言い方もされるのかも知れないが、どうも言葉のイメージと現実は少し違うのかもしれない。
とにかく、このストレートさ、強烈さが何とも刺激的で心を揺さぶられた。
私にとって、ロシアに強い興味が湧いた瞬間だった。
ウラジオストク港の調査にあたり、沿海州政府、港湾行政機関、管理企業、民間企業などを精力的に訪問し、情報収集を行なった。
行政府の案内で、一般には入れない港湾施設の視察も実現した。
とにかく目立つのは、日本から輸入されたおびただしい台数の中古車だ。
ほかに建機や農機も多かった。
日本の地方港にはウラジオ港からは木材や水産物、鋼材関連などが輸出されるが、日本からの輸入貨物は圧倒的に中古車と自動車部品だ。
市内では、やはり圧倒的大部分が日本の中古車が走り回っている。
道路の車道は、日本と逆の右側通行だが、ハンドルはすべて日本と同じ右ハンドル、とお構い無しである。
トラックやバスは、塗装も替えずにそのまま走っている。
コンテナヤードも管理はされているようだが、それ以外のスペースは、とにかく通関待ちの中古車で溢れているといった状況だ。
建築中の駐車場も、まだ工事中なのに、すでに出来上がったフロアから車を保管しているという荒業だ。本当に駐車スペースがないのかも知れないのが、信じられない。
ちなみに昨年のウラジオストク商業港のコンテナ取扱量は12万TEUで増加傾向にある。
ウラジオ港もここ数年中国向けの貨物が増加しており、どちらかというと今は中国の方を向いている感じだ。
また、この現場でも、中国人・韓国人ビジネスマンの精力的な活動ぶりが目についた。商談や視察のミッションが相次いでいるらしい。
日本人も頑張ってもらいたい。
サハリンプロジェクト中断や漁船銃撃報道だけを観て、ロシア全体に先入観を持ちビジネスの現実から目をそらすことなかれ!