遠くて近い国へ(その4)

            
(先回から続く)
      

一度刺激を受けると、さらに強い刺激を求める・・・。

    

僕はサンパウロの下町をさらにディープなところへと歩を進めていった。

    

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もうすっかり地図でも今の位置はわからなくなってしまっている。

    

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市場の雑踏を過ぎて10分くらい歩いたであろうか、ホコリっぽく
土気色をしているが、明らかに大きなバスターミナルのようなところにたどり着いた。

      

あちこちからひっきりなしにバスが行き来している。

   

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結構新式バスばかり。
   

バスは大勢の人を吐き出したり、また吸い込んだりして出入りを繰り返している。

   
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あれぇ~っ。ここにも背中が開いている娘が

    

    
そのバスの乗降客が必ず通るあまり広くない広場のようなスペースがシンプル商売の小宇宙なのだ。

    

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しばらくここをウロウロする事にした。

     

いろんなものを売ってるじゃないか。

    

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ブラジル人はカラフルがお好きなようだ

    

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 ナタを振り下ろす!!
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               お見事ッ!!  それにしてもアブねぇなぁ

    

   

大体簡単な食べ物が多いようだ。

      
         
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本場のシェラスコ売りもいる。

   

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この炭火焼の煙を嗅いで、何度誘惑に負けそうになったことか!

   

なんとも言えないジューシーで、しかも香ばしい肉の香り。

よだれが落ちてくる。

   

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これはブラジル版「角打」(立ち飲み居酒屋)か。

     

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     手前のピリカラっぽい突き出しが強い酒に合いそうだ

     
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あ~あ オジさん、酔っ払っちゃったの?
    

香港の80年代の九龍城、マニラのスラム街、バンコクの深夜の屋台群などと異なり、これまでのアジアではあまり体験したことのないディープな感じがたまらない。

   

始めは少々心細かったので、サッサとおいとましようと思ったが、なぜかこのエリアが僕を受け留めてくれているような錯覚がして、ついつい長居をしてしまった。

    

かれこれ40分以上いたであろうか。たいして広くもないスペースに。

    
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美味しそう!

   
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褐色のまばゆさ

          

とても小汚いのに、いつまでも居ていたいと思わせる妙に惹かれる場所だった。

    
      
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カチカチなアイスキャンデー

   
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アレレ?? ヤッパ背中開いてんじゃん

    

    

今度は人の流れに任せてズンズンと歩いていく・・・

      

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すると、あの有名なセー広場に出てきた。
    

     
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カテドナル・メトロポリターナ大聖堂

   
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これでようやく地図でどこに居るのかがわかったゾ。

    

相当な距離を歩き廻っていたことを知る。

     
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またこの辺りからスタイリッシュなパウリスタが多くなる

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かなり運動量に加え、心の緊張感が弛緩した脱力感が合わさり、
なんとも言えない気だるい疲れを初めて感じる。

    
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夕日に伸びる長い影がなんとも美しい

   
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ヨーロッパそのもの

    
 

 ああ、やっぱり、旅に出て来て良かった・・・。

      

 古いカトリック教会の袖で、ふとそう思った。

                               (次回に続く)

     

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telephone stand 2

    
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遠くて近い国へ(その3)

         
(先々回から続く)

僕には変な嗅覚がある。
   

    
知らない街のどこに放り込まれても、庶民が大勢集まる地区に吸い寄せられるように行きつくのである。(カネの匂いを嗅ぎつけないのがくれぐれも口惜しい)

    

     
ここはブラジル・サンパウロ。
   
言葉も通じないし、土地勘なんて何もない。自分独り。

    

それでも性懲りなく、ホテルで入手にした簡単なシティーマップを片手に独り地下鉄の駅を探し、ひたすらダウンタウンを目指す。

    
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地下鉄の切符売り場

    
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対面で切符を買うのも旅の楽しみ。
どこまで乗るのかも分かってないくせに・・・

   
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    これが切符。紙製のシンプルなもの 2レアルで買った

    
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明るいホームは日本と変わらない

      
       
   
いくつの駅を過ぎたことだろう・・・。

    
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生活者風の人たちがどっと乗り降りする駅を狙って降車して、
モグラのように地上に顔を出してみる。

     
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ここは一体どこなのだろう??

   

場末では確かに浮浪者やごっつい人種がたむろしているし、土地勘がないからどっちの方向に行っていいのかも分からない。

    
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なんとも言えない不安感・恐怖感と奇妙な安堵感が交錯する。

    
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僕にとっては一種の麻薬のような危険な感覚。一度体験するとこれが止められない。
     

海外での放浪アドベンチャー好きには共感してもらえるのでは。

      
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青いカバーは車椅子の人用の電話ボックスなんだ

    
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若いときに培ったイザという時の処世術だけを唯一の武器に、ズンズンと街頭のジャングルの中に足を踏み入れる。

    
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人通りはまばらで淋しいが、勘だけを頼りにある種のざわめきを目指して10分も歩き出すとヤッパリ出くわした

      

途端に通りが開け、大変な喧騒が広がった。
      

    
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地区の名前は分からないがおそらくサンパウロ最大の雑貨などの卸売り市場街のようだ。

    
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太陽の国ブラジルでは様々なサングラスが売られている

    
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商売人の元気さはどこも同じ。毎日がカーニバルのよう。

      

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カーニバル用品店なのだろうか?それにしてもマスクとそっくりな…

    
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日本の焼き鳥とはスケールが違う。ボリュームタップリ

  
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確かに購買力が大きそうな様子がうかがえる。
景気が良いからだろうか?

   
    
 

おそらくブラジル全土、もしくは近隣の南米諸国からも買い付けにやってきているのかもしれない。
そう想像するだけでも面白いではないか。

    

    
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スゴイ数の人。市場特有の活気にむせ返っている

    
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至るところにCoffee売りが。さすが世界一のブラジル

     
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同じフルーツ屋台でもアジアとはディスプレーが違う。
剥いた皮だって甘い匂いを辺りに発していて一役買っているゾ

    
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ブラジル女性はとにかくグラマーだから。 でもウエストもねぇ

       
    
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街の音・ざわめき、人の叫び声、歓声、空気の香り、屋台の煙、
路地のすえた匂い、肌の触れあい、五感のすべてを刺激する

      

実に様々なものを売っているのだが、なんといっても活気

人の「」。僕もすぐに充電モードに入ってしまう。

     
     
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商品もいろいろ面白いが、通りを行き交う人たちがあまりに個性的に映るから、いつの間にかヒトを観察してしまう。

    
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漢字デザインも新鮮なのだろうか?
      

      
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ショッピングはいつでも楽しいもの

    
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この商売の駆け引きの喧騒の中に身も心も委ねていると、サンパウロの庶民生活に次第に陶酔していくのだった。
                               (次回に続く)

    
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僕の持ち物をめぐってしばらくやりとりが

   
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歴史の大転換点の現場に立って

       
先々回の9・11グラウンドゼロ編に続き、
2度目の臨時ニューヨーク編を。

      

ブラジルからの帰路も僕は再びニューヨークに滞在したが、その間ロンドンと並ぶ世界金融の心臓部ウォール街のアナリストと面談していた。

    
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面談の時の僕の問題意識は、サブプライム問題の実像と大統領選挙の動向を現場の声で感じることだった。

     

そのアナリスト氏は、多角的な観点から様々な観測を披瀝してくれたが、結論としてはサブプライム問題の実相は、報道で言われているような生易しいものではなく、根も深く長期的な影響を世界にもたらすほどの深刻なもので、もしかしたらブラックマンデーに匹敵する混乱もありえると声を荒げていた。
              (あくまで当人の個人的観測であることを予めお断りしておく)
              
         

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ニューヨーク証券取引所(NYSE)の入口    
     
     

その面談から、わずか10日も経っていない日本時間9月16日に、アメリカ証券業第4位のリーマンブラザーズの破綻、そして17日には米保険最大手のAIGの公的支援が発表され、世界を震撼させた。

     

15日のアメリカの平均株価だけ観れば、確かにブラックマンデーの時と同じ500ドル超の急落となり、そのとおりとなってしまった。
     

もしかしたら当のアナリスト氏本人がビックリしてるのかも知れない。

   

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   アメリカ経済に赤信号が燈ったのだろうか? 

   

僕も日本に帰国した後、講演の機会や知人に会うたびにアメリカのサブプライム問題は予想以上に深刻だという見解があるということを伝えていたのである。
    

    

アメリカ(米国)金融危機と三笠フーズの汚染米流通問題というふたつの「米」問題がわが国を揺るがせている。
    

    
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一方的なクライシス(破壊)だけは御免被りたい

    

僕は、資本主義社会である以上、金融の果たす役割は大変重要なものと認識しながら、複雑な金融工学を駆使した大量の資金が利ざやを求めて瞬時に世界を駆け巡るというバーチャル経済の過度の膨張には一貫して慎重な観方をしている。

     

このブログでも何度か訴えているように、知恵を絞り、汗を流してモノを作り、これを売っていくという実体経済の主人公が真に報われる社会を再構築しなければ、地球環境が破壊される以前に経済社会全体が破綻してしまうんじゃないか、と心から憂いている。
    

      

天然資源である石油ですら、リーマンショックの報道から100ドルを割り込んで軟調である。振り返ってみれば価格の乱高下ではないか。

    

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この日も株価が下がり、経済ニュース解説番組をライブ収録していた

      

そのために世界中の生産者・流通業者・サービス業者、そして消費者が被った有形無形の損失は計り知れない。

    
    
           

僕はニューヨークのウォール街に自分の足で立ってみて、
次の10年に向けた新たな志を立てたその直後に
歴史的転換点ともいえるこの大事件に今、遭遇しているのだ。

     

    
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世界はさらに進むべきか、それとも一度立ち止まるべきなのか?

    

     

遠くて近い国へ(その2)

(先々回より続く)
       

サンパウロ市は人口1,074万人(2005年)のブラジル経済の中心であるが、実は南半球で第一の大都市でもある。
           
    
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緯度的には実はほぼ南回帰線上にあって、年平均気温19.5℃の亜熱帯地域に属している。日本の近くでいうと台湾くらいだと思えばよい。

    
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この日の夕刻もご覧の気温

     
     

だから日本と反対で真冬だと言っても、まったく寒いと感じることはなかった。

        
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ブラジルの首都は内陸の人工都市ブラジリアであるが、サンパウロはちょうど中国・上海のようなビジネス・経済の拠点であり、日系企業のほとんどがここサンパウロに支店やオフィスをもっている。

     
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サンパウロのビジネスの中心  -パウリスタ通り

             
予想に違わず近代的都市で、東京をはじめ他の都市と比べても何ら違和感のない大都会である。

        
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朝の出勤風景も東京と少しも変わらない

             
高層ビル、広い道路、秩序ある都市機能などいずれも遜色ない印象だ。

        
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パウリスタ(サンパウロに住む人の意)も都会派だ

     

ブラジルは治安が非常に悪いので絶対に単独行動しないように!と、ガイドさんに何度も釘を刺されていたのだが、私にとっては単なる脅しにしか聞こえない。

     

初日からさっそく独りでタウンウオッチングに出かけた。

(良い子の皆さんはゼッタイに真似をしないようにネ)

     

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ブラジルというとなぜかビートルのイメージが・・・

     
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やはりこの国でも携帯電話が日常風景

    
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ファッションも流行の発信地

   
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背中がパックリ開いたデザインが流行している
(ように思えた!?) 

   
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オシャレが気になる・・・

     
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あちこちに美味しいお店が

   
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このような新聞雑誌スタンドがあちこちにある

    
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telephone stand

    
      

足が棒になるほど異国の街を歩き回ったら、
    
久しぶりに全身の細胞がテンションをあげてきた。

                              (次回に続く)

      

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個性的な建物が実に多い

     
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忘れられないサンパウロの夕景

        

グラウンドゼロ

        
先のエントリで、ブラジル・サンパウロに着いたところまで書いたが、今日はちょうど9月11日なので、どうしても紹介したいことがある。

    

すなわち9・11アメリカ同時多発テロ事件のあった日。 
      
いまから7年前の2001年だった。

    

実は、サンパウロへはニューヨーク(NYC)経由で向かったと前回紹介した。

          

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ニューヨークJFK国際空港

   
   

そのNYCで約8時間の乗り継ぎの合間に、あのグラウンド・ゼロに行ったのだ。

  

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向かいのビルからグラウンドゼロを望む

        
     

グラウンドゼロとは本来、原爆などの爆心地の意味だが、ここNYCではアメリカ同時多発テロ事件で痛ましい被害を受けた、かつての世界貿易センタービルが建っていたところがそう呼ばれている。

     

現在の様子は、一見、巨大な近代建築の再開発工事現場にしか見えないが、ここを訪ねて観る者にとっては、とても重苦しい思いがつのる生々しい「歴史の現場」である。

     

グラウンドゼロの現場前に立つ。

    
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同時多発テロ事件で犠牲となった日本人24名を含む計2973名の尊い命に対して黙祷を捧げた。

   

断じて許されない暴力という手段を用いたテロ活動を心から憎む。

         

いずれまたブログで紹介予定のNYCの空港、主要駅、地下鉄、ビル、証券取引所など、いたるところで今でも毎日24時間の警備が続いていて、どれだけの莫大なコストを払い、またあの自由でオープンだった憧れのNYCの各施設がなんとも窮屈になってしまったのは、安全のためとは言えとても残念だ。

      

同時に、なぜこのような痛ましい事件が起こったのかの背景についても改めて考え直してみた。

    

冷戦が終結したにもかかわらず、21世紀を迎えた直後の新たに複雑な世界秩序を暗示させるシンボルとなってしまった。

     
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もともと貿易センタービル(ツインビル)は、ミノル・ヤマザキ氏という日系アメリカ人建築家によって設計されたものだそうだ。

     

現在、アメリカの独立した1776年にちなみ全高1776フィート(541m)の「フリーダムタワー」と呼ばれる新たなランドマークが建築中だ。

    
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原爆、終戦と並び、私にとって決して忘れてはならない負の遺産の現場を肌で感じたのであった。

           

祭りの裏舞台

   
(先回から続き)
     
    
オリンピックの一部会場となる青島も上海も、これに合わせて空港ターミナルビルが一新している。

    
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上海浦東空港新ターミナルスポット

   

上海浦東空港は第2ターミナルビルが5月1日に供用を開始していて、成田や羽田と同様、航空会社ごとにビルが違うから、これからは注意が必要だ。

   
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第2ビルに乗り入れている航空会社の案内板

   
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魚眼レンズで撮っているように見える第2ビル内のデザイン

   
 

   

青島流亭空港も新ターミナルビルに変わっていて、8~90年代にプロジェクトで何度と通っていた頃と一変していたのでビックリした。

    
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五輪開幕が近づくとなると、当然警備も厳しくなっていた。

     
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持ち込み手荷物制限の厳守に関する通知
   

    

今、何か起こったら長い間費やしてきた準備が台無しになってしまう。
    

           
そこで

飛行機移動時の国内線は出発の3時間前、
国際線はなんと4時間前に空港ビルに入ること!!

という通達があったというのである。
      

かなり厳しそうだなぁ~ッ、と気が滅入ってしまいそうだ。

   

   
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ビル入口での入念なチェック    
    
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空港ビルに入る時もまずチェックが入り、一定人数が集まるまで、中に入れないというこれまで体験した事がない厳重な警備がビルの入口から始まったので、これからどんな厳しいチェックが入るのだろうとさらに憂鬱になったが、実際は不愉快な思いはなかった上に、それほど気にするほどの検査ではなかった
    

    
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不愉快な思いをさせることなく乗客の安全を確保する

     

むしろゲートやカウンターの数が増えているから、あまり並ぶこともなく以前より却ってスムースだったくらいである。

    

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同行の方が場内で搭乗券を落としたが、このサポートのお嬢さんが終始
笑顔で最後まで対応してくれた
   

  

入出国検査や税関でも笑顔を絶やさずサービスに努めていることが伝わり、むしろ日本の入管にも参考にしてもらいたいくらいだった。
    
     
もちろん空港内や機内、市街など僕らが気づかないところで厳しい警備の目が光っていたことだろう。

     
   
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こんなものまで

     

東京五輪の時と世界情勢は一変している。

また大陸・多民族国家の持つ複雑な背景も、日本とは直接比較してはならない要素が十分にあることを忘れてはならない。

      
     
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青島空港で

      
     

旧暦でネズミ年に変わった途端、中国は相次ぐ災難に見舞われている

   

2月の広東を中心とする記録的な大寒波。

山東省での大規模列車事故。

南部の大水害。

チベットでの混乱。

世界を震撼させた四川の大地震。

そして今、連日38℃を越す猛暑。

   
    
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上海の空港でも四川地震の募金箱が
     

   

また青島では、沿岸一帯、海草(藻?)の異常大発生で、海岸から見渡す海面がすべてゴルフ場の芝のように緑に覆いつくされてしまった。

    
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藻の大発生で、全く水面が見えないほどだったという   
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先週まで解放軍など13万人を動員して人海での撤去作業は壮観だったという。

    
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朝の5時半だというのに大勢の海水浴客が泳いでいた

   
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この美しい海岸が・・・ 信じられない

   

    
青島で生まれ育ったおばあちゃんが、ここで80年暮らしていて、こんなこと初めてだと言っていた。

         

         
オリンピックは社会を近代化へ推し進めると共に、それまでに起こり得なかった軋(きし)みのようなものも露わにしている

      

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今や普通の乗り物となった飛行機   ― ごった返す待合室
        

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優先席も近代社会の産物?   
    

     

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上海の終日の交通渋滞も激しさを増している

  
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この巨大都市上海で、今何が起こっているのだろう?

          

祭りの準備

            
北京オリンピックまでいよいよ2週間を切った中国の上海と青島に出張してきた。

    
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いよいよあと13日!!           青島にて

    
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上海虹橋空港で (上の青い人形は上海万博のシンボル、海宝くん)

      

       
主会場は北京だが、サッカーの予選は上海、ヨット競技は青島で開催されるから、どちらも準備モードで大わらわである。

         
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青島空港

      
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街中のあちこちに真新しいオリンピックの飾り付けが施され、世界最大の祭典であるオリンピック成功のために国を挙げて取り組んでいることがこちらにもビンビン伝わってくる。

    
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空港のディスプレイでこんな作業も

   

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青島の新興住宅街にも

        

    
中国は昔から外からの客人を迎えることを非常に得意としていて、また実際、もてなし上手な伝統がある。

       
    
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青島空港では中国入りする選手団のためにの受付も設置された

    
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上海では五輪(奥運)の後に万博(世博)が控えている

      
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日本のスポーツ用品メーカーもこの機にビジネスチャンスを拡げる

     

    

今回の訪問でも、努力をしてさらにサービス力がアップし、どこへ行っても接客や応対のレベルが上がっていることを実感した。

      
      
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「加油!中国」(ガンバレ中国)のロゴも目立つ

       

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青島の中心街ではビルごとオリンピックだ

      

五輪開催を契機に、また社会全体を変化させていることを目の当たりにしてきた。

                              (次回に続く)

      

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青島の夜

         

交易拠点都市の新アジア戦略

           
福岡最大の夏祭り「博多祇園山笠」のフィナーレである追い山が15日早朝に行われた。

      
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画像は昨年の様子。今年は参観する時間が取れなかった。残念・・
今年の模様は盟友ブログ「
博多っ子の元気通信」を参照されたい。http://blog.livedoor.jp/luckymentai/archives/cat_1466542.html
       
        

       

その翌16日、福岡市で「アジア戦略アドバイザー会議」が開催された。

   
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福岡市庁舎
    
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Dsc00423_3この日、吉田宏福岡市長、副市長をはじめ、市の経済・国際担当幹部の 方々と共に、九州大学の教授2名、アジアビジネスに精通するコンサル社長と私“ニッポンを売る!”の計4名がアジア戦略アドバイザーとして一堂に会し、約2時間にわたって福岡市の新たなアジア経済・ビジネス交流戦略について意見を交換した。      冒頭挨拶する吉田市長

        

       

福岡市は1970年代からアジアとの経済文化交流を市政戦略の柱としている政令市で、中国の広州市との間で姉妹都市(友好都市)締結が行われ、来年ではや30周年を向かえる。

  
最近は韓国プサンや中国上海・大連との都市間交流にも実績が上がっている。

      

この間、福岡市はアジアゲートウェイ都市、国際交流拠点都市、東アジアのマルチクロスポートなどのスローガンを掲げ、積極的にアジア各地との経済文化交流事業の実績を積み重ねてきた。

    
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博多港アイランドシティー深水バースで荷役する大連船籍のコンテナ船
       

    

考えてみれば、古代では大陸文化吸収の拠点であり、中世には交易の窓口であったことから、ある意味当然なのかもしれない。
      

       
福岡市が日本発祥とされる事物には、稲作農業、禅宗、茶、饅頭、そば・うどん、そしてセーラー服まであるとされる。

      
        
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現代の商業の中心  -天神地区

       
       
言ってみれば、「新しいもん好き」の風土があるのだ。

      
    

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福岡(博多)のシンボル的な風景 -中洲
    

昨今、日本の外交、通商のパートナーが欧米に加えアジアの比率が高まるにつれ、その意義はますます強まっていくことだろう。

   

    
日本の沿海各都市が、そろってアジアとの交流拠点・窓口を標榜している今、先行・福岡市はさらにステージアップされた新らたなアジアとの経済交流のコンセプトを打ち出す方針だ。

     

福岡市は以前から結構「住みやすい街」として、国内だけでなく海外からも評価されている。

    
   

Cover15 最近も、イギリスの情報ビジネス誌である「MONOCLE(モノクル)」の7月8月合併号で「世界で最も暮らしやすい25都市」ランキングで、福岡がショッピング部門で第1位、総合でも17位に選ばれた。
    
(画像は福岡市公式サイトから引用)    

               

ショッピング部門で世界一というのは正直驚いたが、日本からは東京(総合3位)、京都(同20位)と並んで3都市がランクインしている。

      

ちなみに、総合1位はコペンハーゲン、2位はミュンヘンだったという。

     

どういう基準なのか定かではないが、世界的には知名度の低い福岡市がランクインしたことは嬉しい限りだ。

      
   
今後、どんどんニッポンを売り込んでいくためにも、ここ福岡市は「プロモーションシティー」として商流・物流の拠点の役割が期待されること、

そして、アジア各国の人たちの日常的なライフスタイルの一部に福岡がその快適な空間やサービスを提供する街になることを戦略化して欲しい事を、この日の会議で提起させていただいた。

      

   

10年ワイドの都市戦略を練るということは極めて高い構想力、イメージする能力が求められことを実感した。
      

     
アクション重視が伝統の福岡市が打ち出す新たな戦略に注目だ。

   

     
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政治も動き出した

   
先月、東京永田町の自民党本部で開かれた
日本の活力創造特命委員会」で講演させていただいた。

   
   
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同委員会は、今年4月に発足したもので谷垣禎一政調会長を委員長、根本匠議員を座長として、自民党政策通の衆参両議院40名から構成されている。

    

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メンバーには、園田博之(委員長代理)、御法川信英(事務局長)、石原伸晃、山口俊一、加納時男(以上常任幹事)ほか、石原宏高、岩屋毅、木原誠二、山内康一、佐藤ゆかり、佐藤正久、岸信夫代議士などが名を連ねている。

     

一昨年、クアラルンプルとシンガポールでの日本産農産物常設店舗オープンセレモニーでご一緒した、宮腰光寛農水省副大臣(当時)も特命委員会幹事である。

     

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シンガポールでの式典で挨拶する宮腰農水省副大臣(当時)

         

       

Dsc_0586_2 この特命委員会は、昨今の内需停滞、外需不安定の中、経済が踊り場状態に陥っているとし、これから脱するために眠っている力を活かし、これまで捉え切れていない「新時代のニーズ」をつかむために固定観念にとらわれず処方箋を議論し、それに応じた政策パッケージを検討するという主旨で発足し、骨太方針2008に提言を反映させるという重責を担う委員会である。

   

その「新時代のニーズ」とは

  
①先進環境技術

  
②農業とサービス業に関する海外需要 
  (特にアジアの成長力を取り込む)

   
③新世代資源戦略 

    
④国民の安全・安心や健康のための新技術

    
の四分野が議論されることになったのである。
    

   
私はこの会合で、日本産農林水産物の海外輸出と農商工連携の展望について紹介・解説させていただいた。

   
   
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左一が谷垣委員長、左二が根本座長、右一が御法川事務局長

     

       

国会議員、中央官庁担当官、秘書の皆さんの前で講演をするのはもちろん初めてだから少々緊張したが、終始熱心に耳を傾けていただいて、ついつい熱がこもってしまった。

   
    

驚いたのは、会議の開始のセレモニーだ。

   

僕は政治家の会議だから、冒頭はいろいろ挨拶や背景説明など能書きが多いのだろうとのんびり構えていたら、

       
なんと

「皆さん、ご苦労様です。さっそく特命委員会を始めます。今日のゲストはニッポンを売る!さん(仮称)です。経歴はお手元の資料にあるとおり。それではニッポンを売る!さん、お願いします。」

     
と根本座長より、ものの10秒もしないうちにマイクを渡されてビックリした。

   
  

これは参考になる。会議はこうでなくちゃ、と後でそう思った。

      

日本企業の会議はその多くが無駄が多い。開会や閉会の挨拶なんて要らない。   
     

選挙演説か結婚式スピーチでしか知らなかった政治家の意外な一面に触れた。

     

     
また、講演後は、次々と質問が飛んでくる。
   

「うちの選挙区でも海外輸出をしているが、生産者の収入増には結びついていないのは何故なのか?」

    

「さらに輸出を伸ばすために、政治セクターは何をすればよいのか、もっと提言して欲しい」

   

「輸出するためには人材育成も必要。そのような組織を作ってはどうか?」

     

一時は私もタジタジとなる場面も。

   

やっぱり会議はこうでなくちゃ!

    
普通会議では質問をぶつけてこない。

時間ばかりかけて何をしているのか解らないものが結構多い。

    
  

常に選挙区で生産者や市民から具体的な政策提言を求められる国会議員の現実に触れた。   

  

    
この日の会合で一番勉強になったのは、ほかでもない、この私である。

        

          *              *  

         

その後、各領域の一線級専門家による会合を8回重ね、この6月5日に「日本の活力創造総合戦略」として中間報告が承認されたという。

   
   

この中で、農林水産物の輸出額を現在の2倍強の1兆円に拡大させる政府目標を後押しすることが新たに盛り込まれ、6月下旬に策定される骨太の方針」に反映させるよう政府に働き掛けられることになったのだそうだ。

   

また、コメの需要拡大についても、この特命委員会の提言から農政が動き出しているようである。

    

ほんとうに心強いことだ。

   

   

詳しくは、それぞれのHPを参照されたい。

  
http://www.business-i.jp/news/sou-page/news/200805280066a.nwc
(自民特命委、成長戦略で中間報告 環境技術・日本ブランドなど柱)

        
http://www.nougyou-shimbun.ne.jp/modules/bulletin4/article.php?storyid=391
(日本農業新聞)

       
http://www.t-nemoto.com/gallery/0805082.shtml
(根本匠TheWeb)
   

http://hirotaka-ishihara.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_23d8_1.html
(石原ひろたかのブログ)

     

       

私が農水産物輸出のサポートをひっそりと始めた8年前のことが信じられない感覚である。
    

政治セクターが国家戦略としてこれを全面支援する時代がやってくるなんて・・・。

      

とはいえ、現実は今でも厳しい。そして今後も甘くは無いだろう。

     

しかし、未来の日本を切り開くテーマのひとつに挙げられた「ニッポンを売る!」も全力を尽くして難局にぶつかっていこうと、いま決意を新たにしている。

      

トップセールス in Taiwan

(先回から続く)
   
広い会場がどよめき、十数台はあるテレビカメラが一斉に一点にフォーカスを始める。

    

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スポットライトを浴びたその「」は、どよめく会場の緊張感を和らげるようにおとぼけの姿勢で舞台に上がる。

   
   

皆さあ~ん、こんにちはッ、ニイハオ~ッ!

   

そう、トンクオユアン先生(東国原英夫宮崎県知事)の登場だ。
   

   
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会場はどっとざわめく。

   

  ここは日本だったっけ???

       

日本人も大勢いることはいるが、台湾の人たちのほうが圧倒的に多いにもかかわらずこの反響とは。

    

聞けば、知事がかつてそんまんま東と名乗っていた頃、台湾でも「東東(トントン)」の愛称で親しまれており、4~50代の人には結構知られているそうなのだ。

  
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ステージでの反応が予想より凄かったせいか、知事のスピーチもやや早口で、もしかして少々緊張気味?

   

前方の台湾の親子連れが興奮してしばらくハシャいでいるためか、
「なかなか話し辛いですねえ~」と間をおくところはさすが。

   
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会場が落ち着いてからは、ご自慢の宮崎の観光と物産のPR。

     

いつもテレビで聞き慣れている滑舌の良い高めの声のトーンで、とても聞きやすい。

   
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宮崎県と今回物産展を開催している百貨店との長年の付き合いの歴史にも触れ、台湾の消費者の気持ちもグッとつかんでいるようだ。
   

いいぞ、いいぞッ! その調子。

    
そのあと、地下食品売り場での宮崎物産展の開幕式典に場所を移す。

     

これまたおどけて壇上に上がるが、勢い余って、合図の前に腕が紐に触れてクス玉がとんでもないタイミングで割れてしまい会場は大爆笑

   

    
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東国原知事ならこれも大きなプラスポイント。
   

      

   
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タイペイでも大盛り上がりで “ア、ハプニンGoo~ッ” 大爆笑

    

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お得意の口アングリポーズで、宮崎特産の「日向夏」を宣伝

     

式典の後、物産展会場を廻るも、予想をはるかに超えて積極的な台湾のテレビカメラに取り囲まれ、視察することができず引き返す一幕も。

   
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とにかくフロア中は大騒ぎ。

   
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もみくちゃにされて大変

     

日本より凄いんじゃないないのだろうか、と思ってしまうほどのフィーバー振りだ。

   
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それでも宮崎からの販促応援部隊にねぎらいの言葉をかける知事

   

もちろんここタイペイでも分刻みのスケジュール。

   

あっと言う間に会場を後にする。

   
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ココやがハッピ」もちゃんとお召しだ

     

台風一過といいたいところだが、物産展会場はその後も閉店まで途切れることなく多くの買い物客でごった返すのだった・・・。

   
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さっそく観光コーナーでも若い女性たちが次々とパチリ…

   
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取材の嵐・・・  台湾全土に繰り返し繰り返しオンエアされる
   

   
この日も新聞、テレビ、雑誌の報道陣が地元台湾、そして日本から大挙してやって来た。

   

   
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地元台湾のテレビ局が5社も

   

この私にも日本のテレビ局2社、新聞社、そして台湾のテレビが3社、新聞社3社からインタビューを受けた

   
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この日の模様は、日本からのテレビクルーにも取材していただいた

   

     
いつもながら、地元台湾のTV局のカメラが廻っている前で、中国語でのインタビューは緊張しまくってちっとも慣れることが無い。

 
オンエアされたニュース映像を見て、いつも赤面する。台湾中、日本中に恥をさらしている。
    

それでも必死で売り込み支援のために日本の魅力をアピールしているつもりだけれど。

 

      

東旋風は、海を渡ったここ台湾でも吹き荒れた。

   

恐るべし、ニッポンMIYAZAKI !!

                            
                             (次回に続く)