遠くて近い国へ(その6)

(先々々回より続く)

    
今年は日系移民100周年にあたり数多くの記念行事がサンパウロでも行なわれている。

   
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サンパウロ・大阪橋付近
   

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私が訪ねた期間も、ちょうど沖縄から大勢の団体がブラジルを訪れ、交流事業を行なっていた。移民の皆さんの出身地は、県別では沖縄県がもっとも多いことからその熱意が伺われた。
   

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その日の夜、在伯日本商工会議所(伯とはブラジルの意味:昔は漢字で伯剌西爾と表記していた)の会頭、日系県人会会長をはじめ多くの日系人のリーダーの皆さんと交流する機会があったのである。

       

本当に親しく面談していただいたが、二世、三世としての生い立ち、先祖先達の苦労や日本に対する想いを存分に伺った。そして感動した。

   
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会長さんのお話に本当に感動し、涙した

   

県人会会長さんの話によれば、当時はもちろん苦労も多く、最も困ったのは異国の地での様々な病気に医者が不足していたこと。
      
そこで日系人は医者を育てることをはじめ、教育に力を入れたそうである。医学だけではなく、本業の農業技術や土木・建築なども熱心に子弟に学ばせ、これを日系人だけでなく、ブラジル社会に還元させ、広く深く貢献したのである。

    

   
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東洋人街の医院  ※本文とは直接関係ありません

    

それは今でも農業という事業を通じてサンパウロ郊外に深く根付いていて、大勢のブラジル人から敬意と感謝の念を持たれていて、その結果、親日的感情がとても強い。

       
僕自身も各地で何度も体験済みである。
  

  
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実に多様な人種が共存する国 -Brazil

   
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友誼の情は大切だよね

   

    

どちらかと言うと、流通や商売に熱心で結束強い中国人や韓国人との決定的な違いがここにあり、日本人街が少ない所以でもありそうだ。
   

   
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チャイナタウンやコリアンタウンは最近海外でもよく見かけるが、リトルトーキョーがとても少ないことにかねがね寂しい思いをしていたが、今回、その理由と真意がハッキリして、却って嬉しい気持ちにもなった。
    

    
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尊敬します 日系の皆さん!

     

僕はこのお話を時系列にスケール大きく滔滔と聞かせていただき、感動し心から涙した。

   
   
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この時ほど僕は日本人に生まれて良かったと誇りに思ったことはない。 

    

アジア各地では反日的感情の発露に寂しい思いをすることがたまにあるが、ここブラジルではまったく逆である。

   
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どこから見ても日本人同士なのに、言葉はポルトガル語だ。不思議!

    

日系移民先達の苦労と貢献のおかげで、後の世代の我々にどれだけの良好な環境をもたらしてくれたであろうか。

    

   
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ニッケイ新聞 !?

  
   

それにしても現代においても、日本人の農業技術における貢献は素晴らしいものがある。

     

この点でも、日本国内で餃子問題のアンチテーゼとして感情的に唱えられている内向きの自給論議だけでなく、世界に日本の素晴らしい農業技術を広めることこそ、わが国の戦略にも適うし、自然条件の異なる環境での研究、向上のためにも必要な事ではなかろうか。

    
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ブラジルでは一体何杯のコーヒーを飲んだだろうか?
100年前、コーヒー園の契約労働者として入植した
移民の皆さんの苦労に思いを馳せる

    
     

今回面識を得た日系の皆さん方の異文化を受け入れ共存し、日本の文化や技術の伝播を惜しまないスケールの大きさ、そして底抜けに明るいポジティブ指向など考えさせられることの多い大きな収穫を得た。

      

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日本はこういうイメージ?
   
   
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手作りドリンクとっても美味しかったよ。ご馳走さまッ!

    
    

          

ブラジルはまさに「遠くて近い国」なのであった。
                             
                             (シリーズ終わり)

      

   
※今回、南米訪問の機会を与えて頂いた、創立50周年の社団法人
福岡貿易会
に対し、この場を借りて心から厚くお礼申し上げます。

      

   
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    Obrigado !!    ありがとう!ブラジルの皆さん

   

遠くて近い国へ(その5)

(先回より続く)

セー広場から、しばらく歩くと隣接しているのがサンパウロ市の
リベルダーデ(Liberdade)地区。

   
     
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リベルダーデ広場前
     
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広場はちょうど工事中で立ち入ることが出来なかった

      

     

ここは、今回の出張で僕がどうしてもじっくり訪ねたかった場所のひとつである。

    

東洋人街と呼ばれているこの地区は、かつての日本人街で、
いまでも日系人の重要なコミュニティーを形成している。

    
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聞くところによると、最近は中国人の進出が目覚しく、店舗のオーナーや家主が商売上手な中国人の手に渡ってしまい、日本人ではなく東洋人街として移り変わっているらしいのだ。

    
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日本人としては少々残念

   

    
それでも街のレイアウトや店の構えは、まだ日本の面影を数多く残している。

    
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通りの入り口は朱の鳥居も

   
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こういうセンス たまらないねぇ

    

さあ、一軒ずつ店舗探訪だッ。

   
   

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調味料だけでもこの品揃え

    
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ブラジル産だろう。日本式の野菜が数多く並んでいる

   
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おやっ!? デコポンが売られているぞ!
熊本県の皆さん!ブラジルまでその名が轟いていますよっ

    
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日本酒類もこのとおり

    
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おおおお~っ!? イチゴが売られているぞ。

   

日本から持っていければ売れるだろか?

   

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サンパウロでも寿司ブームのようだ。

  
日系人というよりも、白人の方が関心を示していた。

    

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       半生和菓子類も良く売れていた

    

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ジャポニカ短粒種の米も山積みされている。
寿司専用米というのもあった

     

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麺類も豊富

       

加工食品がメインだけれども、ものすごいアイテム数にビックり。

   
この通りだけには、日本の空気が流れている。

     

つい、地球の真裏にいることを忘れてしまいそう。

   

  
日系人はもとより、白人、中国人、韓国人など非日系人も数多く買い物をしていたのが印象的だった。

    
   
ここブラジルでも日本食材は人気なのだ。

    

      
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文字通り日系社会を構成している。 「ココ ヤキウ」は面白い

                
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面白いブランドがあるもんだ

         

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ハチミツや強壮剤プロポリスはブラジルの特産品

      

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人通りは非常に多い。人種に区別は全く感じられない

    
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東洋人街のメインストリートであるガルボン・ブエノ通り。

  
鮮やかな夕陽を浴びながら、僕はこの通りにかかる大阪橋と呼ばれる橋のたもとで30分以上も物思いにふけって立ち止まってしまった。

 
長年にわたる日系移民の開拓者精神に
思いを馳せながら・・・。

   

それを思えば、この精神は「ニッポンを売る!」という新たな思想として、今も脈々と僕の体に息づいていると思えばよいのではないだろうか?

     

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すでに相当の距離を歩ききっているのに、
脳内アドレナリンは噴出しっぱなし。

     

それにしても「ニッポンを売る!」ための本能的行動は
たいしたもんだ
、と自分の事ながら驚くやら、あきれるやら・・・。
   
(本当は時差ボケも加わっていて、かなり参っているはずなのだ)

       

        
        
そして、今からちょうど100年前にあたる1908年にここから約70キロ離れたサントス港に笠戸丸が着岸して、日本人最初の移民が上陸したのである。
                                 (次回に続く)

       

遠くて近い国へ(その4)

            
(先回から続く)
      

一度刺激を受けると、さらに強い刺激を求める・・・。

    

僕はサンパウロの下町をさらにディープなところへと歩を進めていった。

    

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もうすっかり地図でも今の位置はわからなくなってしまっている。

    

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市場の雑踏を過ぎて10分くらい歩いたであろうか、ホコリっぽく
土気色をしているが、明らかに大きなバスターミナルのようなところにたどり着いた。

      

あちこちからひっきりなしにバスが行き来している。

   

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結構新式バスばかり。
   

バスは大勢の人を吐き出したり、また吸い込んだりして出入りを繰り返している。

   
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あれぇ~っ。ここにも背中が開いている娘が

    

    
そのバスの乗降客が必ず通るあまり広くない広場のようなスペースがシンプル商売の小宇宙なのだ。

    

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しばらくここをウロウロする事にした。

     

いろんなものを売ってるじゃないか。

    

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ブラジル人はカラフルがお好きなようだ

    

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 ナタを振り下ろす!!
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               お見事ッ!!  それにしてもアブねぇなぁ

    

   

大体簡単な食べ物が多いようだ。

      
         
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本場のシェラスコ売りもいる。

   

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この炭火焼の煙を嗅いで、何度誘惑に負けそうになったことか!

   

なんとも言えないジューシーで、しかも香ばしい肉の香り。

よだれが落ちてくる。

   

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これはブラジル版「角打」(立ち飲み居酒屋)か。

     

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     手前のピリカラっぽい突き出しが強い酒に合いそうだ

     
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あ~あ オジさん、酔っ払っちゃったの?
    

香港の80年代の九龍城、マニラのスラム街、バンコクの深夜の屋台群などと異なり、これまでのアジアではあまり体験したことのないディープな感じがたまらない。

   

始めは少々心細かったので、サッサとおいとましようと思ったが、なぜかこのエリアが僕を受け留めてくれているような錯覚がして、ついつい長居をしてしまった。

    

かれこれ40分以上いたであろうか。たいして広くもないスペースに。

    
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美味しそう!

   
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褐色のまばゆさ

          

とても小汚いのに、いつまでも居ていたいと思わせる妙に惹かれる場所だった。

    
      
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カチカチなアイスキャンデー

   
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アレレ?? ヤッパ背中開いてんじゃん

    

    

今度は人の流れに任せてズンズンと歩いていく・・・

      

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すると、あの有名なセー広場に出てきた。
    

     
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カテドナル・メトロポリターナ大聖堂

   
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これでようやく地図でどこに居るのかがわかったゾ。

    

相当な距離を歩き廻っていたことを知る。

     
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またこの辺りからスタイリッシュなパウリスタが多くなる

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かなり運動量に加え、心の緊張感が弛緩した脱力感が合わさり、
なんとも言えない気だるい疲れを初めて感じる。

    
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夕日に伸びる長い影がなんとも美しい

   
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ヨーロッパそのもの

    
 

 ああ、やっぱり、旅に出て来て良かった・・・。

      

 古いカトリック教会の袖で、ふとそう思った。

                               (次回に続く)

     

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telephone stand 2

    
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遠くて近い国へ(その3)

         
(先々回から続く)

僕には変な嗅覚がある。
   

    
知らない街のどこに放り込まれても、庶民が大勢集まる地区に吸い寄せられるように行きつくのである。(カネの匂いを嗅ぎつけないのがくれぐれも口惜しい)

    

     
ここはブラジル・サンパウロ。
   
言葉も通じないし、土地勘なんて何もない。自分独り。

    

それでも性懲りなく、ホテルで入手にした簡単なシティーマップを片手に独り地下鉄の駅を探し、ひたすらダウンタウンを目指す。

    
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地下鉄の切符売り場

    
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対面で切符を買うのも旅の楽しみ。
どこまで乗るのかも分かってないくせに・・・

   
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    これが切符。紙製のシンプルなもの 2レアルで買った

    
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明るいホームは日本と変わらない

      
       
   
いくつの駅を過ぎたことだろう・・・。

    
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生活者風の人たちがどっと乗り降りする駅を狙って降車して、
モグラのように地上に顔を出してみる。

     
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ここは一体どこなのだろう??

   

場末では確かに浮浪者やごっつい人種がたむろしているし、土地勘がないからどっちの方向に行っていいのかも分からない。

    
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なんとも言えない不安感・恐怖感と奇妙な安堵感が交錯する。

    
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僕にとっては一種の麻薬のような危険な感覚。一度体験するとこれが止められない。
     

海外での放浪アドベンチャー好きには共感してもらえるのでは。

      
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青いカバーは車椅子の人用の電話ボックスなんだ

    
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若いときに培ったイザという時の処世術だけを唯一の武器に、ズンズンと街頭のジャングルの中に足を踏み入れる。

    
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人通りはまばらで淋しいが、勘だけを頼りにある種のざわめきを目指して10分も歩き出すとヤッパリ出くわした。

      

途端に通りが開け、大変な喧騒が広がった。
      

    
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地区の名前は分からないがおそらくサンパウロ最大の雑貨などの卸売り市場街のようだ。

    
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太陽の国ブラジルでは様々なサングラスが売られている

    
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商売人の元気さはどこも同じ。毎日がカーニバルのよう。

      

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カーニバル用品店なのだろうか?それにしてもマスクとそっくりな…

    
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日本の焼き鳥とはスケールが違う。ボリュームタップリ

  
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確かに購買力が大きそうな様子がうかがえる。
景気が良いからだろうか?

   
    
 

おそらくブラジル全土、もしくは近隣の南米諸国からも買い付けにやってきているのかもしれない。
そう想像するだけでも面白いではないか。

    

    
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スゴイ数の人。市場特有の活気にむせ返っている

    
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至るところにCoffee売りが。さすが世界一のブラジル

     
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同じフルーツ屋台でもアジアとはディスプレーが違う。
剥いた皮だって甘い匂いを辺りに発していて一役買っているゾ

    
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ブラジル女性はとにかくグラマーだから。 でもウエストもねぇ

       
    
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街の音・ざわめき、人の叫び声、歓声、空気の香り、屋台の煙、
路地のすえた匂い、肌の触れあい、五感のすべてを刺激する

      

実に様々なものを売っているのだが、なんといっても活気。

人の「気」。僕もすぐに充電モードに入ってしまう。

     
     
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商品もいろいろ面白いが、通りを行き交う人たちがあまりに個性的に映るから、いつの間にかヒトを観察してしまう。

    
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漢字デザインも新鮮なのだろうか?
      

      
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ショッピングはいつでも楽しいもの

    
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この商売の駆け引きの喧騒の中に身も心も委ねていると、サンパウロの庶民生活に次第に陶酔していくのだった。
                               (次回に続く)

    
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僕の持ち物をめぐってしばらくやりとりが

   
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歴史の大転換点の現場に立って

       
先々回の9・11グラウンドゼロ編に続き、
2度目の臨時ニューヨーク編を。

      

ブラジルからの帰路も僕は再びニューヨークに滞在したが、その間ロンドンと並ぶ世界金融の心臓部ウォール街のアナリストと面談していた。

    
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面談の時の僕の問題意識は、サブプライム問題の実像と大統領選挙の動向を現場の声で感じることだった。

     

そのアナリスト氏は、多角的な観点から様々な観測を披瀝してくれたが、結論としてはサブプライム問題の実相は、報道で言われているような生易しいものではなく、根も深く長期的な影響を世界にもたらすほどの深刻なもので、もしかしたらブラックマンデーに匹敵する混乱もありえると声を荒げていた。
              (あくまで当人の個人的観測であることを予めお断りしておく)
              
         

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ニューヨーク証券取引所(NYSE)の入口    
     
     

その面談から、わずか10日も経っていない日本時間9月16日に、アメリカ証券業第4位のリーマンブラザーズの破綻、そして17日には米保険最大手のAIGの公的支援が発表され、世界を震撼させた。

     

15日のアメリカの平均株価だけ観れば、確かにブラックマンデーの時と同じ500ドル超の急落となり、そのとおりとなってしまった。
     

もしかしたら当のアナリスト氏本人がビックリしてるのかも知れない。

   

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   アメリカ経済に赤信号が燈ったのだろうか? 

   

僕も日本に帰国した後、講演の機会や知人に会うたびにアメリカのサブプライム問題は予想以上に深刻だという見解があるということを伝えていたのである。
    

    

アメリカ(米国)金融危機と三笠フーズの汚染米流通問題というふたつの「米」問題がわが国を揺るがせている。
    

    
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一方的なクライシス(破壊)だけは御免被りたい

    

僕は、資本主義社会である以上、金融の果たす役割は大変重要なものと認識しながら、複雑な金融工学を駆使した大量の資金が利ざやを求めて瞬時に世界を駆け巡るというバーチャル経済の過度の膨張には一貫して慎重な観方をしている。

     

このブログでも何度か訴えているように、知恵を絞り、汗を流してモノを作り、これを売っていくという実体経済の主人公が真に報われる社会を再構築しなければ、地球環境が破壊される以前に経済社会全体が破綻してしまうんじゃないか、と心から憂いている。
    

      

天然資源である石油ですら、リーマンショックの報道から100ドルを割り込んで軟調である。振り返ってみれば価格の乱高下ではないか。

    

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この日も株価が下がり、経済ニュース解説番組をライブ収録していた

      

そのために世界中の生産者・流通業者・サービス業者、そして消費者が被った有形無形の損失は計り知れない。

    
    
           

僕はニューヨークのウォール街に自分の足で立ってみて、
次の10年に向けた新たな志を立てたその直後に
歴史的転換点ともいえるこの大事件に今、遭遇しているのだ。

     

    
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世界はさらに進むべきか、それとも一度立ち止まるべきなのか?

    

     

遠くて近い国へ(その2)

(先々回より続く)
       

サンパウロ市は人口1,074万人(2005年)のブラジル経済の中心であるが、実は南半球で第一の大都市でもある。
           
    
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緯度的には実はほぼ南回帰線上にあって、年平均気温19.5℃の亜熱帯地域に属している。日本の近くでいうと台湾くらいだと思えばよい。

    
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この日の夕刻もご覧の気温

     
     

だから日本と反対で真冬だと言っても、まったく寒いと感じることはなかった。

        
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ブラジルの首都は内陸の人工都市ブラジリアであるが、サンパウロはちょうど中国・上海のようなビジネス・経済の拠点であり、日系企業のほとんどがここサンパウロに支店やオフィスをもっている。

     
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サンパウロのビジネスの中心  -パウリスタ通り

             
予想に違わず近代的都市で、東京をはじめ他の都市と比べても何ら違和感のない大都会である。

        
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朝の出勤風景も東京と少しも変わらない

             
高層ビル、広い道路、秩序ある都市機能などいずれも遜色ない印象だ。

        
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パウリスタ(サンパウロに住む人の意)も都会派だ

     

ブラジルは治安が非常に悪いので絶対に単独行動しないように!と、ガイドさんに何度も釘を刺されていたのだが、私にとっては単なる脅しにしか聞こえない。

     

初日からさっそく独りでタウンウオッチングに出かけた。

(良い子の皆さんはゼッタイに真似をしないようにネ)

     

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ブラジルというとなぜかビートルのイメージが・・・

     
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やはりこの国でも携帯電話が日常風景

    
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ファッションも流行の発信地

   
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背中がパックリ開いたデザインが流行している
(ように思えた!?) 

   
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オシャレが気になる・・・

     
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あちこちに美味しいお店が

   
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このような新聞雑誌スタンドがあちこちにある

    
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telephone stand

    
      

足が棒になるほど異国の街を歩き回ったら、
    
久しぶりに全身の細胞がテンションをあげてきた。

                              (次回に続く)

      

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個性的な建物が実に多い

     
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忘れられないサンパウロの夕景

        

グラウンドゼロ

        
先のエントリで、ブラジル・サンパウロに着いたところまで書いたが、今日はちょうど9月11日なので、どうしても紹介したいことがある。

    

すなわち9・11アメリカ同時多発テロ事件のあった日。 
      
いまから7年前の2001年だった。

    

実は、サンパウロへはニューヨーク(NYC)経由で向かったと前回紹介した。

          

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ニューヨークJFK国際空港

   
   

そのNYCで約8時間の乗り継ぎの合間に、あのグラウンド・ゼロに行ったのだ。

  

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向かいのビルからグラウンドゼロを望む

        
     

グラウンドゼロとは本来、原爆などの爆心地の意味だが、ここNYCではアメリカ同時多発テロ事件で痛ましい被害を受けた、かつての世界貿易センタービルが建っていたところがそう呼ばれている。

     

現在の様子は、一見、巨大な近代建築の再開発工事現場にしか見えないが、ここを訪ねて観る者にとっては、とても重苦しい思いがつのる生々しい「歴史の現場」である。

     

グラウンドゼロの現場前に立つ。

    
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同時多発テロ事件で犠牲となった日本人24名を含む計2973名の尊い命に対して黙祷を捧げた。

   

断じて許されない暴力という手段を用いたテロ活動を心から憎む。

         

いずれまたブログで紹介予定のNYCの空港、主要駅、地下鉄、ビル、証券取引所など、いたるところで今でも毎日24時間の警備が続いていて、どれだけの莫大なコストを払い、またあの自由でオープンだった憧れのNYCの各施設がなんとも窮屈になってしまったのは、安全のためとは言えとても残念だ。

      

同時に、なぜこのような痛ましい事件が起こったのかの背景についても改めて考え直してみた。

    

冷戦が終結したにもかかわらず、21世紀を迎えた直後の新たに複雑な世界秩序を暗示させるシンボルとなってしまった。

     
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もともと貿易センタービル(ツインビル)は、ミノル・ヤマザキ氏という日系アメリカ人建築家によって設計されたものだそうだ。

     

現在、アメリカの独立した1776年にちなみ全高1776フィート(541m)の「フリーダムタワー」と呼ばれる新たなランドマークが建築中だ。

    
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原爆、終戦と並び、私にとって決して忘れてはならない負の遺産の現場を肌で感じたのであった。

           

遠くて近い国へ(その1)

               
えっ!! まさか、こんなところまでッ!

    

    
成田から遠く1万8,497キロ。 飛行機でおよそ24時間。

      

時差は12時間で、季節も冬。
    

反対の、そのまた反対だ。

       

そう、日本のちょうど真裏に当たるブラジルにやってきたのだ。

       

足元を掘り続ければ、地球の中心を貫いて日本にたどり着くのかも・・・。

    

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日本から持参した携帯電話  見よ!時差がちょうど12時間なのだ

    

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持参したアナログの目覚まし時計は、
時差があるのに12時間だと針を動かさなくて良いのだから不思議

    
   

海外には4泊以上しないことを原則にしている僕が、2週間の長期にわたりブラジルとアルゼンチン、そしてアメリカ合衆国を訪ねるのだ。

    

少し大げさに言えば、南北アメリカ大陸縦断の旅・・・か。

      
世界中がBeijing(北京)に釘付けになっているときに何もわざわざひねくれて反対方向に行かなくても・・・。

    

    

南米は初めてだ。

    
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いよいよ赤道を越えた・・・   機内の座席モニターで

    
   

行くと決めてからずっとワクワクのしっぱなし。

   

20代の頃の未知の世界に足を踏み入れる緊張感を久々に思い起こすことになった。

    

ブラジルに行ったことのある人たちからは

「とにかく遠くて疲れるよ」と異口同音に脅かされた。

    

   

Dsc01338_3最初の訪問地、ブラジル・サンパウロにはニューヨーク経由で行く。

     

おかげでマイルが一度にタップリ貯まった・・・。

            

         

しかし、数日前まで海外での仕事を抱えていたために、なんの事前勉強も予備知識もないまま、駆け込むように飛行機に飛び込んだ僕には、頂いた南米に関する資料に目を通し、夢を膨らませるのに24時間はむしろ短いくらいだった。

        

僕って、まだ若い!?

     
   

でも正直、ボお~ッとした頭と体を引きずりながら、ブラジル・サンパウロ空港に到着したのだった。
                                  (次回に続く)

     

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サンパウロ・グァルーリョス国際空港

   
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南端から北端へ

       
二日前に上海から帰国して、その日は早朝から新幹線つばめ号で鹿児島に出張。

     

       
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大河ドラマ篤姫バージョンのつばめ号

    
     

もう禁句である“暑い”を通り越す、暴力的な天候だ。

でも、この時期当たり前か…。

      
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桜島が今日はひときわ男性的に見えた。
     

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思わずニンマリしてしまう焼酎のラインナップ

       
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種類の多い鹿児島産サツマイモ -改めてその凄さに驚いてしまう

        
 

鹿児島の人はシロクマを喜んで食べる???

    
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暑い時はこれが一番!

            

      

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    現代の篤姫たち???

     

      
午後5時までミーティングのあと、鹿児島空港からなんと挑戦的にもそのまま札幌へ向かった。

    
       

羽田では乗り継ぎ時間0分という綱渡りで、しかし、なんということなく新千歳空港に無事到着。

        

        
しかし、だ。

    

最近特に頭の回転が鈍くなっている上に、さっきまで桜島を拝していたら、もうまもなく時計台???

    
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  オツムがまったく切り替わらないッ。
         

          
札幌駅に降り立ったら、街全体がクーラーが効いているかのような爽やかさ。 23℃くらいじゃなかろうか。
      

    
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家路に急ぐ札幌のサラリーマンは、お付き合いでクールビズにしてるんじゃないかというくらい。

        

        
駅前でも、大通公園でも、ドでかいビアガーデンで何百人という若い男女が盛り上がっているじゃないか。
           

        
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こんなに外が快適なら、きっと夏バテ知らずなんだろうなあ。

            

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しゃぶしゃぶをつついているグループも大勢いる!!!

    

    

狭い日本。そんなに急いでどこへ行く

などというが、これで結構広いのかも。

     
    

急いでやって来た分、感動もひとしおだ。

   
一粒で2度美味しい一日だった。

                              (次回に続く)

熱い街

      
あぢいいい~~ッ!!

     

     
福島から、サミット厳戒の東京を渡り歩いて
一気に南国・宮崎にやって来た。

      
      
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同じ暑さでも、宮崎の場合は気合の入り方が違う。

     
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通りを歩いていても気を失いそうだ。

      
    
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エエッ?! 道行く人の影が無いッ!

    

頭の真上から容赦なく陽光が浴びせかかっているんだ。

              

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何処をさまよっても真っ青な天を仰ぐばかり。

    

タオル地のハンカチの感触だけが、襟首の薄い皮膚を通して、 自分がまだ正気であることをなんとか確認できる。

    

         
日中の通りは繁華街でも誰も歩いている人はいない。

    

きっと宮崎の人はみんな屋内でじっとしているに違いない…。
    

僕だってそうしたいもん。

    
   

ところが、午後から県下の様々な分野の皆さんと面談したが、
なんのなんのみんなパワフル元気なのには驚いた。

    
      

次々と心に秘めたチャレンジ構想やアクションプランをぶつけてくれ続け、終始圧倒された。

     

しかも終日、いや午前様・・・。

    
   

 すげええええ~ッ。

   

宮崎の人は、いったい何食べてるんだろう???
         
何飲んでんだろう? 何鍛えてるんだろう?

      

いろいろ憶測してしまうほど底知れぬ南国パワー。

    

気温が上がれば上がるほどテンション上がっているんじゃなかろうか。

      

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来訪50万人を突破した宮崎の「あの観光地」は

今日も若い女性が大勢詰め掛けていた。

    
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深夜まで語らうテーマも前向き、アクティブ、ポジティブ。

    

それも一人や二人の話ではない。次々と・・・だ。

   

体力はほとんど消耗しても、精神は満タン充電状態に「させられ」た。

      

   
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方言だって資産。 胸を張って堂々と・・・

   
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この暑さ どげんかせんといかん!!

        

   

翌日は土曜にもかかわらず、帰路の空港にまで何人もの方が議論に訪ねて来てくれた。

    

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トロピカルフルーツ王国の片鱗

   
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とても僕には手が出ない高価な宝石たちよ

       

     

「大変化している10年後を見据えて、今やるべきこと」

    

ホントに大勢の元気人が、自分の頭と体で考え抜いている現実テーマである。

    

宮崎の街は暑い、いや 熱いゼ!!

    

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