名産地で浴びるほどマンゴーを頬張った日(その2)

(前回から続く)

    
まずは、さっそくマンゴー園を訪ねる。

      
      

「おぉ~いッ!!  ○*▲!」

         
Dsc_1212

       
       
知人の社長が取引先と思われる園主の名前を何度も呼ぶが、反応がない。

    
Dsc_1253
車も収穫したてのマンゴーもあるのに返事がない

    
    

「まっ、いいか。」

     
    
勝手にマンゴー園の中に入り、見学させていただく。

    

Dsc_1216

    

見渡す限りのすっごい広さの圃場に、マンゴーの樹がぎっしりと植えられている。

     

Dsc_1311
まだ若い実

   

    
マンゴーの樹ってどんな形をしていて、果実は一本の弦(つる)にブラリとぶら下がって結実するものということくらいは、タイやバリ島などで野生の木として見たことがあるから知ってはいたが、こんな果樹園に仕立てられた群生マンゴーを観るのは初めてだ。

   
Dsc_1221

    

そのすべての実に、ひとつひとつ袋がかけてある。

   
Dsc_8841
山一面マンゴーの樹でギッシリ

  
   

見るからに手間がかかっていると実感。

      
Dsc_1299
失敬してひとつだけ袋を外させてもらった

   

    
台湾で栽培されているマンゴーのほとんどが、
アップルマンゴーと呼ばれるアーウィン(愛文)種で、
宮崎の太陽のたまごや沖縄宮古島などで栽培されているものと同種である。

   
Dsc_1257
真っ赤に熟れていて、甘さが表面に滲み出ているかのよう

     
     
他に、フィリピンで多く栽培されている黄色いペリカンマンゴーは
この農園では見ることはなかった。

     

   
一部の促成ハウス栽培を除いて、すべて路地。

   
Dsc_8758

  
   
そうだ、ここは北回帰線より南に位置する亜熱帯だった。

     

ちょうど夏至も過ぎた時で、
昼の太陽が頭の真上から容赦なく陽光を浴びせてくるんだ。

    
Dsc_8822
      
      

この日は明るい曇り空だったが、それでも強烈な蒸し暑さは日本でも考えられない。

  
Dsc_8847       
     
                
とにかく眼前の山間部一杯に広がるマンゴーの樹を観たときは、思わず息を呑んでしまった。

   
さすがマンゴーの里として超有名な玉井郷である。

     
        
Dsc_8850

      
    

「さあ、お次は集荷市場を案内しましょう。」

    
      
なんということもなく、くだんの社長がマンゴー園を背にして車を走らせた。
                                 (次回に続く)

    
Dsc_8831             

名産地で浴びるほどマンゴーを頬張った日(その1)

       
6月下旬から7月にかけて、
台湾ではマンゴーの本格的なシーズンに入る。    

    
今年は冬の寒さが長引いた分だけ、出荷が例年より遅れたそうである。

     
     
Dsc_7738 
台北の有名なマンゴースイーツ店の看板メニュー  マンゴーかき氷

     
         
     
この時期は若い娘たちだけでなく、
老若男女みんな手ごろになったマンゴーを楽しんでいる。

      

     
      
今月初め、あるプロジェクト推進のために台南に行ったのだが、
台湾でもトップクラスのマンゴー輸出に携わる地元貿易商社の社長さんと旧知の仲で、突然連絡したら、案内するからぜひいらっしゃいと誘われ、出荷の繁忙期と知りつつ、ホイホイと現地を視察に行くことにした。
      

      

台南の中心街から車で約1時間半強の道のり。

     

途中、烏山頭ダムを横目に進む。

     
Dsc_9351
      
    

ここは、1930年に完成した農業灌漑を主目的としたダムで、日本人・八田與一技師により建造されたものである。

      
Dsc_9347
後方に見える長い堤防のような土手に烏山頭ダムがある

           

それまで、常に干ばつの危険にさらされていた嘉南平野が、このダムのおかげで台湾を代表する穀倉地帯として蘇ったのである。

    

八田技師は、その死後70年近く経た今でも
多くの台湾民衆から敬愛されており、
日台交流の模範として僕の心の中にも特別な存在である。

   

当時の日本人は、物資調達だけでなく
土木やインフラ、衛生など技術やノウハウ、社会資本整備までも
台湾やブラジルなど世界各国で広めていった
のである。

  
その上、歴史的な背景があったにせよ、
祖国に帰ることを前提にではなく
腰を落ち着け、根を張る情熱で…。

   

当時の日本人の方が、よほどグローバルな視野を持っていたと思う。
    

しかも、その核心技術が農業栽培や加工、農業土木技術なのだ。

  

本当に頭が下がる思いだ。

    

     

Dsc_9357

       
さて、どれだけ坂道を登ったであろうか、
山間部に開けた大きな町が見えてきた。

    
Dsc_1185
だんだん生活の匂いがしてきたぞ

    
     

ここが、台湾マンゴーの名産地 玉井区である。

    
Dsc_1778
玉井郷にようこそ、と書かれている

      
     
玉井という地名は、高雄と同様、おそらく日本時代につけられたものだろう。

       

これまでは台南県玉井郷であったが、昨年12月の台南市への編入で
現在は玉井区ということになっている。

    

300pxtaiwan_roc_political_division_  250pxyujing_tnsvg
左は台南市。右は台南市での玉井区の位置 wikipediaより     
       

        
     
今や台湾でこの玉井は、マンゴーと同義語であるほどの地域ブランドなのである。

 
いずれ日本でも知名度を上げてくるかもしれないので、
読者の皆さんはマークしておいて頂きたい。   

    

Dsc_1780
巨大なマンゴーのオブジェが町のシンボルだ

    
     
    
「手始めに、まず畑に行きましょうかね。」

     

いよいよ台湾の有名ブランド・玉井マンゴーとのご対面だ。
                               (次回に続く)
           

富良野ふたたび(その4) そして暑中お見舞い

(前回より続く)
         
        
    
新富良野プリンスホテルに併設されている「風のガーデン」。
      

       
Dsc_7548

        
   
2008年にフジテレビで放映された倉本聰脚本のドラマ撮影のために2年をかけて設えられた舞台である。

    
Dsc_7615
    

故緒形拳さんのテレビドラマの遺作としても知られている。

   

心ときめかす涼風に誘われて、ひとり、
部屋を飛び出して散策してみた。

         

        
Dsc_7605      

     

猛暑が続く列島の読者の皆さんへ、
少しでも草の香りと涼を感じてもらえるよう
この爽やかな風の便りをお届けします。    

    

Dsc_7505
    
Dsc_7519
   
心地よく乾いたマイナスイオンいっぱいの爽やかな風が、頬を撫でているのをイメージしてみてくださいね。

 
Dsc_7360    
Dsc_7420
   
Dsc_7282
   
     
富良野の方に聞くと、この涼しさが当たり前なのだと言う。
まさに当たり前なんだろうけど、これこそ地域資源というものなんだよね。

    
Dsc_7618         
Dsc_7266
   
Dsc_7496     
Dsc_7481

     
      
暑中お見舞い申し上げます

   
   
Dsc_7541

    
   
いつもブログにお立ち寄り頂き
心から感謝申し上げます。

     
   
Dsc_7567
       

Dsc_7313      

 
とっても楽しい時も、どんなに辛い時も、なんたって体が一番。

くれぐれもお体には、ご自愛ください。

    
Dsc_7505_2
  
Dsc_7414

     
    
次回から、また海外からのアツい話題をお届けします。
                                 (シリーズ終わり)

  

        Dsc_7266_2
   
Dsc_7206
     

富良野ふたたび(その3)

(前回より続く)

   

今の季節、富良野のあちこちのハウスで盛んに栽培されている
この作物 なぁ~んだッ??

   
Dsc_6762
      

    
少しズームアップしましょうね。

   
Dsc_6770       

   

それでは決定的なヒントをチラリ。

   
Dsc_6811

     

    
そうです。

答えは、あの有名な富良野メロンでした。

   

    
Dsc_6776

      

      
静岡メロンのように支柱に立てて栽培する方法をイメージしている人には少々違和感があるかもしれないが、ここでは地這え栽培が主流である。

     

Dsc_6837

    
一本の苗からは2個に仕立てて大切に育てられる。

      

Dsc_6740

    
Dsc_6836

  
こんなに大きく育った。そろそろ出荷も間近。

    

Dsc_6792
生産を担う青年から収穫のタイミングや甘いメロンの見分け方を習う

      

Dsc_7072

      

ご存知のとおり、富良野メロンは赤肉系で糖度も高く、舌触りが滑らかなのが特長。

    
Dsc_6121
甘い香りがふわぁ~ッと鼻孔を突き抜け、口一杯に果汁が広がる。年代物の洋酒を含んだ時のような陶酔感に包まれる。

   
Dsc_7078
フラノマルシェでは必ずお買い上げの逸品だ

      
Dsc_7026

          

    
もちろん青肉系のメロンも栽培されている。

     
    
キングメルティーというここでしか味わえないメロンを堪能。

    
Dsc_7685
手前がキングメルティー

    
   

そのとろけるように滑らかな舌触りと甘さは、
これまで経験したことのない驚きもので
僕の脳幹もメロメロとなり、
メロンという高級感あふれる果物の価値を再認識させられた。

     
Dsc_7102

     
   
残念なことに、日持ちがしないため、
せいぜい札幌か、一部東京にしか出荷されていないのだそうである。

    
Dsc_7105
黄金色した果皮が特長

   
    

ぜひとも条件を整えるか、改良を重ねて、世界の人々にもぜひこの豊かな香りと甘さを堪能してもらいたい。

   

Dsc_6178

      

          

またひとつ富良野のとりこが出来てしまった。
                                   (次回に続く)

    

Dsc_6843  
            

富良野ふたたび(その2)

(前回より続く)

      

この日、今年初めて30℃を上回ったと地元の人たちは話題にしたが
日頃湿度の高いところに住んでいる僕にとっては、爽やかそのもの。

  
Dsc_5943

    

天然のクーラーの中にいるようなもんだ。

    
Dsc_5299
    
Dsc_5278
映画のタイトルバックに出てきそうな風景
   

Dsc_6687 
     
     

夏を迎えると、この町は一面農作物に覆われる。

   
Dsc_6473
     
Dsc_6623
最近は減少気味という水田
   
Dsc_7736
車窓から丘陵に広がるジャガイモの畑を観る

   
      

米、小麦、トウモロコシ、たまねぎ、ニンジン、ジャガイモ、大根、
そして様々な施設園芸作物が延々と眼前に広がる。

   
Dsc_7897
麦秋  一面に敷き詰められた黄金の絨毯のよう
    
Dsc_5715
    
Dsc_6656
夏の北海道といえば、すぐにトウモロコシを思い浮かべる

   
    
   
広い。ただただ広い。

   
Dsc_7809

    
Dsc_5702
ちょうど富良野にんじんの間引き作業に遭遇  広いだけに大変
    
Dsc_5700

    
    

さすがに、十勝に並ぶ日本を代表する農業王国だ。

     
Dsc_7864
玉ねぎの畑も延々と続く
    
Dsc_6968
     
Dsc_6973       

      
   
機械を入れて思いっきり農業が出来る環境。

     
Dsc_7847
    
Dsc_7857
機械のわだちのように見える
    
Dsc_7832
   
Dsc_6019

    

これも日本の景観のひとつ。

     
Dsc_6549            
Dsc_6500
    
Dsc_6524 

        

ところどころに畦(あぜ)の跡があるのは、
水田から転用した名残りだろうか。

      
Dsc_5262

     

      
昨年オープンしたフラノ・マルシェ。

   
Dsc_7010

   

豊富な農産物に出会える場所だ。

  
Dsc_7019       

      

今回、初めてワイン工場とチーズ工房を見学させていただいた。

     

Dsc_5952
富良野ワイン工房
   
Dsc_5959
   
Dsc_5868
北海道でも珍しい、栽培、醸造、販売の一貫経営だ
   
Dsc_5981
富良野の澄んだ空気と同じ爽やかな飲み口をご堪能あれ
    

Dsc_5988      

   
Dsc_6060    

    

     

滞在中、能登芳昭・富良野市長と面談する機会を得る。

    
Dsc_7638       
   

地域活性化や農業振興に加えて
アジアにおける食糧基地としての北海道富良野の未来や
中国・香港を中心とする観光誘致など海外戦略にまで話題は広がり、夜が更けるまで歓談は続いた。

   
      

他の自治体同様、決して財政事情は楽ではない中、
着実・堅実に回復軌道に向け努力されている姿が深く印象に残った。

        
       
人口2万5千人の自然豊かな土地に年間200万人の観光客が訪れる町。

     

さらに、海外に向けてプロジェクトが始まる。

    

     
Dsc_5997富良野ワイン工場で
       
   
    

北海道のへそに位置する
ここ富良野はすでに世界ともつながっている。
                                   (次回に続く)
    

Dsc_5834
                  

富良野ふたたび(その1)

            
去年の8月に続き、再び富良野の地を訪れた。

       
本州以西では、梅雨の湿度と猛暑、それに今年は節電が加わり、
特別に凌ぎにくい毎日だが、ここ北海道の中心に位置する富良野では、そんな悩みは皆無。
     
    
毎日爽やかな風に包まれている。

  
Dsc_5514
澄み切った風を感じる町

     

      
おりしも7月初旬はラベンダーの季節で、
今年は春が遅く来た分、まだようやく始まったばかりという風情であったが
平日にもかかわらず、ラベンダー園は観光客であふれんばかり。

   
Dsc_5443

   
   
昨年訪問した時は、すでにラベンダーの季節は終わっていたが、
今年は、ついに夢のご対面が実現。

     
Dsc_5490       
      
       
やっぱりその清楚な美しさに感激。

    
Dsc_5465

    

    
ここファーム富田。
今や年間100万人もの観光客を集めるほどの一大観光地となったが、
ラベンダー栽培を始めたのが、今から53年前。

   
Dsc_5313    
       
Dsc_5536

                

それまでオイルや線香用香料向けに栽培されていたが、
輸入物や合成香料の登場などで、
250戸あった付近の農家がほとんど栽培をやめていく中、
最後の一年にしようと悩んでいた頃、
国鉄のカレンダーやドラマ「北の国から」に登場したことで
人気に火が着いたのだという。

   
Dsc_5542

     
情熱、信念、継続、思い、自立。

      

この奇跡の物語に、今、全国各地で農業生産に励んでいる皆さんの姿を重ね合わせる。

   
Dsc_5504
遠くに今も火山活動を続ける十勝岳の雄姿が望める
      
 

   
      

ラベンダーが紫蘇科の植物とは知らなかった。

なんか縁があるのかも。

    
Dsc_5353
       
   

僕にとって、富良野の町も特別な存在になりつつある。
                                     (次回に続く)

   

Dsc_5472     
Dsc_5438
    
Dsc_5406
木陰に入ると爽やかな風が体中を吹き抜ける   
     
Dsc_5499_2
ラベンダーは高温多湿を嫌う繊細な植物。でも熱々のカップルが良く似合う

       
     
Dsc_5432                        

みんなどこかで動いてる(最終回)

          
(前回から続く)

     

ここは、島根県の東部、中海に浮かぶ大根島。

   
Dsc_2624
後方が大根島

    

行政区としては、松江市八束(やつか)町となっている。

    
   
隣の鳥取県境港とは橋で結ばれ便利になったが
今回、僕らは松江市側から干拓用に整備された道路を使って訪れた。

  
Dsc_2609
   
Dsc_2613

     
   

周囲わずか12km、標高も42mしかない玄武岩質の小さな島に過ぎないが、実は高麗人参(雲州人参)と日本一のボタンの生産を誇るスゴイ島なのだ。

   
Dsc_2641
牡丹と高麗人参の町

   
   

高麗人参は、江戸時代から栽培されていた門外不出の貴重な産業で、
この大根島命名の由来は、
通説では、たこ島が大根島になったということだが、
島で人参栽培しているのを隠すために、わざと大根島というようになったという逸話も残っているほどだ。

  
Dsc_2694
    

    
見事な雲州人参。
      
栽培に6年もかかり、また一度収穫すると連作が出来ず、その土地では15~20年は植えられないほどだと言うから驚きである。

  
Dsc_2704
人参とはよく言ったものだ

     

他にも人参にまつわる面白い話をたくさん伺った。

  
ハイテク・バイオ日本農産物の輸出商品としての復活を期待したい。

      

      
      
もうひとつ。

     
   
牡丹の栽培が有名な町なのである。

     
Dsc_2787

   

立てば芍薬、座れば牡丹 というくらい美人の形容ともなる気品のある華(花)の代名詞である。

   

毎年、見ごろのゴールデンウィークにもなると観賞にやってきた観光客でごった返すのだという。

  
Dsc_2726      

     
全国シェア9割という日本一の生産を誇る大根島には、
世界を目指す熱い志をもった人たちがいる。

   

Dsc_2638

   
   
すでに1960年代頃から輸出が始められていたというからスゴイ。

    
Dsc_2847

      

その後一貫して輸出が続けられており、近年も約1億円前後で推移しているそうである。

      
     
主に、アメリカやオランダ向けに出荷され、そこからさらにドイツやフランス、イタリア等でも販売されるのだそうだ。

    
     
Dsc_2796
中国では真紅だが、欧米では黄色が人気なのだそう

   

     
最近も、ニューヨークやロンドン、パリなどの植物園でも展示され、大いにニッポンの牡丹が人気を博しているのだそうだ。

     
   
また、今年4月25日まで台湾の台北で開催された「台北国際花の博覧会」にも出品され、馬英九総統のスピーチ演壇が「松江大根島ボタン」で彩られたことは関係者の間で有名な話なのだ。

   
Dsc_2825
今では周年開花技術が確立し、一気に輸出がすすんだ

     

    
このような歴史と実績をもつ「ニッポンを売る!」その現場には、
必ず熱い志をもった男たちがいる。

       
    
Dsc_2866
海外に挑戦するサムライたちの梁山泊だ 

       
    
   
しかも、JAくにびき、島根県、松江市、そして生産流通に関わる皆さんは、同じビジョンを持ち連携も見事で、活気に満ち満ちており、アイデアとアクションがほとばしるプロジェクトチームである。

      
Dsc_2676    
      
           
梅雨明け(訪問当時)を思わせる暑い日差しよりも、更に熱い議論がビシバシと飛び交っていた。

    

日頃、激動する海外事情を僕の方から忍耐強く説いていくのとは、まるで逆転。
    

ただただこちらが学ぶことばかり。

      

    
このチームは今年、アジア向けや新興大国への輸出にも行動計画が進んでいて、皆さん攻めの姿勢でワクワクして期待を膨らませているのが、明るい表情に浮き出ている。

       

Dsc_2855
この元気な挑戦者たちをリーダーに、多くの関係者の努力と行動で、大根島牡丹の海外展開が続いている

   
        

島根県は、関係者なら皆が知っている農産物輸出先進地である。

     

この牡丹プロジェクトの中心人物でもある方が、
以前、僕の講演を聞いて、とても共感してくださったというので本当に嬉しかった。

      
     
僕はたまに自分の思いが周囲に通ぜず、心が折れそうになることもあるが、
この3回シリーズで紹介したように、
今回の原発事故による厳しい風評被害にもかかわらず、
だれかが、国内外のどこかで活発に動いてくれているからこそ
僕も信念を曲げずに頑張っていけるのである。
                                   (シリーズ終わり)

   
Dsc_2858              

みんなどこかで動いてる(その2)

                       
(前回から続く)

    

先月22日の台湾タイペイ。
               
    
Dsc_2666
       

雨季もとっくに明けているという風情で、
強い日差しと夏の雲。

   
Dsc_2701      

      

台湾最大の食品展示商談会「台湾国際食品展・フードタイペイ2011」が今年も開催された。

     
Dsc_5207
会場となった台北南港展覧館

   
   

僕が初めてフードタイペイに参加したのは、2000年だから、
もう11年も経つんだ。

   
Aut_1727
2000年当時の様子  会場の場所も違っていた

   
Aut_1703
2000年6月撮影

     

その頃は、まだ日本からは台湾進出の日本企業ぐらいのもので
まさか日本の各地がこれほど熱心に売り込みに来る時代が到来するなんて思いもしなかった。

    
Aut_1722
2000年当時の会場

    

     
今年も、台湾の有力企業、政府はもとより、
世界各国から、アツい台湾市場の旺盛な胃袋を目指して
熱心なプロモーションを展開した。

    
Dsc_5311
台湾館  農・水産・畜産など重点政策が伝わる

Dsc_5435
牛肉が輸出できるアメリカは、台湾市場開拓にも非常に熱心だった

Dsc_5430
今年3月に行ったスペインも国を挙げての力の入れようだ

Dsc_5450
日本の良きライバル韓国は、非常に熱がこもっていた。軽快なK-POPがブースに流れる

Dsc_5397
辛ラーメンにとっても台湾は取りこぼせない重要なマーケットだ

    
        

我らがニッポンも、JETROと交流協会の強力支援のもと、
複数の自治体、企業がブースを構え、台湾をはじめとするアジアのバイヤーとの商談を繰り広げた。

   
Dsc_5254
   
Dsc_5342

   
    

僕は、今回宮崎県から参加した皆さんの応援団として参加した。

    

事業者の皆さんは、これまで忍耐強く培ってきた3~4年の経験を生かし、更に一歩ステージアップを目指そう!という志を打ち立てて臨んだ。

   

「なぜわが社はこの商談会にわざわざ参加したのか?」という原点をしっかりと確認し、帰国するまでに何を得てくるかという目的意識を明確にしたのだ。

   
Dsc_5601
     

その努力の結果、参加6社皆さん全社が、想定以上の成果を収められたのだそうだ。
   

のだそうだ、というのは、
実は、僕はサポーターであるべき人間なのだが
開幕の日の昼過ぎでさっさと会場を後にして台南に行ってしまったから。

    

なんと無責任なコーディネーターなんでしょうねぇ。

          
でも実を言うと、もう開幕前から、皆さんの気合と準備状況を見ていて
これで大丈夫だ、と確信していたからでもある。

   

Dsc_5594いつも本ブログに元気なコメントを寄せてくださるKIMURAさんのブース。様々な工夫があちこちにちりばめられていて大注目を浴びる。同じくコメントをくださるAYAさんのプロデュースによるもの。KIMURAさんは、台湾・香港では、困難と言われる定番を早くから勝ち取り、着々と業績を挙げている。その努力は並大抵でないのに、一見、楽しそうにやってるからすごい。        

      

      
原発事故、あるいは口蹄疫や新燃岳の噴火などの風評被害の大逆風で
今回は皆さん、今までのやり方じゃ駄目だ、と気合の入り方が違っていた。

  

Dsc_5580
試食のノウハウも完璧。タイミング、ポジション、コミュニケーション・・・。
経験が生きる時。

   

    

ブースの統一感、商品の絞込み、互いの協力、地域の売り込み、
そしていくつかの重要なノウハウである目的意識の設定法…を心に期していた。

  
   
Dsc_5785
i padを用いた営業プレゼンが、ここでも発揮するとはビックリ。

           

もちろん事後のフォローアップに突き進んだことは言うまでもない。

        

       
この事業者の皆さんの頑張りに加えて、宮崎県、宮崎物産貿易振興センターのスタッフの強力バックアップも見逃せない。

         

関係者の皆さん、風評被害の逆風下にあって、先んじてよく行動を起こし、
そして熱のこもった真剣商談
、本当にお疲れさまでした。

         

これからも益々、楽しくも緊張感を持った販路開拓に挑みましょう!
                             (次回に続く)

     

Dsc_6137
台湾企業のブースには、「今を切り取る重要なキーワード」が盛り沢山
   
Dsc_5682
世界中で「安心・安全」は、もう当たり前。日本の専売特許ではなくなった
    
Dsc_5984
台湾では可塑剤混入食品事件が大問題に。検査証明書の提示が必須の様子
    
Dsc_5935
バラエティーに富む林産品のコーナー。林業輸出の大きなヒントとなった
     
Dsc_6115
台湾の醤油メーカーにも、ゆるキャラが
    
Dsc_6022
改めて明確な目的意識と継続力の重要性を感じた
                    
                  

みんなどこかで動いてる(その1)

            
長期の出張で、またアップが滞ってしまい申し訳ありません。
    

ニッポン全体で、日本国民全体で歴史的苦難から立ち上がろうとしている時期なんだから、何も弁解出来ない。

    
         

昨日、鹿児島県の霧島で宿泊していた時のこと。

    

偶然、顔見知りの広東語を話す一団とバッタリ出くわした。

    

   
「エエ~ッ! 何でここにいるの?」
       

お互いに不思議がるや、嬉しいやら。

     

    
日本の農水産物輸出先世界一位の香港で
「ニッポンを売る!」アクションを起こしている人なら多くの人が知っている
有名百貨店の知日家の社長さん(総経理)みずから九州を訪れており、日本の食材の安全性と美味しさを確認し、香港でアピールするために、担当社員はもとより、地元で最も影響力の強い飲食関係誌の記者を帯同して視察や交流を行っているというのだ。

       

しかも日本側の招待ではなく、自ら香港の旅行社を通じて手配しているというから更に驚いた。

       

今朝の報道では、
5月の統計によると、日本からの農産品の海外輸出がほぼゼロになったという状況、すなわち海外の消費者が風評で買い控えているこの逆風下に
真実を知り、それを香港で伝えようというのだ。

    

頭が下がる思いだ。

       
    
台湾だけでなく、香港の人もこうやってアクションを起こしてくれている。

       
   
ちなみに、この一団の中に日本人コーディネータはいない。

      

原発と新燃岳噴火の風評被害で、
内外の観光客が一時遠のいたという霧島で出逢えたことも有り難い。

      

                
今日も今頃、どこかの自治体や生産者団体が懸命に、
この訪日ミッションに対して、地域の素晴らしい農水産物の安全性を
紹介していることだろう。

   
真実の姿が少しでも香港や広東の消費者に伝わることを願っている。
                                    (次回に続く)
            

日本一温かな心を持つ人たち

            
震災直後、仕事ですぐに何も出来なかった僕は、
多くの皆さんと同様、自分にも何か出来る事はないかと、
福島、宮城、岩手、東京のキーマンの人たちからの要請を確認した上で
無い知恵を絞りつつ、幾度か救援物資を送ってみた。

   
    
今日もまた、その配送先からお礼状が届いた。

      

Dsc_26621

   

    
この便りは、特に就学児の皆さんに文房具などを送って欲しいという要請に基づいて送った荷物に対する、宮城県女川町の中学生からの便りである。

   

    
「このたびは女川****校にたくさんの学用品を送っていただきありがとうございました。
いつも何気なく使っている文ぼう具がこの災害を経験してから、今の私たちにはなくてはならないものだんだということを教えられました。どこの誰とも知らない私たちに「何が必要だろう」とたくさん頭を悩ませていただいて本当に感謝しています。いただいたものは大切に使わせていただきます。みなさんのあたたかい気持ちを忘れずに過ごしていただきたいと思います
。」

    

    
一文字一文字丁寧に書いているのが伝わる。

     

いったいこの生徒さんはどれだけ思いやり深く、
想像力を働かせることができる人なんだろうかと
頭が下がってしまう。

      

それに彼女の両親は、学校は
一体どんな教えを施しているのだろうか?
      

友達は、地域は、どんなコミュニティーなんだろうか?

     

     
もう一枚、

「このたびは、たくさんの学用品を送っていただきありがとうございます。私たちの町は、たくさんの被害にあいました。そして、たくさんの思い出や物などが流されてとても悲しいです。でも、その中、たくさんの方々がきたり、いろいろな物を送られて笑顔になりました。みなさんのあたたかい気持ちを忘れず、私も一生懸命がんばりたいと思います。今回は本当にありがとうございました。」

     

      
胸が締め付けられるほどの辛い思いと底知れぬ温かな心根が伝わってくる。

    

日本で一番、物の大切さを知り、人の心の温もりを感じ取れる人に違いない。

     

     
いつもだけれど、僕の方が学ばされる。

       

    

     
現地で絶え間なく支援活動を続け、呼びかけてくださる加藤先生、白石先生、本当にありがとうございます。

      

       
また、一緒に物心両面にわたりご支援いただいた宮崎県川南町の「お茶の大塚園」の大塚様、河野農園の河野様、貴重な情報を下さった柴田様に心から厚くお礼申し上げます。

    
       
また、明日19日から海外へ1週間出張します。

       
    
礼状を送ってくれた、このまだ逢ったことのない女学生さん達には、海外から返事を出すことにしよう。

         

        
一通の葉書 15×10センチ大が、こんなに広く大きく見えたことはなかった・・・。