グラウンドゼロ

        
先のエントリで、ブラジル・サンパウロに着いたところまで書いたが、今日はちょうど9月11日なので、どうしても紹介したいことがある。

    

すなわち9・11アメリカ同時多発テロ事件のあった日。 
      
いまから7年前の2001年だった。

    

実は、サンパウロへはニューヨーク(NYC)経由で向かったと前回紹介した。

          

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ニューヨークJFK国際空港

   
   

そのNYCで約8時間の乗り継ぎの合間に、あのグラウンド・ゼロに行ったのだ。

  

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向かいのビルからグラウンドゼロを望む

        
     

グラウンドゼロとは本来、原爆などの爆心地の意味だが、ここNYCではアメリカ同時多発テロ事件で痛ましい被害を受けた、かつての世界貿易センタービルが建っていたところがそう呼ばれている。

     

現在の様子は、一見、巨大な近代建築の再開発工事現場にしか見えないが、ここを訪ねて観る者にとっては、とても重苦しい思いがつのる生々しい「歴史の現場」である。

     

グラウンドゼロの現場前に立つ。

    
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同時多発テロ事件で犠牲となった日本人24名を含む計2973名の尊い命に対して黙祷を捧げた。

   

断じて許されない暴力という手段を用いたテロ活動を心から憎む。

         

いずれまたブログで紹介予定のNYCの空港、主要駅、地下鉄、ビル、証券取引所など、いたるところで今でも毎日24時間の警備が続いていて、どれだけの莫大なコストを払い、またあの自由でオープンだった憧れのNYCの各施設がなんとも窮屈になってしまったのは、安全のためとは言えとても残念だ。

      

同時に、なぜこのような痛ましい事件が起こったのかの背景についても改めて考え直してみた。

    

冷戦が終結したにもかかわらず、21世紀を迎えた直後の新たに複雑な世界秩序を暗示させるシンボルとなってしまった。

     
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もともと貿易センタービル(ツインビル)は、ミノル・ヤマザキ氏という日系アメリカ人建築家によって設計されたものだそうだ。

     

現在、アメリカの独立した1776年にちなみ全高1776フィート(541m)の「フリーダムタワー」と呼ばれる新たなランドマークが建築中だ。

    
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原爆、終戦と並び、私にとって決して忘れてはならない負の遺産の現場を肌で感じたのであった。

           

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田中 豊

地域の元気づくりと海外ビジネスを通じて、日本を元気にしたい行動派プロデューサーです。 海外ビジネスの参謀役として長年活動してきました。 とりわけ農林水産業を振興にすることで地域が元気になることを現場の生産者、支援者の皆さんと共に日々実践していることをとても誇りに感じています。 「地域を活かし、そしてつなぐこと」をスローガンに訴え、いつの時でもチャンス(chance)ととらえ、絶えずチャレンジ(challenge)し、チェンジ(change)を果たしていくことの「三つのC」をモットーにしています。