西の終着駅、長崎。
JR長崎駅では龍馬観光案内所まで設けられ、
日曜日ということもあって内外の観光客が情報を得ようと集まっている。
観光誘客でも市民総動員の積極的な仕掛けが功を奏しているのだろう。今年の観光客は大幅増の見通しだと言われている(関係者談)。
街全体が博覧会場。豪奢なパビリオンも開催期間もなし。車も要らず好感度大。
農商工連携の研修会が終了した後、
帰還の列車を2本分遅らせて(主催者様ごめんなさい)、
しばしの幕末遺跡めぐりの「さるき」(長崎弁で散策の意)をした。
JR長崎駅から程近く、しばらく坂を登ったところに聖福寺がある。
黄檗宗の寺で、1867年に龍馬率いる海援隊が、
伊予大洲藩から借り上げた「いろは丸」と
紀州藩の船「明光丸」とが衝突した「いろは丸事件」の談判があり、
土佐の後藤象二郎と紀州藩勘定奉行とのトップ会談が開かれた場所ぜよ。
大河ドラマ「龍馬伝」でも、おそらく、
もうすぐ登場する場面ですたい。
僕は、この交渉を有利に進めるために、
様々な策を講じていく「仕掛け人・周旋家」としての龍馬にとても共感する場面でもある。
http://www.ryoma-den.com/shiryou/irohamaru.html
さらに坂道を歩き続ける。 ゼイ・ゼイ・ゼイ・ゼイ・・・・
少し駅側に戻ると、勝海舟が航海術などを学んだ時期に逗留していたと言われている本蓮寺が見えてくる。
本蓮寺
ゼコゼコと息を切らせながら斜面に広がる墓地を上っていくと、
以前からどうしても訪ねてみたかった海援隊士の沢村惣之丞の墓に参ることが出来た。
手前が沢村惣之丞ほかの墓 下に眼を移すと・・・
小高い墓所から、夕暮れの長崎の町が一望できる。
当時の日本で、唯一、世界につながっていた交易の町。
沢村をはじめ海援隊の隊士たちは、
どんな思いでこの風景を眺めていたのだろうか?
意外に同じことを考えているのかもしれない・・・。
だって、幕末の日本と現代は、本当に良く似ている
と僕は考えるからである。
「ヨッシャッ! もう一ヶ所だけ訪ねよう。」
特急列車をさらに2本遅らせることにして(重ね重ねごめんなさい)、
次の史跡を目指すことにした。
目指したはいいが、急な下り坂を降りようと、
一歩足を踏み出した、その瞬間、
腰から膝にかけてガクガク、ブルッブルと悲鳴を挙げて
いうことを聞かない。
気持ちだけが前にツンのめって、下肢がついていかない…。
何たる心身の体たらくだとわが身を恨みつつ、
スイスイと駆け上がってくる地元・長崎の人を見て、
眼を白黒させるばかりだった。
(次回に続く)
「人生はすなわち坂道なのである」 ニッポンを売る!嘆
田中 豊
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竜馬伝は欠かさず見ています。この社会を作った先人たちのドラマは心を揺さぶられます。
多少史実と違うのが、気になる点はありますが、どげんかせんといかんばい!という気持ちになります。
高杉晋作の想いは、その後の志士たちに継がれましたが、悔しかったのか、超越した心境に行けたのか、どうでしょうね?
じーこむらさん コメントありがとうございます。ずっと出張続きでお返事遅れましたことをお許しください。縁あって、海外に加えて全国各地を訪ねているのですが、今、大きな変革期に入っていることは間違いありませんね。これからは何が起きてもおかしくないところまで限界値に近づいている感じです。僕たち世代が30歳から20年間、日本の針路を停滞させてきたツケがこれから顕在化します。残された時間は短いでしょうが、じーこむらさんはじめ全国の元気作りの皆さんたちと共に、「面白きこともなき世を面白く」命を燃やし尽くす気概で時勢に向き合いたいと志しています。