みんなどこかで動いてる(最終回)

          
(前回から続く)

     

ここは、島根県の東部、中海に浮かぶ大根島。

   
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後方が大根島

    

行政区としては、松江市八束(やつか)町となっている。

    
   
隣の鳥取県境港とは橋で結ばれ便利になったが
今回、僕らは松江市側から干拓用に整備された道路を使って訪れた。

  
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周囲わずか12km、標高も42mしかない玄武岩質の小さな島に過ぎないが、実は高麗人参(雲州人参)と日本一のボタンの生産を誇るスゴイ島なのだ。

   
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牡丹と高麗人参の町

   
   

高麗人参は、江戸時代から栽培されていた門外不出の貴重な産業で、
この大根島命名の由来は、
通説では、たこ島が大根島になったということだが、
島で人参栽培しているのを隠すために、わざと大根島というようになったという逸話も残っているほどだ。

  
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見事な雲州人参。
      
栽培に6年もかかり、また一度収穫すると連作が出来ず、その土地では15~20年は植えられないほどだと言うから驚きである。

  
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人参とはよく言ったものだ

     

他にも人参にまつわる面白い話をたくさん伺った。

  
ハイテク・バイオ日本農産物の輸出商品としての復活を期待したい。

      

      
      
もうひとつ。

     
   
牡丹の栽培が有名な町なのである。

     
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立てば芍薬、座れば牡丹 というくらい美人の形容ともなる気品のある華(花)の代名詞である。

   

毎年、見ごろのゴールデンウィークにもなると観賞にやってきた観光客でごった返すのだという。

  
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全国シェア9割という日本一の生産を誇る大根島には、
世界を目指す熱い志をもった人たちがいる。

   

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すでに1960年代頃から輸出が始められていたというからスゴイ。

    
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その後一貫して輸出が続けられており、近年も約1億円前後で推移しているそうである。

      
     
主に、アメリカやオランダ向けに出荷され、そこからさらにドイツやフランス、イタリア等でも販売されるのだそうだ。

    
     
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中国では真紅だが、欧米では黄色が人気なのだそう

   

     
最近も、ニューヨークやロンドン、パリなどの植物園でも展示され、大いにニッポンの牡丹が人気を博しているのだそうだ。

     
   
また、今年4月25日まで台湾の台北で開催された「台北国際花の博覧会」にも出品され、馬英九総統のスピーチ演壇が「松江大根島ボタン」で彩られたことは関係者の間で有名な話なのだ。

   
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今では周年開花技術が確立し、一気に輸出がすすんだ

     

    
このような歴史と実績をもつ「ニッポンを売る!」その現場には、
必ず熱い志をもった男たちがいる。

       
    
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海外に挑戦するサムライたちの梁山泊だ 

       
    
   
しかも、JAくにびき、島根県、松江市、そして生産流通に関わる皆さんは、同じビジョンを持ち連携も見事で、活気に満ち満ちており、アイデアとアクションがほとばしるプロジェクトチームである。

      
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梅雨明け(訪問当時)を思わせる暑い日差しよりも、更に熱い議論がビシバシと飛び交っていた。

    

日頃、激動する海外事情を僕の方から忍耐強く説いていくのとは、まるで逆転。
    

ただただこちらが学ぶことばかり。

      

    
このチームは今年、アジア向けや新興大国への輸出にも行動計画が進んでいて、皆さん攻めの姿勢でワクワクして期待を膨らませているのが、明るい表情に浮き出ている。

       

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この元気な挑戦者たちをリーダーに、多くの関係者の努力と行動で、大根島牡丹の海外展開が続いている

   
        

島根県は、関係者なら皆が知っている農産物輸出先進地である。

     

この牡丹プロジェクトの中心人物でもある方が、
以前、僕の講演を聞いて、とても共感してくださったというので本当に嬉しかった。

      
     
僕はたまに自分の思いが周囲に通ぜず、心が折れそうになることもあるが、
この3回シリーズで紹介したように、
今回の原発事故による厳しい風評被害にもかかわらず、
だれかが、国内外のどこかで活発に動いてくれているからこそ
僕も信念を曲げずに頑張っていけるのである。
                                   (シリーズ終わり)

   
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田中 豊

地域の元気づくりと海外ビジネスを通じて、日本を元気にしたい行動派プロデューサーです。 海外ビジネスの参謀役として長年活動してきました。 とりわけ農林水産業を振興にすることで地域が元気になることを現場の生産者、支援者の皆さんと共に日々実践していることをとても誇りに感じています。 「地域を活かし、そしてつなぐこと」をスローガンに訴え、いつの時でもチャンス(chance)ととらえ、絶えずチャレンジ(challenge)し、チェンジ(change)を果たしていくことの「三つのC」をモットーにしています。