海外での「水の記憶」は結構たくさん浮かんでくるが、まずは昨年、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで対面したラプラタ川を挙げてみたい。
インターネットより抜粋
次の訪問地イグアスに向かう空港までの道中で見た光景なのだが、これがなんとも印象深かった。
ラプラタ河畔
画像で見ると、単なる滔滔たる大河の風情というだけ、と言われればそれまでであるが、
その雄大で、しかもそこはかとなく麗しい姿が、
僕の空白だったラプラタのイメージを一瞬のうちに蒼く染めてくれて、突然、言い様の無い感慨が
湧き出てきてしまったのだ。
「僕は今、あのアルゼンチンのラプラタ川の河畔に立っているんだっ!?」というただそれだけの、
でも信じ難い夢のような事実に酔ってしまったのだ。
子供の頃、勉強は全くだめなくせに、なぜか世界地図を眺めることだけは好きで、パンパやグランチャコなんて具体的なイメージもないのに心だけはアルゼンチンにも思いを馳せていた。
もちろん、地理の知識として脳裏に記憶する、この国のシンボルが「ラ・プラタ川」なのである。
ラ・プラタ川 Río de la Plata(リオ・デ・ラ・プラタ)は、1516年、スペイン人によって「発見」され、
上流には銀鉱山があるという伝説から、銀(プラタ)の川であることを願って名づけられたと言われる。
河口部の川幅が275Kmもあって、世界一の河口幅だそうである。
もっとも全長は300Km程度ということで、
アマゾン河のように長い川を想像していたのだけれども、ウルグアイ川やパラナ川などが合流する巨大な入り江という感じだろうか。
中国の黄河や揚子江(長江)のダイナミックさにも感動するが、この時ばかりは、蒼(あお)い満面の水を前にして心が震えてきてしまった。
どうみても僕ら日本人には海にしか見えない。
とにかく時間を忘れるほど、この滔滔たる流れ、
いや流れているとはおよそ思えない「巨大な海原」に心を奪われていた。
日本から観た正真正銘の地球の真裏に位置するこの大パノラマを前にして、「海という水の力で日本とつながっている、ここアルゼンチンには、
またきっと来るに違いない…。」
ふと、そう思った。
極々たまに脳裏をよぎるこの不思議な予感、
人生これまで適わなかったことは一度も無い。
ブエノスアイレスの街角で
田中 豊
最新記事 by 田中 豊 (全て見る)
- 人生で一番高いところに登った日(その3) - 2021年2月10日
- 人生で一番高いところに登った日(その2) - 2021年2月5日
- 人生で一番高いところに登った日(その1) - 2021年2月1日
写真がプロ並みで、河の美しさが、生き生きと伝わりますね!
またの機会は、私を連れてって!
じーこむらさんコメントありがとうございます。私の写真技量ではなかなかこの素晴らしさが伝わらずいつもイライラしています。やはりライブ感が大切ですね。仕事をバリバリやったら、またぜひ一緒にアドベンチャーしましょう。次回のエントリではじーこむらさんと一緒に訪ねた水の思い出を紹介する予定です。
久々に訪問させて頂きました。そして きれ~ 癒されました。 この風景を見ると 日本は忙しすぎるのではないか・・・と思ってしまいます。
ilohaさん コメントありがとうございます。ご無沙汰して申し訳ありません。実は、今もっとも癒しを欲しているのは、この僕かもしれません。ゆとりって本当に大切ですよね。会社人ではなく個人で仕事をしてきましたから、長いこと忙しいことに憧れていたのですが、さすがにその価値観は拭い去ることが出来ようとしています。では、ゆとりって何もしないことなのか?という単純な疑問に答えることすら出来ない情けなさなんです。これからの日本人の価値観は変わらざるを得なくなるにあたり、「ゆとり」をもって真剣に考えなければなりませんね。