「これからは、世界の警察官であり続けることは出来ない。」
わが国も冷や水を浴びせられたかのごとく
自主防衛論の是非についてにわかに騒がしくなってきた。
改めて「アメリカの傘の下」という環境下で成り立っていたんだと
再認識させられた人も少なくないだろう。
「これからは、世界の警察官であり続けることは出来ない。」
英国のEU離脱といい、トランプショックといい、
圧倒的な事前予想を越える結果となった。
現地の高名な専門家も、調査機関も、またメディアまでもが
大方の予測を外してしまった。
しかも、フェアでルールに忠実な国民が
英国のEU離脱に続き、
どこの国も発展途上の段階では、
いかに優良な人材を海外や外資企業に供給出来るかがカギである。
以前から、ベトナム人は勤勉で真面目によく働くという
もっぱらの評判だったが、どっこい今も健在であった。
ここは工業団地にほど近い、
日系企業向けの人材派遣研修機関である。
もちろん日本にも研修生として派遣する窓口業務も行っている。
校内は、秩序正しい空気に包まれている、
校内の掲示板に反省文のコーナーがあるのには驚いた。
中には、日本語で書かれたものまである。
学生たちとすれ違うと、全員が立ち止って一礼し、
こんにちは!と笑顔で大きな声であいさつする。
実に気持ちがいい。
日本式の挨拶の効用を、ここハノイで再認識するとは・・・。
日本の若者をこそ、こんな機関で再教育しなければいけないと感じたのは、ひとり僕だけではなかろう。
ごみの分別など、日本に行っても戸惑わないように
実際にシュミレーションしているほどのこだわりようだ。
担当官に話を聞いたら、予想通り、
最近のベトナムの経済成長に伴い、
日本への研修を望む若者が頭打ちになりつつあるという。
中国もそうだ。あれだけ無尽蔵だといわれた
ワーカー人材が集まらないのが現状だ。
そこで中長期的な戦略として、この機関は
二つの方向性を掲げている。
それは、いずれ枯渇する研修生をミャンマー、ラオスなどの
次のフロンティアに求めることがひとつ。
ただこの戦略は法の壁があるなど、意外に難しいのだそうだ。
もう一つの比較的現実路線が、
ベトナム人材の質的向上、高度化戦略なのだそうだ。
企業ニーズに合わせて、礼儀や習慣のみならず、
専門技能等の養成にも力を入れていくらしい。
時代の変化に対応しなければ、
ビジネスはあっという間に淘汰される。
実に24年ぶりのハノイ再訪である。
1992年以来ということになる。当時は日本から直行便はなく、
行き帰りはバンコク経由しかルートがなかった。
ビザの手続きもベトナム商工会議所が一元的に管理しており、
全行程に現地のガイドの同行が義務付けられていた。
入国時は、荷物検査がやたら厳しく、
蒸し暑い税関を通過するのに2時間くらいかかったことを
覚えている。
そして月日は流れ、2016年。
日本の援助で建てられたのだろうか?
ハノイ・ノイバイ空港は、日本の施設と見間違えるかのような外観と内装のとても近代的な空港ビルに変貌していた。
今やイミグレや通関のスムーズさは、日本のそれを凌ぐかのよう・・・。
でも出迎えゲートの人混みとムッとむせ返るような熱気は当時のまま。
空港から出迎えのバスに乗り、そのまま近郊の
「タンロン工業団地」を視察した。
ここは日本の商社が開発した北部ベトナムを代表する工業団地である。
そのほとんどが日系企業で、錚々たる大手メーカーが整然と軒を連ねている姿は、
さながら30年前の大連や広東、江蘇などの経済特区や保税区を思い起こさせる。
企業のアジア展開も多様化している。
先行モデルがあって、後発者が追いつくスピードは、
予想をはるかに超える速度で進み、そして過ぎていく・・・。