古都恋情(その9)

(前回より続く)
    

その日、仕事も終わり、夕刻散歩がてらに恒例の路地裏歩きをしていると、
暗い路地の一角で、ひと際目立つ看板の明かりに
斉天大聖」という文字が目に飛び込んできた。

   
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我こそは、天にも斉(ひと)しい大聖なり。」
と豪語する野猿あり。

    
      
学生時代に京劇で見た一節を思い出した。
     

もしかして、あの西遊記の主人公“孫悟空”ではないのか??

  
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ワクワクして本堂に入ると、果たして、このお寺の祭神は、
斉天大聖・孫悟空に違いなかった。

  
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中国大陸でもあちこち寺社仏閣を訪ねたけれど
孫悟空を祭ってある所には、これまでお目にかかったことはない。

  
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ずらりと居並ぶ悟空さんたち。

  
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自分の毛をむしって息を吹きかけ無数の悟空を造りだす分身の術にも思えるし、天界で悪さが過ぎて、菩薩様から石猿に変えられてしまったようにも見えるしでユーモアたっぷり。

  
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夜の本堂で独りポツんと拝んでいたら、
どこからともなくオジさんが二人、ス~ッと現れて来て、
僕に向かってやおら講釈を垂れ始める。

   
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顔は赤いし、酒臭い。 足元だっておぼつかない…。

   
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僕とは、国語(北京語)で会話しているのだが、
方言なのか、ロレッているのか、そのうち何を話してるんだが解らなくなって、とにかく僕は相槌を打つばかりになってきた。

   

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そう、一生懸命にいろいろ紹介してくれてるんだ。

    

そのうちこのオジさん、気が大きくなって、

わざわざニッポンから来たのか?  おい、入れ、入れ
     

と、やおらカギを開けて、柵の内側の本尊が安置されている仏壇を案内してくれるという。

  
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この酔っぱらった人が管理人さんなのかどうか分らないが、
菩薩様に免じてもらって、ご禁制の柵の中に入り、
居並ぶ悟空さんたちを抱き上げたり、サワサワ撫でさせてもらった。

   
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間近で触れながら、悟空様と仲良しになる
   

Dsc_0937       後ろ姿だって観ることが出来た

      

悟空が天界の無数の蟠桃を盗み食いして不老不死になったように
僕も何体かの悟空に触れて、強力パワーを授かったかも知れないゾ。
      
    

オジサンたちはきっと僕に、興味深いこと、面白いこと、故事来歴など
たくさん教えてくれたんだろうけど、
残念ながら、その後は翻訳不能、理解不能、判別不能でした。

  
でも、オジサンの熱い想いは届きましたよ。
       

      
             
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それにしても、この青いTシャツのオジサンがだんだん孫悟空に見えてくるから不思議なんだよねぇ。

もしかして、彼も分身だったりして!?

  

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おっと、もうひとりのオジサンも関帝のような神様に見えたッ
        

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やっぱりこのお寺のご本尊は、菩薩様と観音様だった。
悟空がちゃんと守ってくれてるんだね。

     
    
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お寺を去る時、オジサンは、僕が見えなくなるまで、
本堂の外からいつまでも手を振って見送ってくれた。

  
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南部台湾の人って、ほんとうに親切なんだ。
    

悟空さん、イヤ間違った。 おじさ~ん、ありがと~~う。
   

また来ます。再見!

      

       

んッ?? それにしても、あの二人
本当に神様の化身だったのかも知れないぞ???        
            

古都恋情(その8)

(前回より続く)

         
台南が古都であることの証左のひとつに
寺廟が多いことが挙げられる。

   
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街の中心にある武廟  朱赤の壁が一際映える
  
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後方の扁額「大丈夫」は台湾4大扁額のひとつ。「人倫之至」も台湾を代表する名額でこれを観るたび、パワーをもらう。
   
             
       
僕が戌(イヌ)年だからじゃあるまいが、
ホテルの周りでもちょっと歩くとすぐにお寺に突き当たる。

    
      
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“台湾精神”の拠りどころ
   
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あの世でもご先祖様がお金に困りませんように・・・
   
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お賽銭を上げて、「平安米」を一袋頂いて帰り、家で一緒に炊いて食べる。厄除け・お守りの意味があるらしい。昔は貴重だったお米を大切にする土地柄からか。 

          

お寺と言っても、立派な構えをしている寺社もあれば
アーケードの一角にポツリと仏壇のように祠が建っているものまで様々だ。

  
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とにかく数十メートルおきにお寺があるような感じ
   
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簡素だけど台湾らしいお供え物
   
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大きな寺廟にもなると、こんなお供え物も
    

Dsc_0012       土地の収穫物は、何よりの宝

       
     

それにしても、台南の人の信心深さは並大抵のものじゃないことは、すぐに分かった。

   
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媽祖像に心を込めて祈る
  
 

今、日本でも仏像や仏画などが、一部の若い人たちの間で密かにブームになっていると聞く。

   
Dsc_6772_2      若い人もお寺の門前に差し掛かると、ちゃんと拝んでいく

       
    

僕も一時期、中国道教や中国仏教に興味を持ったことがあり、
いろいろ知識を仕入れたことがあったが、
また時間が出来たら改めて学び直してみたい、
そう思わせる古都の情景だった。

   
     
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順風耳将軍   神様もピアスしてたんだ
  

  
台南には、また孔子廟もある。
     

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「聖域」って、ここから来た言葉だったのか

   
     

歴史と習慣、そして精神性が、今も台南人の生活に深く根を下ろしている。
         
   
どこの国もそれぞれに素晴らしい伝統と文化を持っている。

     
   

Dsc_7034       武廟の門前で芳香漂う花を売る老婆

      
    
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古都恋情(その7)

(前回より続く)

       
七股塩山

台南の中心街からどのくらい車で走っただろうか、
ここならではの様々な施設や風景を見ながら車で進む。

     
郊外に出ると道の両側は池だらけ。

  
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これはきっとサバヒの養殖場に違いない。 サバヒについては後日紹介する
      
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台南科学技術工業区  ここもビジネスで訪れたエリア
   
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かつて中国大陸と緊張状態にあったころ、宣伝放送をしていたという電波塔群
   
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台湾最大の津波の実験場がある大学施設だそうだ
   
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外気はとにかく暑い。揺れる蜃気楼が蒸し暑さを増幅させる

         
 

たどり着いたところは、七股(チーグー)と呼ばれ、
つい2002年まで台湾最大の塩田で栄えた町である。

  
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今はほとんどが輸入で占められるようになり、
台湾ではコスト高が原因で、塩は生産されなくなったらしい。

    

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台南県と台南市が合併して、今は台南市になっている。   

       

ここ七股も「塩の博物館」などが建設され、
ちょっとしたテーマパークのようになっており、往時を忍ぶことができる。

   
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塩で出来た高さ20メートルの塩の山がそびえている。
そこにある以上、登らなければ・・・。気温は35℃にも達しようというのに

 
        

車から降りて外へ一歩出ると、その異様ほどの暑さに加え、
とにかく直射日光が強くてかなわなかった。

    
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一面に広がる塩の結晶の白さが反射して
まぶしくて目も開けていられない。

    
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塩山の頂きから見た景色

     

まさに“塩々と”広がる海抜ゼロメートルの土地。   

   
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右奥に立つのが塩の博物館
   
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そうか日照が強くて雨が少ないから製塩に向いているのか!
     

なんて小学生レベルの発見をする。
     

       
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往時の塩田を再現するコーナー

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名物「塩アイスキャンデー」。

  
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明確な塩味がするわけではないが、
甘くなくサッパリしていて、意外にいける。

      
     
ここにしばらくいるだけで、
なんとなく血圧が10くらい上がった気分だった。

  
     
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塩塊で作った塑像
                 

心頭滅却の志

       
2ヶ月ぶりの京都。

   
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盆地京都の夏の暑さは、つとに有名だが、
そういうもんだと覚悟が決まると、天候を恨めしく思うこともない。

    

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汗がにじむほどの蒸し暑さだが、凛として美しいカップルだった

   
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鴨川にかかる四条大橋も、そよぐ柳を通してみると涼味新らたに
     

       

僕は、知恵を働かせて涼を採る夏の京都が好きだ。

          
     
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今年は節電が最大の関心事になっているだけに
いまこそ千年古都の心に学びたい。
  
そして世界に伝えたい。

    

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アツいと言えば、
今回出会った20社を超える皆さんの熱い想いには参ってしまい、
熱中症になりそうな有様だった。

   
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僕が好きな言霊  五花街(ごかがい)のひとつ宮川町で

        
       
外人観光客も少しばかり回復傾向にあり、
This is ニッポンを売る!京都の元気人たちも動き始めたゾ。

   
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関西に通い始めて、はや一年半が過ぎようとしているが
歴史が深い分だけ、まだまだ理解が足りないと痛切に感じる。

    
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万願寺・伏見とうがらし、賀茂ナス、枝豆…夏の膳を彩る京野菜が並ぶ

      

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知識だけではだめ。
暑いさ中でも涼しいと感じきれる心にならなくては…。

      
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名産地で浴びるほどマンゴーを頬張った日(その3)

(前回から続く)

         
連れて行かれたところは玉井郷の中心地だろうか、
町の真ん中に突如現れた大きな建屋。

      
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玉井区青果集貨場」とある。

       

      
中に足を踏み入れると、そこは青果物や農産加工品の交易場だった。

    

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気温も湿気も高いムンムンとむせ返るような暑さだったが、
場内は活気ムンムンと、やはりむせ返るような賑わいだ。

    
   
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さまざま、色とりどりの果物や野菜、食品が所狭しと並んでいるが、
この時期はやはりマンゴーが主役。

    
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日本では、化粧箱やパックに宝物のように大切に「収納」されているマンゴーしか見たことがないが、ここではいわゆる「旬の果物」なのだ。

 
Dsc_1626     亜熱帯色彩のグラデーション
     
            
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黄桃のような色合いのマンゴーも
    

       

         

台北や日本の店頭では滅多に見かけない欠点のあるマンゴーだって、商品の一部として売られている。

    

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それにしても圧倒的な存在感。

    
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やっぱり果物の王様だよ。

   
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はぁ~ぃ。もうひとカゴお買い上げ~ッ!!

   
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場内一杯にま~ぃ香りが漂っている。

   

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エエッ
こ、こ、こ、こんなに安いの??

   

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ひと盛り300日本円弱!?

   
   
頭の中で自分の日本円換算を疑うくらい信じられない値段なんだもの。

      

どこも名産地の旬の只中というのは、こういうものなんだよね。

     
     

  
よおっ~し。今日は夢にまで見たブランドマンゴーを浴びるほど喰ってやるぜ。」

    

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僕が財布に手をかけようとした途端、

    
       
ちょっと、よしなさいってば。

もっと良いものを食べさせてあげるから。」

      

    
マンゴー輸出の社長殿が言うんだから嘘じゃないとは思うんだが、食べたい衝動をこらえるのは至難の業だ。

    

うんん~んッ! オフィスかなんかで、見た目綺麗なマンゴーを上品にちょこっと出されたってつまんないんだし、悪いけどここは目を盗んで豪快に頬張るゾっと。

    

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僕を市場に放り込んだら、もうそれでお仕舞い。

     

魚を海に放り込むのと変わらない。
失踪・行方不明は毎度のこと。

    
      
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こんな蒸し暑い所から早く自分の会社に行こうとあせる台南人社長を一顧だにせず、僕はズンズン市場の奥に分け入ってどこかへ消えてしまったのである…。
                                (次回に続く)

   
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名産地で浴びるほどマンゴーを頬張った日(その1)

       
6月下旬から7月にかけて、
台湾ではマンゴーの本格的なシーズンに入る。    

    
今年は冬の寒さが長引いた分だけ、出荷が例年より遅れたそうである。

     
     
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台北の有名なマンゴースイーツ店の看板メニュー  マンゴーかき氷

     
         
     
この時期は若い娘たちだけでなく、
老若男女みんな手ごろになったマンゴーを楽しんでいる。

      

     
      
今月初め、あるプロジェクト推進のために台南に行ったのだが、
台湾でもトップクラスのマンゴー輸出に携わる地元貿易商社の社長さんと旧知の仲で、突然連絡したら、案内するからぜひいらっしゃいと誘われ、出荷の繁忙期と知りつつ、ホイホイと現地を視察に行くことにした。
      

      

台南の中心街から車で約1時間半強の道のり。

     

途中、烏山頭ダムを横目に進む。

     
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ここは、1930年に完成した農業灌漑を主目的としたダムで、日本人・八田與一技師により建造されたものである。

      
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後方に見える長い堤防のような土手に烏山頭ダムがある

           

それまで、常に干ばつの危険にさらされていた嘉南平野が、このダムのおかげで台湾を代表する穀倉地帯として蘇ったのである。

    

八田技師は、その死後70年近く経た今でも
多くの台湾民衆から敬愛されており、
日台交流の模範として僕の心の中にも特別な存在である。

   

当時の日本人は、物資調達だけでなく
土木やインフラ、衛生など技術やノウハウ、社会資本整備までも
台湾やブラジルなど世界各国で広めていった
のである。

  
その上、歴史的な背景があったにせよ、
祖国に帰ることを前提にではなく
腰を落ち着け、根を張る情熱で…。

   

当時の日本人の方が、よほどグローバルな視野を持っていたと思う。
    

しかも、その核心技術が農業栽培や加工、農業土木技術なのだ。

  

本当に頭が下がる思いだ。

    

     

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さて、どれだけ坂道を登ったであろうか、
山間部に開けた大きな町が見えてきた。

    
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だんだん生活の匂いがしてきたぞ

    
     

ここが、台湾マンゴーの名産地 玉井区である。

    
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玉井郷にようこそ、と書かれている

      
     
玉井という地名は、高雄と同様、おそらく日本時代につけられたものだろう。

       

これまでは台南県玉井郷であったが、昨年12月の台南市への編入で
現在は玉井区ということになっている。

    

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左は台南市。右は台南市での玉井区の位置 wikipediaより     
       

        
     
今や台湾でこの玉井は、マンゴーと同義語であるほどの地域ブランドなのである。

 
いずれ日本でも知名度を上げてくるかもしれないので、
読者の皆さんはマークしておいて頂きたい。   

    

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巨大なマンゴーのオブジェが町のシンボルだ

    
     
    
手始めに、まず畑に行きましょうかね。」

     

いよいよ台湾の有名ブランド・玉井マンゴーとのご対面だ。
                               (次回に続く)
           

中国ビジネスのニューカマー

                                  
上海の泰康路に面した一角に「田子坊」と呼ばれる路地裏エリアがある。

   

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路地裏が好きな僕が注目しているのだが、
比較的名所旧跡の少ない上海の街でも、今や
一大観光拠点に成長しつつあるホットスポットである。

    
    
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聞けば10数年前に、中国人画家のグループがこの一角にアトリエを開いたのが始まりとされ、その後、アートショップやカフェ、ブティック、雑貨店、バー、レストランなどが次々と開店し、今も増え続けているという。
     

      
          
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今中国で過剰・乱立ともいえる企画で設計された大規模集積ショッピングセンターとは異なり、住宅街に自然発生的に「増殖」しているのが特長である。
     

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周りはこんな感じ
    
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一般の住宅街が隣接する
    
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四合院式など中国建築様式も触れることが出来る
   
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上海建築のシンボル“石庫門”
   
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上海には女性ブロガーだろうか、一眼レフを持った娘がとても多い
    
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情報伝達・発信は、政治問題よりも日本と同じ流行コンテンツ。こっちの方がすごい武器
      
      
      

ニューヨークのSOHOやパリの一角のようなものだろうか。

     

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モバイルPC、スマートフォン、iパッド・・・ 新しいもの好きの上海人が集まる
    
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もしかしたら将来、代官山や自由が丘のような場所になるのかな

      
    

この日も昼間から多くの若者、観光客、一般市民、外国人など多くの人で賑わっていた。
    

   
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いくら生活観の演出だからといって、少しやりすぎじゃあ??
でもその写真を撮る僕もヘンだよね
     

      
     
僕が注目しているのは、単に路地裏好きだからだけじゃない。

       

これらの店舗を経営しているのは、中国人だけじゃなくて結構外国人もいる

    
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日本人が経営している店舗もかなりあった。

   

     
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おお~っ! 京都だ
    
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最近、日本でも再び中国ビジネスに関心が集まっているが、そのほとんどが経営資源に恵まれる大手企業やアグレッシブな中小企業が中心だけども、いずれもすでに中国は、労賃から不動産、原材料などあらゆる物価が上昇しており、製造業の低コストモデルは益々難しくなっている。

       

その上、日本企業の中国でのプレゼンスが、
資金でも市場でも技術でも商品力でも、
いずれも中国から観て必ずしも優位に働かなくなっているという現実がある。
 
        

企業の進出にとって大きな懸念材料だが、
僕はまさに、ここ田子坊で頑張る日本や世界の若者、あるいは彼らのセンスを活用する経営者の動きは、これから中国ビジネスをする上で、ひとつのモデルになるかも知れないと直感し、注目しているのである。

     

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僕は「中国ビジネスのニューカマー」と呼びたい。

     

    
これまで中国は、世界中から莫大な資金も技術も市場も取り込んできた。

          
   

今やこの田子坊のように、中国は徒手空拳の行動力にあふれた世界の若者のパワーまで取り込む国になり始めているのだ。 

     
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若い人のセンス、行動力、ネットワーク力、コミュニケーション力は、いつの時代もそうだが、新鮮であり、元気であり、ワクワクする。

    

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また、そんなセンスを上海の人たちが大いに受け入れ始めているのだ。

   
    
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しかも海外で頑張る日本の青年たちは、たくましいし、個性的で魅力的だし、行動的で勤勉で、優しくもあり、能力もあり、とても頼もしい。

    
その彼らだって僕らと変わらぬ普通の日本人なんだろうが、中国でチャレンジすると決めた瞬間、一歩行動に出た瞬間に、すっかり逞しくなったに違いない。

   
その一瞬が人生を変えていくんだよね。

   
     
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この国際コスモポリタン都市・上海にあっても立派に伍している

     
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サンマの塩焼き定食も、ここ上海ではカッコいいカフェめし!?
いいじゃない。

            
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それに日本式のサービスやセンス、商品企画は、キラキラと光り輝いている。僕にも大いに自信を感じさせてくれた

     

FTA論議など、とかく日本は開放すれば全て外国勢に負けてしまうと内向きな論調も多いが、少なくともスポーツの世界やこのような海外での「ビジネスワールドカップ」のような舞台で、日本の若者は頼もしく、たくましく、世界と伍して、また世界に和して、そして中国とも対等元気に頑張っている。
      

      
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上海でのビジネスはさながらワールドカップ

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これら40代以下の日本やアジア・世界の青年たちが、新時代を切り拓くパワーエンジンとして大いに活躍していくだろうと得心し、僕も心から勉強させてもらった。

       
    
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この田子坊という迷宮エリアには、
東洋と西洋、過去と未来、資本主義と社会経済が交錯している・・・。

    

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チャイナドレスとジーパン小姐と
      
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60年代文革宣伝アート
   
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40年代上海ノスタルジー
   
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古株香港ファンの嘆き

       
節電、節水、節約、節制・・・。

      
    
1000年に一度という甚大な災害が起こった以上
国民は被災地に思いを寄せながら
当然のことと受け止め、毎日「(かゆ)すする日々」を過ごしている。

   

   
日本では、粥をすするというと
赤貧洗うがごとき暮らし向きや
体調が悪く消化の良い物を摂っているというような
形容に使われる。

     

      
中華圏ではお粥は日常食で
特に香港を中心とする広東地方では
広東粥として鶏出汁や塩味の利いた粥ベースに
正肉や臓物、魚、野菜、皮蛋、ピーナツなど
様々な具や薬味が選べ、立派な庶民派料理としてファンも多い。

   
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でも、僕も好きなこのお粥、
なんとなく香港でも今まで以上に粥をすすりたくなる気分になっているのである。

   

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土鍋の広東粥には白胡椒が良く合う

        

前夜の食事がもたれているせいもあるのだけれど、
以前に比べて物価が大幅に上がっているのだ。

    
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潮州料理の「凍蟹」も以前は普通に食べられていたのに…

      
        
金遣いが荒いのは、どうも中国などからの駐在員や旅行客で
地元の人はあまり浮かれた感じがしていない。
   

つい最近までは日本人の団体客や社用族が幅を利かせていたけど、今は昔の物語。
          
     

住宅街の多いちょっと郊外の飲茶レストランに行くと
客は多いのだけれども、なんとなく景気がいい雰囲気でもない。

    
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香港で食事をするとしみじみとそう感じるようになった。
90年代頃までは、4~500円も払うと結構おなか一杯食べられたものだが、今ではちょっと気を許すとすぐに3000円なんて伝票を突きつけられることがある。

       
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最近は財布の中身と相談しなければ飲茶ランチも摂れない

     
         
240円の牛丼や100円バーガーが出現した我が日本を観ると、
過去のイメージとの内外ギャップに混乱しているのは、
僕のような古株香港ファンだけなんだろうか?

   
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でも、僕の一番お気に入り、
舌が焼けそうなくらいアッツあつ、トロッとろの「豚レバーがゆ(猪肝粥)」の馥郁たる味わいは、30年近くたった今でも変わっていない。

    

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もうこれから高級宴席料理は滅多に口に入らないだろうけど、広東粥だけはいつまでも僕の舌の上を楽しませてくれるに違いない。
                    

今まで以上に動けっ!(その6)

                        
バルセロナ Barcelona

   

スペイン第2の都市、商業の中心でカタルーニャ州の州都である。

   
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1992年の夏季オリンピック開催都市で、
水泳の岩崎恭子、柔道の古賀・吉田の金メダル、マラソン森下・有森、体操池谷幸雄の銀メダルというと思い出す方も多いだろう。

      
      

もちろんスペインは今回が初めての訪問であるが、
一昨年に訪ねたアルゼンチンのブエノスアイレスの街に一目惚れしたので、宗主国としての同じ文化に強い興味を持っていた。

   
正に期待に違わぬ素晴らしい街だった。

      
         

詳しい訪問記は機会を改めて紹介することにしよう。

   
      
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サン・ジョセップ(ボケリア)市場

    

     
この街でもフランスボルドー同様、市政府、対外貿易支援機構、見本市事務局、起業インキュベーターほか、バルセロナの誇る基幹産業の事務局などを訪ねたが、どの幹部からも東日本大震災に対する丁重な見舞いと協力支援の暖かいメッセージを受け取った。

   
    

目抜き通りであるランブラス通り。
   

昼夜を問わず、そぞろ歩きをする人たちで賑わっている。
     

   
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ここを歩いていても、
日本の震災や原発関連の雑誌や記事が溢れていた。

    
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また、バルセロナといえば、シンボル的な存在で世界文化遺産であるサグラダファミリア教会がある。

     

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ここもたぶん後述すると思うが、
その威容の荘厳さと言葉を失うほどの心の震えを感じる衝撃を体全身に受けた。

    
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教会の関係幹部(実はすごい日本人)によると、
今月下旬に、ここサグラダファミリア教会で、
日本の震災犠牲者を追悼するための大規模なミサが開かれるという。 
       

          
       
それほどまでに、今回の日本の震災は世界の至る街に衝撃と哀悼、そして地球人としての連帯感をもたらしたのであった。
                                     (次回に続く)

    

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サグラダファミリア教会の塔上からバルセロナの街を眺める
          
  

今まで以上に動けっ!(その4)

         
 そんな危ない所にいちゃいけない!
 部屋を提供するから、親戚も連れてすぐに越してきなさい!

      
   
長年の海外の友人たちから、こんな知らせが舞い込んでくる。

         
たちというから、ひとりではない。

     
    
香港、中国、オーストラリアの3ヶ所から。
    

中国系の知人ばかりだが、
いずれも仕事でつながる金持ちの社長さんなどではない。
    
ごく市井の人ばかり。

     
      
よく日本人は礼儀正しくて親切だと評されるが、
こういう時の中国系人の本気の思いやりというのは
いつも感じるのだが、一体どんなメンタリティーなんだろうか?
とてもありがたいのだか不思議でもある。

  

    
民族性の違い? それとも歴史の厳しさの違い???
       
       
中国人の互助精神の「濃さ」は並みではない。
     

人の絆とか人脈とか一言でいうが、様々である。

     
    

 大丈夫、安心して。そちらで報道されているほどではないし、
 日本でやらなきゃならないことが沢山あるから。

       

と、せっかくの申し出に面子(メンツ)をつぶさないよう
丁寧にお断りさせていただく。

   

    
逆の立場になったら、
長年音信不通にしていた友人に対して、
果たして僕はこんなこと出来るだろうか?
                                (次回に続く)