国際交流最古参の地 ―長崎

   
毎年10月7日から9日まで「長崎くんち」が行なわれる。
   

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(船大工町の川船)
  

9月9日の重陽節に行なわれたので「くにち」が「おくんち」になったものと言われている。

 

今年は3連休とピタリと重なり、中秋節にも重なった上に好天に恵まれたから、長崎の街は県内外から集まった大勢の人でごった返した。

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(新地中華街のランタン)

 

私は初めてのおくんち参観で、2日間にわたり大いに堪能させてもらった。

これまで、私は長崎くんちは、奉納される諏訪神社の境内でしか見られないものとばかり思い込んでいたのだが、3日間の期間中、市内随所を練り歩き、主要ポイントで出し物の演技が披露される事を知った。

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今回はJR長崎駅前のかもめ広場に陣取って、6つの出し物を鑑賞した。

すでに372年の歴史のある長崎くんちは日本三大まつりのひとつに数えられ、国の重要無形民俗文化財にも指定されている。

 

今年は6つの町が素晴らしい出し物を披露してくれた。

数トンもある山車(だし)を前後に勢いよく引いたり、クルクルと廻す曳き物。男衆たちの力強さは他の勇壮な祭りと比べても引けをとらない。
 

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(本石灰町の御朱印船)

演技が終わるたびに、観客から威勢よく「モッテコーイ!」 「ショモー(所望)ヤレー」と掛け声がかかると、また引き返して再度演技を始める。

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会場全体が「モッテコーイ・コール」でどよめく
 

いわば祭りのアンコールである。これが感動ものなのだ

演技者も観客も一体となって、大きな興奮に包まれる。
   

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(万屋町の鯨の潮吹き)

 

また、本踊りと呼ばれる日本舞踊や阿蘭陀漫才など、あでやかな舞いや子供たちのコミカルな動きは、しばし緊張をほぐしてくれる。

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(栄町の阿蘭陀漫才)

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町の幹部の装束も面白い。
   
日本の羽織に、下は中国の唐人パッチを履き、西洋の山高帽子をかぶるのだ。

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そう、和・華・蘭(わからん)チャンポン文化なのである。

 

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(ベトナムから凱旋帰国したテーマがモチーフに)

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ベトナムのアオザイ姿も…
  

お囃子の音楽も、三味線あり、銅鑼や鐘もあり、異国情緒がタップリだ。
 

翌朝、各町内の出発式も見学した。

41年ぶりに参加する花町があった丸山町は、さすがに粋な風情。

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(丸山町の出発式の模様)

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地元に根付き、老若男女地域共同体の伝統が垣間見えて興味深かった。

鎖国時代から、海外交流の唯一の窓口として重要な役割を担った長崎。

日本で最も早くから国際交流を始めていた長崎の人たちの活躍の舞台は今も世界に広がっている。

いわば国際派最先端のDNAを持った人たちだ。
  

どこかハイカラでセンスが良く、垢抜けているのも港町特有の情緒かも知れない。

 

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期間中、こうして町中を練り歩く

  

一度はぜひ足を運んで見学することを勧めたい秋祭りである。

  

韓国人、台湾人観光客はもとより、インド人、ロシア人、マレー人の観光客を見つけた。誘致活動もすすんでいるようだ。

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長崎駅にて

   

2日間にわたり案内してくれた国際派のNさん、本当にありがとうございました。

 

独立記念日の大フィーバーに遭遇!!(その2)

(前回から続き)

ホテルのマネージャーに案内された屋外プールの眼下に広がる独立記念日カウントダウンの会場を見下ろすと、なんともおびただしい数の群集がいつの間にかぎっしりと埋め尽くしているではないか。

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もう何万人なのか何十万人なのか判らない。
とにかく180度・視界は無数の大群集だ。

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  信じられない!
 

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あまりの興奮にカメラを構えていられない!

 

先程まで命の危険すら感じていた現場に比べて、
いま僕が立っている所は、隣でシャンペングラスなどを傾けるような会員制のVIP屋外ラウンジなのである。まるで天上界の穏やかさ。
 

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なんだか子供の頃に読んだ孫悟空の中に登場するお釈迦様が下界を見下ろすあのイメージと同じ感覚なのだ。
 

 ウ~~ン 複雑な心境!!
 

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会場のあちこちに巨大モニターが設置されていて、別の屋内会場の巨大イベントの模様を映し出している。

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ちょうど年末の紅白歌合戦のような国民的カリスマ番組のようで、人気アーティストが登場するたびに歓声が沸き起こる。

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なんだか、だんだんトランス状態になってきたゾ。
 

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興奮状態が最高潮に達した午前零時を迎える時

会場全体から

「ティガ(3)! ドゥア(2)! サトゥ(1)!!!」

カウントダウンの大合唱が起こり、一斉に歓喜に包まれた。

その場の空気が震えるくらいの大歓声が沸き起こり
爆竹の音やロケット花火の発射音が起こるたびに、
ワァ~ッという叫び声があちこちで発生する

 

こんな体験初めてだ。

 

そのうち、何万人が合わせたかのように
マレーシア国歌を大合唱を始めた。

 
Negaraku, tanah tumpahnya darahku,・・・・

  

誰もが一度は聞いたことがありそうな覚え易い旋律の曲だが、
これだけ圧倒されるほどの国歌斉唱を聞くと
人様の国の国歌でありながら
ジ~ンと涙があふれ出てきそうに感動した。

 
そうなんだ。アジアの大半の国は抑圧から解放されて独立を勝ち取った国なのだ。
その実感を若い彼らも受け継いでいるのかもしれない。

しばらくすると、メインイベントの打ち上げ花火が何十発と大輪の花を咲かせ、爆音と共に群集の歓喜の声とが渾然一体となった。

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三脚なしの花火撮影は無謀とわかりながら・・・

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まったく偶然にすごい場所で、すごい体験をした。
 

花火の終了と共に、興奮に包まれたカウントダウンイベントも終了した。
             

やはり地上界で生きてる僕も、もう一度会場の人ごみの中に飛び込んでいった。

       

観衆は大挙して帰路に着くのだが、いつまでも人の波が続き
何処からこんなに湧いてくるのかと、延々とそれが途切れることが無かった

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  イエ~ぃ!!

 

終了してから一時間を過ぎても、若い人たちは余韻を楽しむかのようにその場を離れようとしなかった。

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(うたげ)の後・・・

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マレーシアに栄光あれ!!

 

独立記念日の大フィーバーに遭遇!!(その1)

クアラルンプルの街を散策してみると、
あちこちで国旗を掲げている家や商店が多いから
なんてマレーシアの国民は愛国的なんだろうと感心していたら、
8月31日は、マレーシアの独立記念日だということを後で知った。

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この日の晩の午前零時には、
大規模なカウントダウン・イベントがあるから
付近は混乱するので絶対に外出しないで欲しい
駐在の方から注意を受けた。
  

何事も絶対にダメ、絶対に出来ない、と言われれば、なおさらやりたくなるのがヘソ曲がりな私の信条。

 

「わずか数度訪問した国で、年に一度の大イベントがあるというのに、これを体験しないなんて・・・。」 
 

噴き上がる衝動を抑えられるはずもない。

 

30日の夕方ごろから、
ツインタワーの前の噴水のあるとても美しい公園(KLCC PARK)に、次第に人が集まってきた。

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カウントダウンは深夜だというのに、夕方4時過ぎにはもうこんなに人が集まっている。

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完全に暗くならないうちに、もう広大な公園内は集まってきた人たちで身動きが取れなくなっていた。

若い人を中心に、カップル、家族連れ、ヤンキーな少年少女たち…
  
年配者が少ないから、何か形容できないような強烈な熱気を感じる。

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日本の建国記念日のように律儀な年配者ばかりが参加する式典とは大違いだ。

 

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そのうち気が付くと、すでに群集の流れの渦に身をゆだねており、もう自分の意思では方向を決めて歩けない。

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マズイッ!危険だッ。
 

今になって、駐在の方の忠告を守っておけばよかったと後悔した。

ほんの少しだけ…。
  

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手荷物も財布もカメラもどうなるか分からないし、
何かパニックでも起こったら、間違いなく怪我人が出るだろうと予感したので、流れに乗りながら少しずつ出口を見つけ、(は)うようにしてやっとのことで外に出ることが出来た。
 

ホッとした!命拾いした。

これが最初の感覚だった。

  

これで世紀のカウントダウンの瞬間も見られないのかと諦めかけたのだが、今回はとてもラッキーだったのである。

 

それは今回の宿泊ホテルが、ツインタワーの隣にそびえる
マンダリン・オリエンタルホテルだったからだ。

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クアラルンプルでもトップクラスのこの高級ホテルは
外出するよりホテルの各施設を利用していた方がずっと居心地が良いほど、素晴らしいサービスを提供するホテルだ。

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この体験を記述するだけでブログ記事が書けるほど感動したのだが、それはまた別の機会にするとしよう。
 

実は、親しくなったフロントの中国系の女性マネージャーに事情を話したら、
それならばと、会員制の屋外プールのラウンジに特別に案内してくれて、なんとカウントダウンの会場が一望できる信じられない特等席に腰をすえることが出来たのだ。

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ここには一年前から予約しているような国内外のVIPの富豪家族ばかりが来ていて、なんともセレブな雰囲気に包まれている。

 

そして、階下に広がるカウントダウン会場を見下ろすと
なんと数万人などではない、
おびただしい数の大群衆が会場をぎっしりと埋め尽くしているではないか・・・。 
                                  (続く)

とんだトバッチリ

まさか、最後にドンデン返しが起ころうとは!! 

中国での出張日程をすべて順調に終え、ビジネス交渉も上手くすすみ、いよいよ帰国の途に着くことになった。

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まさかこれから災難が降りかかろうとは…  北京空港にて

北京空港でも、予定通りの離陸のアナウンスを受けて
無事中国国際航空(CA)の機内に着席したと思ったら、
それから1時間以上経っても、
機体は出発スポットに張り付いたままピクリともしない

もちろん気の利いた説明アナウンスや謝罪の言葉などあろうはずも無い。

皆イライラしていると、離陸もしないうちに乗務員が機内食を配りだしたのには驚いた。

「マズいッ!」

機内食の味のことではない。

もともとの成田到着時刻が午後9時だから、出発が2時間以上遅れたら、接続の交通機関が無くなってしまうので、その日のうちには自宅に帰りつけないと直感したのだ。

私は大体、機内食を食べないことにしているのだが、そのうち乗務員が慌しく食器を片付け始めたのである。

暫くすると機体がゆるりと動き始めた

狭い機内に長時間閉じ込められていた乗客も安堵の声をあげてくつろぎ始めた。

2時間遅れだ。

「やっぱりマズい!」

予感は当たった。

やっとのことで成田に着いたのが夜10時50分。

もう成田23時05分発のの最終列車には間に合わない。

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出迎えホールに誰もいないおかしな風景

航空会社が、東京駅と新宿、横浜行きの無料バスを出すと言うのだが、それに乗っても、結局その先の電車は終電を過ぎて無くなっている。

深夜新宿で、重い荷物をガラガラ引いてホテル探しをするのも大変だ。とはいえ、成田で高いホテルに泊まるのは癪に障る。

ここは思い切って空港のベンチで一夜を明かす決意をした。

何十年ぶりだろうか。20代のサラリーマンの頃、ときおり公園や駅のベンチで夜を明かしたことを思い出した。今でもきっと出来るはず…。

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深夜の成田空港のホール

ベンチで長期戦の構えに移ろうと思った矢先、県警の人にここはダメだから別のところに移るよう促された。なんてことはない、夜明かし人を一箇所に集められただけのことで、やはりベンチに寝ることには変わりなかった。

警察官にパスポートを見せ、住所や連絡先を細かく聞かれ、それとは別に警備会社の人にも同じ事を確認された。近々、空港反対派の集会が予定されているのだそうだ。だからロッカーも使えない

ホールの照明も落とされ、なんだか蒸し暑い。

「なぜ僕は今、こんなところに居るんだろう…。」
さまよえる旅人の心境だ。

ベンチで寝ているのは、欧米人の中年男女が数名と日系ブラジル人の老人、そして中国人の若い女性で、日本人は僕だけであった。

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さながらワールドカップ状態だ。

サムライ日本を代表する僕が、ここでメゲではいけないのだ。

それにしても皆んな、アッという間に横になって寝入っている。

なんと逞しい事だろうか…。

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結局僕は一睡もせず、ずっとパソコンで仕事をする羽目になった。

おかげさまで、原稿3本と出張レポートが完成したのは喜ばしい限りではあるけれど。

中国の航空会社にしてみれば、たった2時間遅れただけだろうが、
この「たった2時間」のおかげで、とんでもないトバッチリを受けてしまったのである。

それにしても、僕らがベンチで休んでいる間、
ずっと警備員の方が交代で夜通し見張りをしてくれた。

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心から感謝している。

一夜明けて、帰国したんだな、と初めて思った。

帰国した日に、余計に日本で一泊して帰宅できないというのは、本当に心身疲れるもの。

チョー便利な成田空港 バンザイ!!

北京は夏に限る

都・北京の街
春の日はとても短く、梅雨も無いから
あっという間に夏がやってくる。

5月でもすぐに30℃を越える日が始まるので、大変な暑さになってしまう。
でも、湿度が低いので、木陰に入るとあれだけかいた汗がすっと引いていき、気化熱のせいだろうか、とても涼しく感じるから不思議だ。

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気温は35℃を越えていても、木陰に入るととても涼しい

日本よりずっと気温は高いのに、うだる様な蒸し暑さがない。

日差しを避けて水分さえ十分に取れば、外出はさほど苦にならないのだ。

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「ちょっとお~ッ!暑いんだからさあ、
帽子ぐらい買っていきなよッ」

私は1984年に約1年間、北京に滞在したことがある。
当時は自動車も少なく、パソコンやFAXなど無かった時代である。

夏は35℃、冬は零下15℃位の外気温でも、自転車に乗って北京電報局へ日本の本部向けに写真電報を打ちに行くのに、天安門の前を一年間毎日横切っていたのも、今ではいい思い出だ。

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天安門  昔はこの前を一年間、自転車で通った…

もっとも当時の私は、広東省広州や香港に滞在することが多かったので、南方中国の風景や生活風俗に強く魅かれていたのだが、こと、北京の夏の素晴らしさだけは別格だと思う。

北京は代々王朝の首都として歴史の舞台となったので名所旧跡も多いのだが、駐在時代は万里の長城や天安門に行くより、
北京の人々の生活をじかに感じることの出来る「胡同」(フートン)と呼ばれる庶民住宅区の横丁を徘徊することを私は何よりの楽しみにしていた。

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横丁を意味する胡同

昔からある庶民の家はとても狭く、庭もほとんど無く、ひしめき合うように建て込んでいるので、共用スペースしての胡同は、名実共に住民のコミュニケーションの場である。

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私のイメージどおりのフートン

暑さを凌ぐために、老人たちは昼夜を問わず胡同に出ておしゃべりをする。学校帰りの子供たちも格好の遊び場だし、若い女性たちもひっきりなしに行き来する。

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豆腐やスイカ、ビール売りなどが鐘や拡声器でやって来ると、あちこちから付近の住民が草履がけで買いにくる。

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ビール売りがやってきた   掛け声が粋だねェ

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大ネギも北京の家庭料理には欠かせない

僕らが育った昭和30年代と少しも変わらない。
きっと郷愁を感じるのだろう。

いや、この風景はもしかしたら、服装は違えども解放前の清朝末期とも変わらないのではないか、などと勝手に想いを巡らすのも楽しい。

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今の生活です

ところが最近、オリンピックを2年後に控えて、再開発のためにこの胡同が次々となくなっているという悲しい事態が起きているらしい。

文化財としても、また博多の屋台など同様、観光資源としても重要なことを市政府は認知しているらしく、一部保護地区を設けて胡同を残しているという。

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これからも胡同が守られることは良いことだが、観光地化してしまうとしたら、本来の素晴らしさが半減してしまわないかと他人事ながら心配してしまう。

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こんな風情があるから価値がある

老北京人(生粋の北京っ子)の暖かで大らかな人情や互助の精神あふれた胡同のコミュニティーの様子を、今のうちに心のフィルムに納めておきたいと考えているのだが、出張では訪ねる時間も限られ、とても残念だ。

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こんな住宅街の表情もいずれなくなってしまうのか?

この時ばかりは、仕事で使う標準中国語ではなく、
聴いても解らない北京なまりのあの独特の調べの方が耳に心地よい。

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今どきの看板  ロナウジーニョとは漢字でこう書くらしい

私にとっては、胡同徘徊のために、わざわざ北京を訪れる価値がある。

しかもそのベストシーズンは、
清少納言ではないが、必ず夏に限る

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北京市民の夏野菜がこんなに豊富に素晴らしくなっている

名物に旨い物はあるか?(その2)

(前回から続き)
津三絶の二番目は、日本でも有名な「十八街・麻花(マーファー)」だ。

日本のかりん糖を巨大にしたような、小麦粉をねじって油で揚げた甘い菓子で、ゴマやナッツ、サンザシ、ミントなどトッピングによって様々な味がある。

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作りたての麻花は、さほど脂っこくないが、かなり硬くてボリューム感があり、ひとつ食べるのに結構閉口してしまった。

天津の人の話によると、
昔は年中、よく外から買って食べたらしいが、
最近は若い人などを中心に、あまり食べなくなったらしい。

どうせなら、このブランド名にある「十八街」という所に行って、元祖か本家だかの麻花を食べようと思うのだが、天津の大沽南路がそのルーツだそうだ。次回はぜひ足を運んでみたい。どうも「桂發祥」という老舗が有名らしい。

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長崎や横浜の中華街にもこの麻花児(マーファール)という名のお菓子が昔からあり、私も小さい頃、これを食べた記憶がある。

後の3番目は、「耳朶眼の揚げ饅頭」。

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これは中国でも天津以外ではあまり有名ではなさそうで、もちろん私も知らなかった。

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柔らかな餅皮の中にこし餡が入った揚げ饅頭(炸羔)で、日本のものと大差なく、これは日本人にも結構いける思う。
揚げたてのものは、中はしっとりとやわらかく、外はサクサクと香ばしい。

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ただ、麹が入っているからか、油が酸化しているためか知らないが、妙に酸っぱい味がして、これも少々閉口する。

以上、三種の食べ物が「天津三絶」と呼ばれる名物だそうである。

どれも、なんだかもう一息という感じだ。

ものすごく美味しいかと問われれば、
答えは、「名物に旨いもの**」といったところか。

なみに、河北省の良郷という所が特産の「天津甘栗(糖炒栗子)」というのは存在するが、あのカニ玉あんがのった「天津丼」「天津麺という食べ物は、昭和初期に日本で発明されたといわれており、天津には存在しない

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甘栗は存在するが・・・

もう10年以上も前になるが、
同行したグルメ探求派の日本の方から「ぜひ本場の天津丼が食べたい」と散々せがまれて、
これにも閉口したことを今でも鮮明に覚えている。

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天津の旨いものが集まる「南市食品街」

明代に「天子の津」と呼ばれ、19世紀後半に起こった「洋務運動」の拠点のひとつとしての天津は、「浜海新区」に対する国家の重点投資が始まっおり、至る所で再開発の真っ只中にある。

どちらかというと、これまで遅い発展、保守的な考え方を持つと言われてきた天津は何処へ向かうのだろうか。

名物に旨い物はあるか?(その1)

天津三絶」という言葉をご存知だろうか?   天津三絶060702sanjueの看板

天津の3種の名物というような意味で、
街を歩くとこの言葉を時々目にする。

その筆頭は、全国的にも有名な天津名物「狗不理(ゴウブリー)包子」(豚饅頭)だ。

「狗不理」は約150年も続く「中国老字號」(老舗ブランド)のひとつで、
天津に初めて来たら誰でも一度は食べてみたいと思う一品だ。

この狗不理の名前の由来だが、
よく「犬も見向きもしない」との直訳でまことしやかに言われているのだが、
犬も食わない様な物が、何で旨い名物を指すのか私にはこれまでどうしても解せなかった

ちなみに中国語で「狗」とは犬のことで、
「理」とは、ここでは動詞で(相手にする・構う)という意味である。

どうもこの由来は、巷でも意外に知られていないようなのだ。
タクシーの運転手に聞いてもあやふやで、
天津っ子でも正確に知らない人がいる位だから、
結構いい加減なのか、はたまたどうでもいいことなのだろうか。

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由来を簡単に説明すると、

今から150年余り前に河北省武清県に生まれた幼名「狗子」(ワンちゃん)と呼ばれた男が、天津で肉饅頭屋を始めたが、これがめっぽう美味しくて大変な評判を呼んだ。

しかし、あまりに忙しく、いちいち接客できない(狗子売包子不理人)ため、いつしか人々の間で「狗不理」客をかまわない狗子)と呼ばれるようになったのだという。

天津の本店で、そう解説してあったから、これが真説なのだろう。

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本店の解説文

最近、日本でも職人堅気で、無愛想なラーメン屋の主人がいるけれども、そんな感じなのだろうか。

今や全国に多くのフランチャイズを持つ「狗不理包子舗」だが、天津に来たらやっぱり総本店で食べたくなるのが旅人の人情というものだ。

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本店正面

蒸し立ての肉まんを一口ほお張ってみる。

「ん~ッ!?」

実は、見た目は特別ウマそうではなく、また食感もさほど良い訳ではない。上海の小籠包のように、熱々のスープが滲み出てくる訳でもない。どちらかと言うとパサパサとした感じで、肉餡も少なく、拍子抜けしてしまった。

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ところが、一口食べると、またひと口と箸が伸びる。

強いて言えば、なんだか不思議な後を引く旨さなのだ。

値段が高い「三鮮包」(三種餡)よりも、安い「猪肉包」(豚肉だけの餡)の微妙なコクと塩加減の方が私には食欲をそそる。

軽食セットでは、この肉まんに、粟と緑豆で出来たお粥や醤油漬けの漬物を一緒に添えて食べるようだ。

060702xifan 添え物の粟・緑豆粥

今回ばかりは、狗不理の肉まんの味よりも、
犬が見向きしないのではなく、
主人のワンちゃんが客に見向きもしないという店名の由来を知り、
長年の謎がクリアになったことの方が感動したと言ったら天津の人に悪いだろうか?  (続く)

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みんな、包子をほおばる、ほおばる

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街頭の壁にまで…(狗不理の肉まんをいつも食べると長寿になると書かれている)

車の王国 …天津

北京から天津に移動した。
天津から3回目のライブをお届けする。

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天津最大の目抜き通り ・・・浜江道

天津といえば、今や自動車産業が集積しており、
南の広州とならび「華北のデトロイト」になろうとしている。

今秋には、トヨタの第2工場も稼動し、
クラウンが増産される計画だそうだ。

国では「肉」と言えば豚肉を指し
かつては「車」といえば自転車の事を指していた。

以前は「車使うの?」と言うと
私も「ああ、自転車なんだ」と反応していたものだ。
もちろんこんなことを言うと今では皆に笑われる。

そう、ここ天津では、自転車の数がめっぽう多い。

それもそのはず、天津は自転車の生産地で
生産台数もトップだし、ずいぶん前から輸出もしている
くらいだ

明け方まもなく、外に飛び出してみると
もう道路には自転車が次々と湧き出してくる感じだ。

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普通の自転車あり、電動機つきあり、サイクリング車あり、と
他の都市よりバラエティーに富む。

また、自転車通勤専用グッツがあるらしく、
今の季節はサンバイザーやホコリ除けなども
ご婦人方には必需品のようだ。

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女性サイクリスト専用の紫外線&ホコリ除け?

自転車王国に加え、これから自動車王国にもなる勢いで
現市長以下、天津の都市開発に相当力を入れており、
港湾はもとより、開発区、商業区、郊外と次々とビックプロジェクトを推進中である。

天津の繁華街の中心に位置する日系の伊勢丹百貨店天津店を訪ねた。

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2~30代女性のファッション発信地 -伊勢丹天津店

責任者の方のお話によると、ここ数年、好景気とノウハウ蓄積により急速に売り上げを伸ばしており、今後も積極展開を計画中だそうだ。

単に北京、華北、内蒙古地区の積出港ではない
「ニュー天津」がその姿を現し始めた。

27日の最高気温35℃。

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天津名物(その1) 肉饅頭

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天津名物(その2) 麻花児(マーファール)

北京からアップ

5日に北京を訪れた。

先回の上海に続いて、
今度も部屋でインターネットが出来るので眠い目をこすりながら、エントリをアップすることにした。

今日の北京は、午後6時過ぎの時点で気温28℃だったが、
霧が発生しており湿度が高く、蒸し暑かった。

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                 25日夕刻の北京空港付近

気温は高いがカラッとした北京独特のさわやかな夏が私は好きなのだが、初日は空振りに終わってしまった。

空港から市街に続く道も、
新設の高速道路や電鉄が走っていて全く様変わりしている

鉄道沿線も駅周辺はマンションが林立し、さながらニュータウンである。

オリンピックを2年後に控え、ますます建築ラッシュだ。

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ホテルに着くと、午後7時過ぎだというのに、
部屋がまだ清掃されていないということで外で30分以上も待たされたのにはビックリしてしまった。

埒が明かないので、若い黒服の女性マネージャーにクレームを付けたら、テキパキと応対して豪華なスイートルームを手配してくれて2度ビックリした。

今、その広過ぎて持て余すほどの部屋からインターネットを利用しているのである。

ハードも、ソフトも大きく変化しているので、
そのひずみも起こるし、多くの混乱もあるようだが、
明らかに進歩もうかがえる。

一部、一地点、過去の一時期の事象を見て中国を論じることの怖さを体験した数時間であった。

青森で守りと攻めを考える

日の豪州戦、残念でしたねぇ。」
「最後の10分間、虎の子の1点を守ろうと、攻めることを忘れ、隙が出来たのでしょうか?攻めと守りのバランスは難しいですね」とつい壇上から叫んでしまった。にわかサッカーファンのくせに…

「社団法人東北経済連合会創立40周年記念フォーラムin青森・東アジア交流の未来」が、13日青森市内のホテルで開催され、パネルディスカッションのパネリストとして参加させていただいた。

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前半は、伊藤忠中国総合研究所の古屋代表による「中国の今後の動向と日本企業」をテーマに講演が行われた。

幅広いテーマと事例をもとに、とてもわかりやすく実践的な内容だった。

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中国は不安定な社会事情ではあるが、今後も持続的成長は可能であり、「政冷(政治関係の冷却化)」が叫ばれる日中関係も「経冷(経済関係の冷却化)」にはつながらないだろう。ただし、個別ビジネスではしっかりとリスク管理をして中途半端な取り組みはしないことの重要性などについて説かれたが、とても共感を覚えた。

後半のパネルディスカッションでは、東北学院大学の柳井教授をコーディネーターに、地元企業家お二人、青森県、そして私の4名で中国・アジアビジネスの要点について事例紹介した。

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会場は330名におよぶ東北一円から集まった企業人や個人が熱心に耳を傾けた。

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青森といえば、リンゴ、ナガイモ、ホタテなどの海外向け輸出では実績があり、日本の成功モデルでもある。農産物・食品輸出の面では、むしろ私が学ばなければいけない地域だ。

今、東北地区では、観光誘致をはじめ様々な分野で東北7県が連携を模索している。今後、東北経済連合会の役割は更に重要になることだろう。

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幕田圭一東北経済連合会会長の挨拶

攻めの姿勢が感じられる東北地域。国際ビジネスでいつもキーワードになる「守りと攻め」の話題で、ワールドカップの話題につい触れてしまったのである。

若きサムライ戦士たちを今こそ応援したいし、また、自らの海外へのチャレンジ精神を奮い立たせている。

夜、昨年1月に記録的な大雪に見舞われた時、青森で初めて聴いた津軽三味線をもう一度堪能した。

先回同様、感動に心が震えた。

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「日本的なものほど国際的になる。」

今夜もそう感じた。青森がさらに親しくなった。

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ねぶたのミニチュア