滄海桑田(その2)

     
(前回から続く)

マカオと来ればお決まりのシンボル的観光名所 “聖ポール天主堂跡”(大三巴)。

  

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                     マカオのシンボル大三巴

       

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まだ旧正月休暇中とあって、香港やマカオの地元はもとより中国大陸や台湾・東南アジアからの観光客でごった返していた。

     

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人、人、人・・・。

    

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やはり中国は、人の活気こそが社会発展の原動力だと改めて感じる。

      

社会主義だろうが、市場主義だろうが関係ない。

    

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マカオ名物、味付け乾し肉(猪肉乾)

    

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ご存知“エッグタルト”もマカオ名物

      

         
マンパワーの発露こそ、厳しい自然や社会を逞しく生き抜く絶対唯一のエンジンだ。

    

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カジノでの勝ち方なんかじゃなく、
青年時代の多感な僕が、多くの広東人から学んだ絶対法則でもある。

     

    
自分の力で生きていく・・・。

      

当たり前のことが今、身に沁みる。

    
   

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自分の足で立って、歩け!と広東人に教えられた

         

       

とはいえ、もちろん巨大な新設カジノにも足を向ける。(テヘヘ!)

   

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「ベニス人の家」

    

    
なんともバブリーな、そしてかつて東京にも乱立したような短絡的欧米テイストの張りボテお伽の館だった。

    

    
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でも豊かさを知り、そして海外に目を向け始めた圧倒的な新興層にとってはたまらないコンセプトなのだろう。

   

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なんと館内に運河が仕付けられ、ゴンドラが・・・

    

    

ああ

僕ら日本人だって笑えないはず。長い事ずっとそうだったんだもの。

       
    

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カジノ場も、昔のような辛気臭くアウトサイダーな雰囲気は微塵も感じられない。

   

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欧米のカジノのような社交場とはではいかなくても、十分に明るい、健全なアミューズメントパークになっていた。

     

     
もう10年以上もギャンブルした事がなかったため、かつて腕を鳴らした秘匿のノウハウを思い出す間もなく、限度に決めた香港ドルがボードの露と消えてなくなるのに数分とかからなかった。

     

さわやか以前のあっけらかんとした感慨だけが胸のうちに残った。

  

早々とカジノフロアを抜け出し、ショッピングモール、イートインコーナーを散策した。

     

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いよいよ中国にも新中間層の消費文化が始まったなと妙に実感。

    

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カジノで失った情けない想いに比べて、

何百倍、何千倍のショックでもあった。

                             (次回に続く)
           

滄海桑田(その1)

      
中国の四字熟語で、滄海桑田を知っている人は
結構「漢語通」かも知れない。

       

      
見渡す限りの大海原が、
あっと言う間に桑畑に生まれ変わっているということで
世の移り変わりが激しいことの喩(たと)えである。

       

      

前回いつ来たんだっけと忘れてしまったくらい、何年かぶりに
マカオ(澳門特別行政区)を訪れた。

    
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1980年代、サラリーマン時代に出張で香港に立ち寄った際、
しょっちゅう上司の目を盗んで、深夜こっそりホテルを抜け出してジェットフォイルでマカオに出向き、夜通し地元のギャンブラーたちに混じってカジノに耽ったり、漆黒の街を散策するなどして、明け方、またこっそりと香港に戻り、翌朝何気ない顔をして仕事を続けていたものだ。

     
    

20代の若い時はそういう離れ業ができたのだ。

      

ちなみに僕はバカラ(百家楽)が得意だった・・・。

    
    

いや、そんな話題ではない。

    

     
      
マカオと言えばそのカジノか、せいぜいポルトガル植民地風の街並み観光だけだった小さな小さな暗黒の別世界だった処が、
まさか「ニッポンを売る!」ターゲットとして、この地に踏み入るとは予想だにしなかった。

     
    

1999年にポルトガルから中国へ返還されれば、

真っ先にフェードアウトされるはずだと思っていたのに。

    

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旧正月の華やかな飾り付けが目に焼きつく

   

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恐るべし中国人の柔軟なるリアリズム。 

     
人民共和国にだって公認カジノ群はあるのだ。

   
    

今や、あのアジア一の経済優等生であるシンガポールまでもが

カジノを建設する時代なのである。

    
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マカオでもまだ建設中のカジノがある

   
     

香港からの高速艇を降り立った途端、

すでにかつての面影は全く無し。

    

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まさに、滄海桑田である。

      

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いにしえの四字熟語が今、現実の姿として目の前に広がる。

      

  一体ここはどこなの

    

    

僕が、誰にも教えたくないと秘めやかにしていた

あのディープスポットはどこに行っちゃったんだろう?!

   

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でも、そんな惜別の思いに浸る間もなく、

新生マカオのタウンウオッチングに俄然興味をそそられた。

        
    

僕も結構、無責任に新しい物好きなのである。

     

この悲しい性分は今さら変えようがない。
                                  (次回に続く)

       

   
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“食在広州”も変わり続ける

    
(前回から続く)
           

中国の改革開放がまず広東省で打ち出されてから早や30年が経つ。

       
      
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広東の人たちにとって鄧小平は特別な存在だと思う

        

         
もともと歴史的にも、考え方も外向きであった広東は、
外資誘致を通じて、この間、常に変貌を遂げ、中国の近代化をリードしてきた。

       
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わが国では上海の発展振りが注目を浴びているが、
広東だって改革開放の先駆者として負けず劣らず急成長しており、
中国発展の南のエンジンの役割を担っている。
       

      
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広州旧市街中心部 海珠広場エリアの夕景    左が珠江

      
    

      
   だがその裏で
     

         ・・・やっぱり。

     

     
      
都心の古い住宅や街並みが再開発されていっているのだ。

    

   
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「拆」という字は、これから取り壊すという意味の印し

     
      

      
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30年前、僕がきつい仕事の合間に歩き廻った懐かしい路地も
このとおり取り壊しの運命にあるのだ。

    

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もちろんそれがよそ者のノスタルジアだとは解かっていても、
やっぱり寂しい。

      
     
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僕の愛したこの街が消えていってしまう…。

      

    
でも自分だって、いつまでも昔を引きずってはいられない。

    

      

僕のビジネス方針は、
      
専門分野を強制的に5年に一度、
完全にリセットしてしまう
こと。

     
     
                

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後ろ髪を引かれる想いはあっても、リセットは必要だと思う

             
      
     
20年前の開業以来の鬼の鉄則だ。

     

今でも忠実に実行している。

     
        

過去の成功体験を売り物にするような輩だけにはなりたくない。

      
    

幾ら年をとっても、またゼロから学び始める。
(本当はゼロではないのだが)

         

   

いつまでも前を向いていたいから。

        
    

ただそれだけである。

      

     

        *        *         *

    
    

気を取り直して、街の西郊にある茘湾湖公園にある広東飲茶の殿堂である泮渓酒家に足を運ぶ。
      

    

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すっかり洗練されてしまっているが、昔のあのゆったりとした雰囲気はまだ残っていた。

    
     
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緑あふれる広大な公園の中の湖畔にあるレストランだ

         

      
やはり「食在広州」だと感じさせるのは、実は料理のレベルの高さだけではなく、市民の生活の中にしっかりと奥深い食文化が根付いていることこそが本質なんだと気づかされた名店でもある。

       
    
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朝早くからこのとおりの様子。  生活の中の飲茶(ヤムチャ)

      
     

もちろん料理だって変化している。

      
古い伝統を受け継ぎつつも、ドンドンと進化しているに違いない。

     
    
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兎などの動物をかたどった点心はこの店が発祥  
数千種の点心を作ることが出来るそうだ。

   
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凄まじいスピードで変わる広州にも

また新たな興味が湧いてきたゾ。

                              (シリーズ終わり)

        

   

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広州の目抜き通り「北京路」の正月飾り

     

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ハッピー 「 Niu 」 イヤー !?
      
中国語の解かる人ならこのシャレわかるでしょ。

    

しかもスポンサーはあのお騒がせ・・・。

      

         

南の玄関口

      
日本のお正月が一段落すると、次は旧暦正月がやって来る。

   

中国や韓国、東南アジアの一部の国々では、新暦新年より賑やかに過ごす事は皆さんご存知の通り。

         
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街の至るところで「年貨」(正月用品)を売り出している

    
    

久しぶりに広東省広州にやって来た。

      

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広州市のシンボル「五羊の像」    

      

        
    
誰もが認める中国南部最大の商業都市であり、
海外に向かって開かれた近代以来の南の玄関口である。

    

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洋風建築が目に付く広州の繁華街

    
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“租界”のあった沙面地区

      

       

ここは僕にとって第二のふるさととも言える街。

    

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近代革命の父“孫文”を称える「中山記念堂」

          

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広州は別名「花城」とも呼ばれ、生花が一年中絶えない

    

        
1980年代の約10年間、世界最大の商談会と言われる広州交易会中国輸出入商品交易会)の日本事務局担当として毎年4月と10月にそれぞれひと月あまり滞在していたからである。
     

    
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広大な商談会場が私の20代の主戦場だった

    

     
国際ビジネスの勘どころや内外人脈、中国語を実地で学んだのもここなのだ。

    
    

だから、新年最初の出張地が広州であるのは、僕にとって事のほか嬉しい。

  

   

ところが、だ。

     
延べ2年ほど滞在したことになるのだが、広東語の会話は少し出来るくせに、真冬に滞在したことがなかったので気候を甘く見ていた。

     

    
めちゃくちゃサブいッ!!

    

バナナやライチ、サトウキビの印象が深いからもっと暖かいと思って、夏物衣料を数枚しか準備していなかったのだ。

   
    

今日の最低気温は6℃???

      
    
北回帰線より南に位置する亜熱帯の街のはずが、
これじゃあ今の西日本と変わらないじゃないかァ・・・。

      
 
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この防寒ファッションが広東!?

      

     
参ってしまった。

      
         

昔は設置されたばかりのクーラーの効き過ぎで困ったことはあったが、こんなに寒いなんて…。

        

そう言えば、去年の春節に広東省では寒波の襲来で大混乱になったっけ。

    

    
レストランに入れば、暖かい料理ばかり注文してしまう。

      

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広東料理でトン(湯・スープの意)は、とても重要な地位を占める

  
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様々な素材をじっくり煮出して頂くスープはまた格別!!

     
     

     
昔の滞在経験なんて役に立たない…。

     

         
実は、寒さのことではなく、
すっかり変わってしまった大都市をさまよいながら、
ずっとそう感じていた。
                                    
                                  (次回に続く)

      

頑張るニッポン

        
上海で最も読まれている日本語情報誌のひとつである
最新12月号の表紙タイトルがこれ。

   
   Photo

      

どこかで見たような・・・。

       

偶然なんだろうか?

      

「ニッポンを売る!」スピリットがこのような形で取り上げられるようになった事は、内心チョッピリ嬉しい。

    
    

      
上海で最大級の規模を誇る国際食品商談会

FHC CHINA"を視察した。

   
           Fhc2008

  
       
もう形容しようが無いほど広大な会場は、幕張メッセや東京ビックサイトと比べても遜色ない。

   
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入場受付には朝からこの人だかり

    
     

ここに世界中からの食品サプライヤーたちが集結して、中国人バイヤー相手に強烈な売り込み合戦を繰り広げることになった。

   
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中国各地はもちろんのこと、世界各国がブースを出展し、盛んに試食やデモンストレーションを行なっている。

    
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このようなキッチン・デモ形態が多い  シンガポールブースで

    
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さながら食材販売のワールドカップ

         

       

しかも、各国とも相当の熱の入れようである。
        
     

特に目立ったスペイン、イタリア、アメリカなどは、かなりの広さのブースを確保して販促を展開。

     
   
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スペインの力の入れようはモノ凄かった

     

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食材の宝庫イタリアのプロモーションは本当に勉強になった

    

    
とりわけ目を引いた商品は、ワイ・、・・・、・・・、・・・・。

      

      

それらに共通する、最近、中国で受ける商品の特性は、
     
○△●×◎□なもの。

    

     

止めておこう。

     

      
はるばる上海にやって来て、この商談会に参加した人たちが知り得る情報でもあることだし・・・。

    

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メキシコやチリなど中南米勢も健闘していた

        

ほかにも、プロモーションの仕方、アピールの方法論、受けるブース設計、などなど様々な勉強をさせてもらった。

   
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世界各地で逆風の中国食品も確実にレベルを上げている
                        …絶対に侮ってはいけない

    

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あなたは“全羅南道”と言われて何かイメージするだろうか?

    
   
県名でのアピール戦略をもう一度検証してみよう。

      
     

       
さて、我らがニッポンはどうであったか?

   
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私の率直な感想を言えば、

他国に負けず劣らず予想をはるかに越えて奮闘し、頑張っていた

      
快いショックを受けた。

     

        
オープンセレモニーには、農水省、ジェトロの主管部門の責任者、報道陣も駆けつけ、気合が入っており、まず意気込みを感じた。
   

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日本ブースも結構スペースを確保しており、装飾にもこだわりを見せていた。

       

地域的には九州、中四国、東北などの積極性が目立っている。

    

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上海進出に力を入れる福島県は今回も積極的

   
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二十世紀梨の輸出で頑張る鳥取県も

    

九州は、全県で構成される九州貿易振興協議会が取りまとめて出展しているからでもある。

    
   
県名でなく九州をアピールしているのが特徴的だった。

      
    
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なんとも頼もしい。 

      

アジアに近いという意識がチャレンジ精神を醸成しているのだろうか。

    

     
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中国市場にはすでに150銘柄ほどの焼酎が輸出されているらしい

    

日頃、海外でご一緒したり、お手伝いさせていただいている企業の皆さんも大勢参加しておられ、異国の地でお互いに強いエールを送り合った。

   
    
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福岡県は5年に及ぶ赤梨の輸出実績に加えて、
今回、数年企画を温めてきた新兵器を投入した。

              
    
     
また、参加企業もお付き合い参加や単なる情報収集というような雰囲気は無く、積極的に売り込む姿勢をみせている様子だった。

     

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ひとたび海外へ出れば、単なる地域代表だけでなく、
あなたもJAPAN代表” 侍ジャパンになるのだ。

    

中国市場開拓活動も短期間で随分と変わったもんだ、と驚いた。

    

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日本ブースでも様々な仕掛けやイベントが盛り沢山

       

             

2003年にSARSが流行した年に、僕は日本人単独一人でFHCに乗り込み、世界はおろか中国企業もほとんど参加しておらず、閑散としていた様子をレポートにして農水省とジェトロに送った時の事がうそのような光景だ。

      

      
障害多い中国市場の開拓と言われて久しいが、今後の大きく予想される成長を見込んで果敢にチャレンジする日本の元気人たちが声を張り上げ、少しでもアピールしようと頑張っていた。

     
      
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真剣に商材を探す中国人バイヤーたち

        
   
日本の各地のみならず、世界のサプライヤーのこの熱気に触れると、

すでにアジアにおけるマーケットの中心は東京から上海に移りつつある、とも言えそうなくらいの勢いを感じた。

     

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世界のシェフたちによる創作競演風景
将来、NYに並び上海が食文化の発信地にもなる可能性が・・・

          

        

 13億人の胃袋を狙えッ!!

     
    
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試食にもよく反応する中国人 

   
        

不確実な時代を迎え、常に未開の市場を目指して行動する世界の食品、および関連産業の意気込みをまざまざと感じ取った一日だった。

     

     

負けるなッ ニッポン!!
      

ローカル・ニッポン!!

  

寒波に震える街で

      
西日本でも雪が降るほどの寒さに凍えたが、
5日、上海でも一日早く寒波が来襲した。

    
    
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黄浦江沿いビル23階からの上海の眺め

      
    

外では立っているだけで芯から冷えて、手がかじかんでしまうほどの冷たさ。

    
      
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北京や大連などでは当たり前のことでも、
上海で冷たく乾燥した寒さはあまり体験したことがない。

      
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上海市民の装いもまたさまざま。

    
           

   
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上海のハイクラスエリア“新天地”でもクリスマスの装いだ。

   
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それでも、世界不況の足音がここ上海にも忍び寄ろうとしている。

    

    
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バーゲン(特売会?)作戦も延期される・・・

    

   
対米輸出メーカーが集積する広東省ほどではなくても、
じわりとその影響が出てきているらしい。

     
   
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中国政府は内需刺激のために大胆な財政出動を行なうという…。

  
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世界の工場から市場へ転換するだけでなく、世界市場を牽引する使命まで自覚しているかのような動きに、私たちニッポンもスピード感を持って新しい扉を切り開いていかなければならない。

       
    

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ホテルの窓からのぞむ

            
      
朝日に見えますか?それとも夕陽に見えますか?

      
   
中国市場をどう観るかは人さまざまだ。

                                        
                                  (続く)

 

終わりの始まり

                  
国広東省・深セン市を訪れた。

   
    
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深セン駅

    

11月と言うのに、深センの街は夏の盛りのように太陽が照りつける。

   

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郊外の大梅沙海岸に行くと、多くの海水浴客で賑わっていた。

    
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砂浜焼けてる。信じられないッ!!

  
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夏を満喫している・・・。

   
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日本ならさしずめ“烏帽子岩”と呼ばれるだろう。中国では“フカヒレ岩”!?

       

     

見た目では海水も綺麗。

     

     
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豊かになったもんだ、とつくづく思う。

    
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すぐそばの深セン・塩田港もアジアを代表するコンテナ港に成長した。

     
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ここ深センこそ中国の改革開放政策のシンボル的な存在であることは誰もが知っている。

   
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私もちょうどこの30年間、国境にある一漁村に過ぎなかった
深センの街の変化の推移を毎年目撃してきたひとりだ。

    
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今回もまた街の様子が全く違っているから、
何の思い出も浮かばないくらい変化が大きい。

    

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しかし、視察先、訪問先など現場の人による話では、
9月のリーマンショック以来、景気が急降下しており、
今どうしてよいか分からない様な混迷振り
を見せている。

   
     
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宝飾貴金属、ブランド品、会員制健康クラブ・・・確かに何処も様子が変だ

      

隣接する東莞をはじめとする珠江デルタ地区の製造業が相次いで破綻や生産調整が進んでいる様子で、中国や香港の関係当局、財界も緊急救済策を模索している。

     
    
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レストランやショッピングモールなどのサービス業などで聞いても
めっきり客足が途絶えているという。

    
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夕方のゴールデンタイムもこのとおり閑散としている

     
     
来年になってから更に実体経済への悪影響が顕在化する・・・
と地元関係者は口をそろえる。

     
      
    
終わりの始まり・・・
      

        

ここ亜熱帯の地でもそろそろ長い夏の終わりを向かえる時が来ているようだ。

    

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季節の変わり目がここにも訪れるはず。

     

          
世界を驚かせた改革開放の地で、
新たな変化の兆しを見い出すこと出来るだろうか?

      

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 この子供たちの未来は一体どうなっているのだろうか?

      

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祭りの裏舞台

   
(先回から続き)
     
    
オリンピックの一部会場となる青島も上海も、これに合わせて空港ターミナルビルが一新している。

    
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上海浦東空港新ターミナルスポット

   

上海浦東空港は第2ターミナルビルが5月1日に供用を開始していて、成田や羽田と同様、航空会社ごとにビルが違うから、これからは注意が必要だ。

   
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第2ビルに乗り入れている航空会社の案内板

   
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魚眼レンズで撮っているように見える第2ビル内のデザイン

   
 

   

青島流亭空港も新ターミナルビルに変わっていて、8~90年代にプロジェクトで何度と通っていた頃と一変していたのでビックリした。

    
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五輪開幕が近づくとなると、当然警備も厳しくなっていた。

     
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持ち込み手荷物制限の厳守に関する通知
   

    

今、何か起こったら長い間費やしてきた準備が台無しになってしまう。
    

           
そこで

飛行機移動時の国内線は出発の3時間前、
国際線はなんと4時間前に空港ビルに入ること!!

という通達があったというのである。
      

かなり厳しそうだなぁ~ッ、と気が滅入ってしまいそうだ。

   

   
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ビル入口での入念なチェック    
    
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空港ビルに入る時もまずチェックが入り、一定人数が集まるまで、中に入れないというこれまで体験した事がない厳重な警備がビルの入口から始まったので、これからどんな厳しいチェックが入るのだろうとさらに憂鬱になったが、実際は不愉快な思いはなかった上に、それほど気にするほどの検査ではなかった
    

    
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不愉快な思いをさせることなく乗客の安全を確保する

     

むしろゲートやカウンターの数が増えているから、あまり並ぶこともなく以前より却ってスムースだったくらいである。

    

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同行の方が場内で搭乗券を落としたが、このサポートのお嬢さんが終始
笑顔で最後まで対応してくれた
   

  

入出国検査や税関でも笑顔を絶やさずサービスに努めていることが伝わり、むしろ日本の入管にも参考にしてもらいたいくらいだった。
    
     
もちろん空港内や機内、市街など僕らが気づかないところで厳しい警備の目が光っていたことだろう。

     
   
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こんなものまで

     

東京五輪の時と世界情勢は一変している。

また大陸・多民族国家の持つ複雑な背景も、日本とは直接比較してはならない要素が十分にあることを忘れてはならない。

      
     
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青島空港で

      
     

旧暦でネズミ年に変わった途端、中国は相次ぐ災難に見舞われている

   

2月の広東を中心とする記録的な大寒波。

山東省での大規模列車事故。

南部の大水害。

チベットでの混乱。

世界を震撼させた四川の大地震。

そして今、連日38℃を越す猛暑。

   
    
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上海の空港でも四川地震の募金箱が
     

   

また青島では、沿岸一帯、海草(藻?)の異常大発生で、海岸から見渡す海面がすべてゴルフ場の芝のように緑に覆いつくされてしまった。

    
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藻の大発生で、全く水面が見えないほどだったという   
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先週まで解放軍など13万人を動員して人海での撤去作業は壮観だったという。

    
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朝の5時半だというのに大勢の海水浴客が泳いでいた

   
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この美しい海岸が・・・ 信じられない

   

    
青島で生まれ育ったおばあちゃんが、ここで80年暮らしていて、こんなこと初めてだと言っていた。

         

         
オリンピックは社会を近代化へ推し進めると共に、それまでに起こり得なかった軋(きし)みのようなものも露わにしている

      

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今や普通の乗り物となった飛行機   ― ごった返す待合室
        

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優先席も近代社会の産物?   
    

     

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上海の終日の交通渋滞も激しさを増している

  
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この巨大都市上海で、今何が起こっているのだろう?

          

祭りの準備

            
北京オリンピックまでいよいよ2週間を切った中国の上海と青島に出張してきた。

    
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いよいよあと13日!!           青島にて

    
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上海虹橋空港で (上の青い人形は上海万博のシンボル、海宝くん)

      

       
主会場は北京だが、サッカーの予選は上海、ヨット競技は青島で開催されるから、どちらも準備モードで大わらわである。

         
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青島空港

      
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街中のあちこちに真新しいオリンピックの飾り付けが施され、世界最大の祭典であるオリンピック成功のために国を挙げて取り組んでいることがこちらにもビンビン伝わってくる。

    
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空港のディスプレイでこんな作業も

   

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青島の新興住宅街にも

        

    
中国は昔から外からの客人を迎えることを非常に得意としていて、また実際、もてなし上手な伝統がある。

       
    
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青島空港では中国入りする選手団のためにの受付も設置された

    
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上海では五輪(奥運)の後に万博(世博)が控えている

      
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日本のスポーツ用品メーカーもこの機にビジネスチャンスを拡げる

     

    

今回の訪問でも、努力をしてさらにサービス力がアップし、どこへ行っても接客や応対のレベルが上がっていることを実感した。

      
      
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「加油!中国」(ガンバレ中国)のロゴも目立つ

       

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青島の中心街ではビルごとオリンピックだ

      

五輪開催を契機に、また社会全体を変化させていることを目の当たりにしてきた。

                              (次回に続く)

      

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青島の夜

         

中国冷凍餃子問題

     
日本中が中国製加工食品問題で揺れいている。
    

折りしも昨年一年間を通して食の偽装が大きな社会問題になった後だけに、火に油を注ぐことになった。
   
中国は特に燃えやすい。

   
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昨年、全国に通達して食の安全確保に乗り出した中国だったが…
                         (2007年11月 上海で)

    

消費者がさらに自己防衛の意識を高め、国産農産物への関心と理解を深める大きな契機となったことは言うまでもなく、安全性と価格の関係性、生産への認識について主体的に考えるという意味ではここで改めて指摘する必要なく、食育や報道セクターに任せることにしよう。
   

確かに、国産食品への一層の回帰は、国内農業にとってはある種の追い風になるとも言えるが、加工食品、冷凍食品業界、外食給食業界などは「チャイナリスク」に直面し、今大変な戦略転換を迫られていることを考えると尋常ではない。

   

他国産へのシフトと共に、国産農水産物への希求は国内農業に対する一層の変革要因となり、農業セクターも構造的な対応をよりシビアに、よりスピード感をもって迫られるだろう。

     
    
私は30数年、中国ウオッチを続けていて、このような社会を震撼させる事件をもう何度となく体験したり、居合わせてきた。
  

この時常に肝に銘じていることは、「とにかく冷静に、客観事実を追うこと。そしてどの位までの業界や人々にまで影響が及ぶか、さらにそれから後に続く変化は何が予測されるか」を考えるのだ。

   

とかく感情的、ヒステリックになり、先入感や自己利益の視点からだけで相手を安易に判断し、感情的に対応したり、事実ではないことにまで風評が及ぶと、国で言えば国益・社会益、ビジネスで言えば自社の利益まで長期間、負の影響を引きずることもまた、何度となく体験しているからである。

   

安全・衛生の問題だけをとっても、80年代の烏龍茶のダニ混入事件に始まり、最近もSARS、鳥インフルエンザ、口蹄疫などの案件の渦中に私は身を置いてきた。

   
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食品安全に関する政府通達  上海の卸売市場にて

     

中国自身、そしてアジアの少なからぬ消費者たちは、この問題に常にさらされていることも私たちは認識し、なぜ日本産の農産物や食品が、富裕層だけでなく中間層にまで求められているかがイメージできよう。
    

しかし、それは日本産農産物輸出への追い風と言うよりは、日本の農業技術や食品加工・品質管理技術が、ますます中国へ向かい、日本向けではなく中国を含め海外の国内向け製品の開発や改善に拍車をかけるだろうと、私は観ている。

    
   
今日は2月1日。
      
今後、ビール、牛乳、醤油、みそなど食品の値上げが相次いて実施される予定だ。

   

ただでさえ、世界的な相場上昇で値上げ圧力がかかり、賞味期限や品質チェックの厳格化でロス率の管理も含めコスト上昇の折に、さらなる原料・製品の調達変更は、加工食品、外食産業のみならず農水産業にも、そして地方経済にも波乱要因になる可能性があることを覚悟しておかなければならない。