(前回より続く)
何でわざわざ茎だけ残しているの?
話を聞いて驚いた。
サトウキビを収穫するのに、まず穂先と葉の部分を落とした後、
収穫物である茎の部分を刈り取ってから束ねるのだそうだ。
なんと収穫のために2度手間がかかっているのだ。
しかも、このうっそうとした畑に入るのに
触れただけでスパッと切れそうな鋭い葉が手足や顔に当たってきて、危ないことこの上ない。猛毒のハブも出るそうだ。
防護のために体を覆い尽くしておいた上、
炎天下にでもなろうものならどうするのか?
ひ弱な都会人なら、一発で音を上げるだろう。
しかも、4年に一度、このように耕作整地して苗を植え替えなければならないのだ…。
なんという手間のかかる重労働。
気が遠くなりそうだ。
自然に任せて自生しているのをただ機械で一発刈り取るだけと思っていた僕は、大きな勘違いをしていたのだ。
それでも十分な収入が見込めるのであればともかく・・・。
この時、僕は、3年前ブラジルのサンパウロで目撃した
サトウキビの大規模栽培を見て度肝を抜かされたことを思い出した。
見渡す限りサトウキビの畑だった 2008年8月撮影
(次回に続く)
田中 豊
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「世界の農業VS日本農業」
こんな捉え方では、いけないのかもしれませんね。農業は、一番身近で生命を守る職業の一つとして捉えることも大事なのかもしれません。勝つとか負けるとかではなく、『農業は哲学だ!』といった方もありました。
TPPなど世界の潮流にも負けない方法は、何事もないように淡々と変わらず過ごすことかもしれません。畑の中で、一人黙々と作業する姿を見るとそんな気がしてなりません。
三方よしさんコメントありがとうございます。
本当に農業の現場、世界の現場、地方の現場、現場、ゲンバ、GENBAに足を踏み入れるほど、深くて広い現実が横たわっていて、考えさせられるのです。世界で動きつつある現象にも背景や動機があり、苦労があり、哲学もありで、単純に日本だから正しいとかも言えないし、いつも立ち往生してしまいます。悩みも尽きませんが、でもいつも、やりがいと素晴らしい仲間に囲まれてとても豊かな気分になるから幸せですよね。